吸血鬼は恋をする

月之 雫

吸血鬼は恋をする

「おじちゃん、かっこいいね!」

 玄関先、母親と手を繋ぎ訪ねて来た少女レンは俺を見るなりぱあっと目を輝かせた。

「お兄ちゃんよ、レン」

 母親が慌てて訂正する。俺の見た目はだいたい20代後半ぐらいだろうと思う。この容姿のままずっと変わらない。実年齢はもう数えていないのでわからないが、この母親よりもはるかに年上であることは間違いない。多分200か300かそんなもんだと思う。

「いえ、子どもから見たらおじちゃんですよ」

 目の前の少女はまだ10もいかないぐらい、小学校低学年といったところだろうか。そんな年頃から見れば30前ぐらいの男はおじちゃんで間違いないだろう。実際のところはおじいちゃんでも問題ないぐらいなので全く気にはならないが、初対面でそれは失礼だと母親は思ったのだろう。慌てて俺に愛想笑いを見せた。

 母親は娘と共に引っ越しの挨拶に来ていたのだ。隣の家に引っ越して来たらしい。そこそこ大きな一軒家にこんな若い男一人暮らしで驚かれたかもしれない。

「おじちゃん髪ピカピカでかっこいいね」

 訂正することもなくレンは俺の金髪を触ろうと腕を伸ばしピョンピョンと可愛らしく飛び跳ねる。やめなさいと制止する母親の言葉など全く耳には入らないようだ。

「外国の血が入ってるからね、地毛だよ」

 やんちゃなお嬢ちゃんの願いが叶うよう長身を折り曲げて見ると、嬉しそうに小さな手で俺の髪に触れた。


 それが俺とレンの出会いだった。今から4年前の出来事だ。

 物怖じしない少女は妙に俺に懐いてしまい、事あるごとに隣家に押しかけてくるようになった。俺もなんだかそれがとても楽しくて癒されていた。長い人生で子どもと一緒に過ごしたことはほとんどなかったからだ。裏表も駆け引きもない真っ直ぐな生き物といると、些細なことが新鮮だった。


 楽しくて、恋をすることを忘れていた。

 4年に一度、4年間の恋をするのが俺の生活サイクルだ。なぜなら4年に一度食事が必要だからだ。俺は人ではない。4年に一度、人の血を飲むことで生きている。人間一人分の血を全て飲み干せば4年間食事なしで生きられる。最低限の犠牲で生きるためにはこのサイクルがギリギリのところである。だから俺は、その人の命をもらう代わりに4年間恋人として甘い日々を贈るのだ。愛する人の血がいちばん美味い。そしていちばんつらい。人の命を奪うことは苦痛であるとこの身に知らしめるために俺は最も愛する人の命をいただく。これは化け物である自分に自ら課した枷だ。人を襲うことが決して快感にならぬように。


 レンとの出会いはちょうど前回の食事が終わった後、まだ新たな愛する人を見つける前だった。新しい恋を探しに出なければいけなかったのに、家でレンが来るのを心待ちにする日々を送ってしまった。そろそろ飢えが始まるというのに恋人がいない。


 いや、もしかするとこれが新しい恋だったのかもしれない。性的欲求とは無縁の、けれど互いに存在を求め合う、そんな恋もあるのかもしれない。


 小さかった少女はこの春中学生になり、セーラー服に身を包んでいる。今でも学校帰りに当たり前のように俺の家に上がり込んでくる。

「ねえ、ツカサ〜」

 もうおじちゃんとは呼ばない。その代わり生意気に呼び捨てにしてくる。

「仕事まだ終わらないの?」

 俺は自宅で書き物をしている。いわゆる作家というやつだ。締め切り間近でここ3日ぐらいレンに構ってやれずにいる。だから彼女は拗ねているのだ。仕事だから仕方がないということはわかっているが、嫌なものは嫌。まだまだ精神的に子どもなのだ。

 しかし、物分かり良くされるより、そんなふうにあからさまにつまらない顔をして駄々をこねられる方が嬉しいと思ってしまう俺は結構重症なのだろう。可愛いと素直に思う。

「このところ思うように筆が進まないんだ」

「なんで?スランプっていうやつ?」

 歯に衣着せずグサリと刺さる言葉を繰り出されるのも嫌いじゃない。むしろ気持ちが良い。長く生きていると刺激が欲しくなるものなのかもしれない。

「というより、あまり体調が良くないからかな」

 普段は食事も睡眠も必要のない体だ。時間はたくさんある。けれど飢えが近づき、体が思うように動かない時がある。体が限界に近づき、眠るわけではないけれど、体を横たえじっとしている時間が徐々に長く必要になってくる。単純に書く時間が足りないのだ。

