影踏み王子

遥飛蓮助

影踏み王子

 のちにYは語る。



 T県S町に住む子どもたちの間で、『影踏み王子』と呼ばれるものの噂がある。

 十三夜の晩、月明かりの下で影踏み鬼をすると、影の中から現れるという黒いおばけのことだ。

 頭部は人の形をしているが、のっぺりとした顔には鼻と口がない。目はあるものの、それぞれ大きさが異なるらしい。

 右目は顔半分を占めるほど大きく、ごま粒大の黒目がキョロキョロ動く。左目は一円玉ほどの小ささで、黒目はまったく動かないという。

 長い三本の指のようなものを出すこともあり、子どもを影の中に引きずり込もうとしているようにも見えるらしい。

 だが、驚いた子どもの様子を見ただけで、当人はすぐ他の影へ逃げてしまうことから、見た目に反して臆病な一面があるという。

 悪さもしなければ怖がる必要もない。その上臆病なら、なにも噂をするほどではないだろう。

 そんな疑問を持った少年Yは、クラスメイトたちに、影踏み王子を呼び出してみないかと誘った。YはS町の小学校に転校したばかりで、影踏み王子の噂を聞くのは初めてだった。

 怖がる必要がないなら、逆にこちらから脅かしに行こうと思ってのことだった。

 Yの呼びかけに対し、クラスメイトたちは乗り気ではなかった。「興味がない」や、「面倒くさい」というのが主な理由だった。

 中には、「影踏み王子が出る十三夜の晩は、近所の人たちがぼたもちを持ち寄って、神社でお月見をする行事があるから、子どもだけで行動するのは難しい」と話す子もいて、噂をするわりに、誰も影踏み王子に興味がなかった。

 深まる謎が、ますますYの好奇心をくすぐった。

 学校を終えたYは、その足で自宅近くの公園へ向かった。十三夜前日のことである。

 公園にY以外の人影はなく、赤々と燃える夕陽が、遊具、木々の影を長く伸ばしていた。影踏み王子を呼び出すには絶好のシチュエーションだった。

 しかし、Yはあることを思い出して落胆した。影踏み鬼のルールのことだ。

 影踏み鬼のルールには、『開始の合図で一斉に他の人の影を踏んで競う』ものと、『鬼役が他の人を追いかけて影を踏む』ものがある。どのみち一人では、影踏み鬼をすることはできない。

 何もしないまま帰るのは癪だと思ったYは、「影踏みする者寄っといで!」と叫んだ。案の定、何も起きなかった。

 公園の中をあちこち見て回り、ようやく諦めがついた頃には、夕陽は群青色の空に消えていた。Yは急いで自宅に帰った。

 翌日の晩。つまり十三夜の晩、Yは家族と一緒に神社へ向かった。S町は街灯の少ない町だったが、煌々と輝く月のおかげで、足元の影が見えるほど明るかった。

 途中でクラスメイトの家族と合流し、ぼたもちとおはぎの違いについて話をした。Yは、餡の中の米を半分潰すことから『はんごろし』とも呼ぶことをクラスメイトに話すと、クラスメイトは腹を抱えて笑った。

 神社の敷地にはビニールシートが敷いて、大人も子どももそれぞれ輪を作って座っていた。

 大人たちがぼたもちを食べたり、杯を傾けているのに対し、子どもたちはぼたもちを食べることより、ゲームの話に夢中だった。

 Yもクラスメイトたちの輪に入るかどうか迷ったが、両親の後ろについて大人たちの輪に入った。影踏み王子の噂について、大人たちに聞きたかったからだ。

 大人たちに勧められるがままぼたもちを食べ、前の学校や町の話した後、Yは影踏み王子の噂について尋ねた。

 なぜ、影踏み王子の噂をするのか。噂をするのに、なぜクラスメイトたちは興味がないのか。そもそも、影踏み王子とはなんなのか。

 クラスメイトたちに影踏み王子を呼び出してみようと誘い、「興味がない」「面倒くさい」と言われたことも話した。すると、杯を傾けていた男性が、自分も子どもの頃に似たようなことをやったと話してくれた。

 どうして疑問に思ったことを、他の子や大人に聞かなかったのかと尋ねると、男性は「たぶん」と前置きした上で、『それ』が当たり前だったからと答えた。

 Yは、男性が口にした『それ』が、影踏み王子の存在のことだと思った。

 子どもたちはみんな、「神様は見えないけれどいる」という感覚と同じように、影踏み王子が現実に存在することを、ごく自然に受け止めているのだろう。

 たしかに、クラスメイトたちに影踏み王子を呼び出してみようと誘った時、「興味がない」「面倒くさい」と言っていたが、「影踏み王子なんていない」「あんなのただの噂だ」と言う子はいなかった。

 かつて子どもだった大人たちや、興味の対象がゲームなどに移ったクラスメイトたちの中には、影踏み王子がちゃんと存在しているのだ。

 熱心に話を聞くYに感心したのか、男性は、影踏み鬼にまつわる昔話を語り始めた。



 十三夜前日の晩、用事で帰りが遅くなった町娘が、何かから逃げるように自分の家に飛び込んできた。

 尋常ではない様子に慌てた両親は、娘に何事かと尋ねた。

 娘は、歩いている途中、月明かりの下で影踏み鬼をしていた子どもたちに、自分の影をこれでもかと踏まれたと答えた。

 両親は「なんだ、そんなことか」と呆れつつ安堵したが、娘は思いつめた様子で、「『そんなこと』なんてものじゃないわ……自分の影を踏まれると、何か悪いことが起きるのよ……」と言った。

 両親も、一部の人が噂をしていたことは知っていた。運が悪くなるだとか、寿命が縮むだとか、もしそのようなことが本当に起こったのであれば、影踏み鬼はとっくの昔に禁止されているはずだ。

