KAC20204「お題:拡散する種」イタズラ
平日の放課後、家の近所の公園でハルは人を待っていた。
相手は一つ年下の後輩、アキである。
本当はどちらかの家で待ち合せたかったが、どちらの家族にも聞かれたくない話をするため、仕方なく妥協した形だ。
約束の時間を過ぎてもアキは現れない。ハルはズボンのポケットからスマホを取り出した。メッセージは届いていない。
『すでに十分の遅刻だぞ。まだなのか?』
催促のメッセージを送る。彼女の遅刻癖には昔から困らされてきた。それでいて、こちらが遅刻したときに限って先に待っているのだから始末に悪い。
ハルは溜息を洩らした。
内にこもる感情は、複雑なものだ。
待たされているからではない。
今日、合う約束をした、その理由によるものだ。
彼女は先日、失踪した。
家出や誘拐ではない。
現実世界から、消えたのだ。
〇
文化祭の前後数日、アキはこの世界から消えていた。
何も言わずに彼女は消え、みんなはアキという存在を忘れた。
そして、
前触れもなく彼女は戻り、みんなはアキという存在を再度認識した。
馬鹿げた妄想だと吐き捨てたいが、ハル自身の経験がそれを裏付けている。
確かに先日、世界はアキのことを忘れていた。アキの家に伺い彼女の両親にも確認してみたが、彼女の存在は過去の記憶にもないようだった。
アキがいないのにどうやってその両親とハルが出会い、親交を深めたのかと聞けば、もっともらしい近所づきあいの昔話を聞かされた。そんな記憶はハルにはない。ハル一人を除いて、世界がアキを排除したようだった。
その後アキが戻ってくると、どうだ。
世界は以前と何ら変わりないとでも言いたげに、彼女の存在を肯定している。
文化祭前後の数日は、世界ではなく自分がおかしかった。アキが忽然といなくなるという妄想に取りつかれていただけ、そう考えた方が現実的だと考えもした。
昨夜、アキと電話で話した。
「何度も言ってるじゃないですか。わたし、ホントに現実から消えたんですよ。いや、わたしも聞いた話なので、らしい、くらいの認識ですが。
え? 誰から聞いたのかって?
そんなの、未来人に決まってるじゃないですか。やだなあ、ハル先輩。
で、えーと。そうそう。わたし、未来を救うために、未来に行こうとしたんですけど、やっぱり帰ってきたんです。
――はい、以上です。……だから、以上ですってば!」
彼女自身から聞いても、ハルは信じきれなかった。
ここ数日の記憶に自信を持てなくなっている、そのことをいいことに自分をからかっているだけではないかと勘繰ってしまう。
だから、呼び出した。
会って、アイツの目を見て話さねば。
なのにアイツは、時間になっても来やがらない。
湿気の多い蒸れた空気の中で待っていることもあり、時計の針が進むたびに単調な怒りが沸々とこみ上げてくる。
そこへ、
「だーれだ?」
「……まずは謝れ」
「ごめーんなさい。で、だーれだ?」
「誠意を持って謝れ」
「遅れてごめんなさい」
「よし。待ってたぞ、アキ」
ハルは目隠しをする手を払いのけ、後ろを振り返る。そこには満面の笑みを浮かべたアキがいた。
手を伸ばせば、容易に彼女の肩を掴めるほど二人の距離は近い。ハルはアキの瞳を真正面から見つめる。対してアキもその大きな瞳で見つめ返した。
「お待たせしました、ハル先輩」
「早速で悪いが、この前電話で話した内容を覚えてるよな?」
「はい、覚えてますよ」
「あれは――本当のことか?」
「本当です」
「……マジか」
「マジです。大マジです」
ハルは「はぁーっ」と大きく溜息を吐く。答えるアキの目に、嘘をついている様子はなかった。彼女の嘘は、ハルであれば目を見て分かる。
確信した。あの数日は本当だった。
ハルはもう一度、アキと対峙した。
言いたい事は山ほどあったが、あの日、言えなかった言葉をまずは口にした。
「おかえり、アキ」
その言葉を聞き、アキは笑みをより一層深めた。
「ただいま、ハル先輩」
〇
その直後のことだった。
アキのスマホが震え出した。彼女がスマホを取り出して画面を確認すると、画面は白く染まっていた。
震動はなお続く。長く、長く、収まる気配がない。
「どうしたアキ? 電話か?」
ハルがアキのスマホを覗き込む。電話やアプリの通知でないことは一目で分かった。
「何だろう。故障かな」
画面をタップしても、電源を落とそうとしても、変わりはない。ただ、震動が延々と続いていた。
それから三分は経っただろうか。
スマホの震えはようやく止まった。
しかし、画面は依然、白いままだった。
「待ってください、ハル先輩。中央に何かありませんか?」
アキの問いを確認するように、画面を再度確認する。
画面のほとんどが白一色なのは変わりない。
しかし、中央。歪な楕円に似た小さい何かが、白の中で汚れのように浮いていた。
「何かあるな。コレは……タネ?」
もっと顔を近づけようとした途端、今度はハルのスマホが震動し始めた。
アキのときと同様だ。
真っ白な画面で震動すること数分、落ち着きを取り戻したスマホの画面中央にはタネらしきものが映し出された。
