ハルアキ
四万一千
KAC20201「お題:四年に一度」天の川
七月七日、雨の日のこと。
それぞれ傘を差した二人の男女が、同じく通う中学校から並んで帰宅していた。
「ハル先輩、七夕って雨の日が多いと思いませんか?」
「そうだっけか? 言われてみればそんな気も。うーん、よく覚えてないなあ」
突然向けられた疑問に対し、ハルと呼ばれた男子はあまり考えずに返答する。
七夕の天気など、いちいち記憶していない。
「そうなんですよ。で! わたし、調べてみたんです。そしたらですね、なんと! ここ二十年の内で晴れてたのは五回だけだったんです!」
「へえ、そうなんだ」
「……興味なさそうですね、ハル先輩。織姫と彦星が一年にたった一度だけ会えるかどうかというロマンチックな日なのに」
アキの軽蔑を含んだ目が突き刺さる。
「ロマンが分からない男はダメですよ。そんなんだからモテないんです、ハル先輩は」
七夕ひとつでなんという言われようだ。ハルは反論せず不満を内心に留めた。
対してアキは両の掌を空へ向けて首を横に振っている。ヤレヤレとでもいいたげなポーズだ。
幼馴染とはいえ、ひとつ年上の自分に対する扱いが年々雑になっている気がする。昔はもっと可愛げのあるやつだった……はず。
「二十年で五回ということはですよ? 四年に一度しか織姫と彦星は会えないんですよ」
「まあ、そうとも言えるな」
もちろん、晴れが続いた年もあるだろうから、きっちり四年ごととは言えないだろうが。
「ひどいと思いませんか? どんなに運がよくても一年に一度しか会えないのに、天気のせいで、実際は四年に一度なんですよ!」
「なにがお前をそこまで怒らせるのか、おれには分からないよ」
ぷりぷりと怒りを露わにするアキは、腹いせのためか水たまりを勢いよく踏み込み、周囲に泥水を撒き散らした。
「おわっ! やめろアキ!」
「へっへーん。わたしの怒りをくらうがいい!」
なおも水たまりの上で飛び跳ねるアキ。ハルの制止など聞こえていないかのような振る舞いだった。いい加減腹に据えかねたハルは、手に持った傘を回転させ、溜まった雨水をアキの顔に向けて発射した。
「ぷわっ」
「はっは。調子に乗るから……だ」
ハルの言葉が尻すぼみになる。飛ばした雨水はアキの顔のみならず、その下、制服までをも濡らしていた。
薄地の白い夏服の下、透けた先にはうっすらと水色が浮かび上がっていた。
「す、すまん!」
慌ててハルは背を向ける。いまの記憶を消そうと頭を振った。
「雨水が目に入っちゃいましたよー。ひどいじゃないですか」
「すまん」
「……? 急にあっち向いて、どうしたんですか?」
「気付いて、ないのか?」
「なにがですか?」
ハルは返答に困った。
制服が少し透けているなど、男子中学生が口にできる範疇ではなかった。少なくとも、ハルはそういう男子だった。
「ハル先輩?」
不審がる声が掛かる。何か言わなければ。でも、口にはできない。
ハルは肩に下げたバッグに手を入れ、一枚のタオルを取り出した。
そっぽを向いたままタオルを突き出す。
「濡らして、すまん。コレで髪とか顔とか……色々、拭いてくれ」
「え? あ、ありがとうございます」
タオルを受け取ったアキは、顔を拭い、髪から垂れる水滴を拭き、目線を下にずらした。
そしてようやく、ハルの挙動不審に合点がいった。
「ハル先輩のすけべ!」
「すまん!」
〇
もっと怒られると思った。しばらく口をきいてくれないと思った。
しかしアキは三発ほどビンタを寄越すだけで許してくれた。
「まったく。ハル先輩はほんとに、まったくです」
「すまん」
同じ謝罪の言葉ばかりを繰り返すハルの顔をアキが覗き込んだ。アキは笑顔だった。いたずらを思いついた幼子のように純粋で、悪質ではない悪意がその顔に宿っていた。
「もういいです。わたしの頼みごとを聞いてくれるなら」
「頼みごと?」
「はい。今夜、天の川を一緒に見ましょう」
二人の傘には、朝から止まない雨音が響いている。
「雨だぞ?」
「止むかもしれません」
「今夜の降水確率は――」
むんっ、とアキは胸を張った。ハルの視線は自然とその胸元に吸い込まれ、慌てて顔を逸らした。
「先輩? わたしの頼みごとを聞いてくれますよね?」
「……はい」
二人は二十時に合うことを約束した。
〇
十九時五十分、ハルは近所の公園にやってきた。
電灯の下には既にアキが待っていた。
「遅いですよ、ハル先輩」
「約束の十分前だ。むしろ丁度いい頃合いだ」
二人は傘を差している。雨が降り止む気配はなかった。
「……止まなかったな、雨」
「そうですね。残念です」
アキは足元の小石を軽く蹴った。
「残念です。本当に」
俯いている上に傘が邪魔をして、彼女の表情は分からない。しかし、声だけで十分だった。
「そんなに見たかったのか? 天の川」
「うーん。見たかったというか、ただ、織姫と彦星が可哀そうなだけです」
「知らなかったよ。オマエ、そんなに感受性が豊かだったんだな」
「うーん……なんというか」
ハルの目の前で傘が上がる。彼女の顔をようやく見れた。泣き出しそうだった。
「天気とか、そういうどうにもならないもので離ればなれになるの、イヤじゃないですか」
「アキ……」
「だって、どうにもならないんですよ? どうにも、ならない」
アキの顔を再び傘が遮った。遮る直前、彼女の瞳から雫が一筋流れたように見えた。
「……ハル先輩。もし、ですよ? もし、私と離ればなれになるとしたら、どうしますか?」
「え?」
「もしもの話です。でも、真剣に答えてくださいね?」
突然の質問だった。アキはよく突拍子もないことを言い出す。ハルの反応を見て楽しむためだ。
彼女の顔は見えない。表情から冗談か判断できない。けれど、声は。小さい頃から毎日聞いている声は、彼女の本心のまま響いていた。
「そんなもん、決まってるだろ」
「決まってるんですか?」
「ああ、決まってる。会いに行く。そんだけだ」
「…………」
「不服か?」
「……どれくらい離れるのかも知らないのに」
「たしかに知らないけど、行くに決まってる」
「どれくらい、その言葉を信じてもいいですか?」
「うーん、そうだなあ。今日の降水確率くらいかな」
雨が降りしきる中、くすり、と小さく笑う声がやけに鮮明に届いた。
「天気予報ちゃんと見てないんですか? 百パーセントですよ」
「決まってるって言ったろ」
「言いましたね。わたしも聞きました」
アキが傘をたたみ、ハルに抱きついた。
「いいですか、百パーセントですからね」
「ハイハイ」
「ハイは一回」
「オマエはおれのお母さんか」
「違います」
違う、ならば両者の関係性はなんなのか。
一つ傘の下、二人はその答えを口に出さなかった。
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