 娘は、小さい冗談でも間に受けてしまう気質だったこともあり、両親は「ありもしない迷信に気を揉むなよ」と言った。

 しかし、娘は気を揉むどころか、いっそうふさぎ込んでしまった。

 月明かりの下を歩くのが怖いとか、夜道を歩くのが怖いとか言って、夜に出歩くことをしなくなり、やがて、太陽の光や蝋燭の火も怖がるようになった娘は、真っ暗な部屋に引きこもるようになった。

 どうしたものかと両親が悩んでいると、娘と恋仲の男が訪ねてきた。出稼ぎのために町を離れていた男は、娘のただならぬ様子を聞いて飛んで帰ってきたという。

 男は娘に寂しい思いをさせた責任から、「久しぶりに、二人で散歩でもしないか?」と言って、娘を外へ連れ出すことに成功した。娘が影を踏まれてからひと月経った、同じく十三夜前日の晩だった。

 男は娘の手をしっかり握り、家々の影に隠れながら歩いた。男は出稼ぎ先での出来事を、身振り手振りを使って娘に話した。

 時々、近所迷惑にならない程度の大声を出しては、娘の様子を窺った。

 娘は俯いたままだったが、男の話に「そうですか……」と低い声で相槌を打ったり、男が町に帰ってきてから、ろくに挨拶ができなかったことを詫びた。

 娘は化粧をしていたものの、その肌には以前の溌剌さがなかった。生気を失ったというよりも、娘の奥深くにあったもの――。

 十三夜の月が煌々と輝くものなら、今の娘は、青白い三日月のような鋭さと、冷たい美しさを称えていた。

 男は、娘の美しさに生唾を飲んだことを恥じ、自分の後ろに視線を向けた。

 すると、今まで話に夢中になって気が付かなかったのだが、月明かりが、家々の細い隙間を縫い、二人を淡く照らしていたのだ。

 それだけではない。薄墨で描いたような二つの影のうち、一つは男のものだったが、もう一つは、骸骨の影だった。

 一瞬で恐怖に飲まれた男は、娘の手を引いて走り出した。娘が自身の影を見たかどうか、それすらも振り払うように、男は無我夢中で走った。

 男は蕎麦屋の提灯が見える辺りで止まると、今度は娘の姿がどこにもないことに気が付いた。

 すぐさま元の場所へ駆けると、娘は仰向けに倒れていた。

 男が娘を抱き起こそうとすると、そこに第二の恐怖が待っていた。

 娘は、月に向かって、目をカッと見開いて、死人のように冷たくなっていたのだ。



 自分の影を踏まれると、何か悪いことが起きる。

 娘が信じていた迷信が現実となるや否や、すぐ「影を踏まれると、自分の影が骸骨になる」「影が骸骨になると死んでしまう」という噂が流れ、中には「影を踏まれずとも、自分の影が骸骨に見えた」と言う者まで出てきた。

 昔話を聞き終えたYは(途中から両親の後ろに隠れて聞いていたが)、男性に「影踏み王子の正体は、その骸骨の影なのか」と尋ねた。

 すると男性は、ケロッとした顔で「知らん」と答え、Yの質問に質問で返した。

「さっきの昔話も、影踏み王子のことも、どっちも同じものかってことも、信じるか信じないかは俺の勝手だろ? 分からないから質問するのは感心するけどよボウズ、お前はそいつらのこと、どう思ってるんだ?」

 信じようと信じまいと、この町には骸骨の影の話と、影踏み王子の噂がある。

 影踏み王子が当たり前に存在するなら、もしかしたら、骸骨の影も存在するかもしれない。さっき言った通り、骸骨の影が、影踏み王子の可能性だって有り得る。

 自分は彼らについてどう思っているのか。Yが腕組みして考え始めると、「またアンタは子どもに難しいこと言って!」と、奥さんらしき女性が男性を叱咤していた。

 Yは、難しいことを考えず、自分の気持ちに素直になって考えた。

 それはあっさり見つかった。見つかったというより、影踏み王子の噂を聞いた時から、ずっと思っていたのだろう。

 Yはずっと、影踏み王子に会いたかったのだ。



 T県S町に住む子どもたちの間で、未だに影踏み王子と呼ばれるものの噂がある。

 影踏み王子と、町娘の死を招いた骸骨の影は本当に無関係なのだろうか。

 その謎を改めて検証するため、私は新幹線の中で、小学生時代の話をパソコンにしたためていた。

 少年Yだった私が、影踏み王子に興味を示さなければ、都会の大学で民俗学を学んだり、出版社でアルバイトとして働くことはなかっただろう。

 今回は、両親の「たまには顔を見せに来なさい」という言葉に甘えてのフィールドワーク……もとい、数年ぶりの帰省であることを忘れてはならない。

 忘れてはならないのに、私の頭の中は、影踏み王子のことでいっぱいだった。

 十三夜の晩、月明かりの下で影踏み鬼をすると、影の中から現れる黒いおばけ。

 影踏み王子の正体は、本当に骸骨の影なのか。それとも、一緒に影踏み鬼をして遊びたくて、でも輪の中に入る勇気が出ない、可愛いおばけなのか。

 もし叶うなら、大人になったクラスメイトたちと、月明かりの下で影踏み鬼をしたいと思った。

 大人になったクラスメイトたちが、影踏み王子のことを、『当たり前に存在するもの』として覚えていればの話だが、信じようと信じまいと、それはこちらの勝手。であれば、私は信じる方を選びたい。

 影踏み王子の存在も、クラスメイトたちと再会する未来も。

 我ながらクサイことを考えるな、と思いながら、私は新幹線の窓から故郷の景色に目を向けた。

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