「病気?どこか悪いの?死ぬの?」

 机に向かって座り背を向ける俺に近寄って来たレンは覆いかぶさるようにして俺の顔を覗き込む。

 ゾワっと背筋に寒気のようなものが走った。

 この感覚は知っている。欲望だ。食らいつきたくなる渇望。

 俺はこんな子どもにも欲情するのかと自らに失望した。こんな未来ある子どもの命を奪おうというのか。

「大丈夫だからちょっと離れて」

 手で頭を押し戻すと、レンは不満そうに頬を膨らませた。

「やだ!」

 背後から首元に伸びた白い腕がぎゅっと俺を抱きしめる。

「おまえさあ…」

 ペタペタと無遠慮に顔の上を掌が這い回り、やがて額の上で止まる。熱でも測ろうとしたらしい。

「耳が赤かったから熱でもあるかと思ったけど、熱くないね。むしろ冷たいぐらい」

「だから大丈夫だって」

 甘い香りに心拍数が跳ね上がる。

 俺は両手で自分の目を覆った。きっと今の俺は瞳の色が変わっている。血を求め、血と同じ色をしているはずだ。見られたくはない。

 なのに。

「ねえ、なんで隠れるの?そういうの私嫌い。大人はすぐ子どもだからって隠し事をするんだから」

 最大限の力でもって、レンは俺の掌を剥がそうとする。

「ねえ、こっちを見て」

 いつしか最初の目的を忘れ、ただ俺の掌を剥がして顔を見ることだけがレンの目的となる。中学生とはこんなにも幼いものだっただろうか。

 だけど可愛い。こんなにも自分の欲を丸出しにできる強さが愛おしい。愛おしいと思えば思うほど、俺の中で欲望が高まる。口内が吸血のために変形するのを感じた。飢えを抑えられない。

 掌一枚の攻防が繰り返され、やがて椅子ごとひっくり返った。

「やりすぎだ、レン。平気か?」

 一緒に倒れ込んだレンが怪我をしないよう咄嗟に頭を抱え込んだが、どこか打ち付けていないだろうか。

「だいじょぶ。びっくりしたあ」

 レンは俺の腕の中から顔を上げ、痛いところはないかと自分の体を触る。そして制服のスカートが捲れ上がっていることに気付くと慌ててそれを直した。そういった恥じらいは一応あるらしい。

「だけど勝負は私の勝ちだね」

 レンを守るため、顔を覆っていた掌はなくなっていた。

「目が赤くなってる。どうしたの?」

「怖いか?」

「綺麗だね。ツカサの金色の髪によく似合う。かっこいいね」

 レンは初めて会った時と同じように目を輝かせる。

(ああ、ダメだ)

 レンが好きだ。

 そう思うと同時に意識が飛んだ。本能が理性を侵していく。飢えを癒したい。

 レンの白い首に鋭い牙が突き刺さる。柔らかい肌の感覚と、えも言われぬ甘い味わいが口の中に広がる。

 満たされる。

 腹の奥に熱が広がる。

(ごめん、レン。俺が君みたいな子どもに恋をしたばっかりに)

 一度食い付いてしまえばとどまることは不可能だった。それが俺という化け物だ。

 恋をすると同時に失われる。

 そういうものだ。

(なんでうちの隣になんて越してきたんだ。なんで俺なんかに懐いてしまったんだ)


 全てを吸い尽くすと名残惜しく牙をひい抜いた。さっきまであんなにやんちゃだった細い体がぐったりと力なく横たわっている。

 まだ口付けもしていない相手の血を飲むのは初めてだった。処女の血は格別だと言っていたのは誰だっただろうか。

 首筋の傷跡からこぼれ落ちる最後の一雫を舌で丁寧に舐め取った。

「君が大人になった姿を見たかったな…」

 そんなこと、俺が言えた義理ではないけれど。

「でも子どもの君が俺は大好きだった」

 もう二度と言葉を紡ぐことのない少女に愛を囁く。

「俺は君の初恋になれたかな」

 相手の思いを確かめずに吸血したのも初めてだ。

「ごめんね」

 これまでの誰よりも胸が痛かった。これが俺の罪の重さだ。化け物の俺が生き延びるための罰だ。犠牲者の命の重みだ。


 つらくなるために恋をする。

 そんなこと、何の贖罪にもならないけれど。

 人の命をいただかねば生きていけない俺のせめてもの苦だ。甘んじて受ける。


 吸血鬼は4年に一度の恋をする。

 その命のために真摯な恋をする。

(でももう二度と、子どもには恋をしない)

 失うものがあまりにも多すぎる。

 俺の命に、子どもの未来まで奪えるほどの価値はない。


 子どもの味はレンの思い出と共にだけあればいい。

 いつか俺の命が尽きる日まで、忘れない。

 ただひとりの。




 


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