「コンピュータウイルス、じゃないだろうな」
ただの故障であることを願いつつ、その可能性も否めなかった。機械に詳しくないハルは、見事なCGアニメーションを作っていたアキの顔を伺ってみた。
「新手のランサムウェアですかね。脅迫めいたメッセージなどは表示されてませんが」
何やらブツブツとつぶやくアキ。よく分からないが、このまま公園に居てもスマホが勝手に直ることはなさそうだったので、ひとまず帰ることにした。
〇
帰宅道中でも薄々感づいていたが、家に帰り母の話を聞いた段階で確信し、テレビのニュースを見て裏付けが取れた。
例のスマホの症状が、世界各地で起こっていた。
〇
それから三日後、ハルとアキは改めて近所の公園にいた。
「ニュースで言ってましたが、類を見ないコンピュータウイルスだそうですね。世界中で同じ現象が起きているのに、いまだ解決の糸は見えないとか」
「何かすごいことになってるな。震災を思い出す」
スマホやパソコンといった電子機器が一斉に使用できなくなったため、世界中で経済と日常が混乱していた。
幸いテレビやラジオの電波には支障がないようなので、状況は逐一それらのメディアで伝えられた。
「テレビで言ってましたよ。現代の技術じゃ考えられない。まるで未来の技術だって」
「――おい、それって」
はぁ、とアキは小さく溜息を吐く。
「ええ。どうやら、わたしが関係してそうですね。未来に行く途中で妙な空間を歩きましたから、妙なものでももらってきちゃいましたかね」
「そんな、病原菌みたいな。……まあ、コンピュータにしてみればウイルスだろうけど」
「ともかく、未来の技術であれば、現代のエンジニアがいくら頑張っても事態は収拾つかないかもですね」
「そんな。このままじゃあ、本当にヤバいぞ」
混乱が始まってまだ三日しか経っていない。にも関わらず、スーパーやコンビニの棚はほとんど空になり、入荷も未定なものがほとんどらしい。飛行機は欠航が相次ぎ、テレビの向こう側でもやけにバタバタとした大人たちが映し出されていた。
中学生の自分でも社会の危機であることは理解できる。一刻も早い復旧が、世界中で望まれている。
「コレは本当にヤバいですよね」
「ヤバいって」
「何とかしなきゃですよね」
「――できるのか? なんとか」
アキは肯定も否定もせず、おもむろに右手を掲げた。
その手には、刃を剥きだしたカッターが握られている。
「見てるんでしょうお。ねえ」
「おい、何するんだ。止めろ。アキ」
「しっかり見ててくださいよお!」
叫び声と共に刃を自身の目に向けて振り下ろす彼女。
ハルは必死に止めようとするが、距離がある。間に合わない。
「アキ!」
柔らかな眼球を刃が突く寸前だった。アキの右手は突然の来訪者によって止められた。
ハルの知らない人。背の高い女性だった。
女性はアキの手からカッターを奪い、手を離す。支えを失ったアキの身体は膝から崩れ落ち、地面に尻をついた。
「はは、はあ。よかった。助けに入ってくれると思いました」
「わたしが助けなければ、本当に大怪我を負ってましたよ。下手すれば死んでたかも」
「そうですよね。めちゃくちゃ恐かったですもん。よかったあ」
「……あなたがそこまで身体を張る理由は分かってます。あなたの憶測通り、こちらの混乱は未来の技術があなたを通して流入してしまったせいです。わたしのミスです。ろくに確認もせずゲートを開けたから」
「謝罪はいいんです。そちらにも事情はあるでしょうから」
緊張で荒くなった呼吸を落ち着けると、アキは両足に力を込めて立ち上がった。女性を見上げる目も力強い。
「この混乱を鎮めてください。できるのでしょう?」
「過去への過度な干渉は禁じられています」
「未来からの干渉で、いまこんなことになっているのに?」
「――偶発的な流入と、故意の干渉は違います」
「このままじゃあこの時代がめちゃくちゃになって、あなたがいる未来が消えちゃうかもですよ?」
「今回の事象によるバラフライエフェクトはあちらでも把握しています。多少の問題はあるが、受容できる範囲だと」
「世界をこれだけ騒がせて、多少の問題?」
「はい」
「この分からずや!」
その後も十分以上に及ぶ問答が繰り広げられ、アキの頭が段々と働かなくなった頃、女性はようやく折れてくれた。
「まあ今回はこちらの落ち度もありますし、何とか致しましょう」
〇
アキと口論を繰り広げた後の女性に、ハルは聞いてみた。
「何でアイツにそんな意地悪をするんだ? 最初から何とかするつもりだったんだろ?」
アキをちらと見る。不貞腐れたように地面に寝転がっていた。
「そうですね。理由を言うとすれば、わたしも彼女と同じ性質だから、でしょうか」
「同じ性質?」
「好きな人にはイタズラしたくなる性質です。そういう血筋なんです」
女性は右手の人差し指を唇に当て、小悪魔じみた笑みを浮かべたのだった。
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