愛しい君に花束を
王都の裏道を僕は先程から駆けている。駆け続けている。
こんなに走ったのは、『花の谷』で幼かったキファと追いかけっこした時以来かもしれない。
懐から、獅子族の少女に二十九歳の誕生日の贈り物として貰った懐中時計を取り出す。
『せんせー、それ、すっっごい懐中時計なんだよっ! 大事にしてね? あ……これは、別に他意はないんだけど~ボク、来月、誕生日なんだ~。十六歳になるし~持ち歩ける時計が欲しいなぁ~。お揃いの☆』
分かりやすいおねだりをしてきた少女の顔を思い浮かべ、時計を確認。
……まずい。時間がない。
このままじゃ、キファが――……。
※※※
「…………えっ? 教授、今、何て、何て仰いましたか?」
「フレッド。君、その歳で耳が遠くなったのかい? 余りにも人付き合いをしなさ過ぎるのも考え物だと思うよ。――うむ。良いお茶だ」
目の前で悠然と紅茶を飲む初老の男――王国最高にして最悪の魔法士の一角として異名と悪名を大陸全土にバラまき続けている、通称『教授』を僕は睨みつけた。
……ここ数日は論文をまとめる為に何日も徹夜をしていた。
そして、獅子族の少女も気を遣ったのか、研究室に遊びに来ず、それで余計に苛々してしまい、大学校外へお茶を飲みに来たのが運の尽きだったか。
僕は取り繕うようにカップを手に取り、紅茶を飲む。
「――キファ嬢の婚約は事実だよ。本決まりだ。既に陛下の許可も出ている。まさに今日、相手との顔合わせだそうだ」
「っっ!?!!」
動揺の余り手が震える。
あの子が、キファが、婚、約……??
頭が真っ白になり、思考がまとまらない。
教授はカップを置き、御茶菓子を手に取り、説明を継続。
「そこまで驚くことかな? あの御嬢さんは、『花の谷』を統べる獅子族の直系。そして――今、王国は大変革期にある。キファ嬢はとてもとても優秀だそうだし、年齢から考えてみても、そこまでおかしい話ではないだろう?」
「…………」
正論だ。余りにも正論。
僕には、この話に異議を唱える権利なぞない。
……なのに、何でだ。
それを受け入れることが出来ない。出来やしない。
僕は、微笑んでいる恐るべき魔法士と視線を合わせる。
「……教授、お願いがあります」
※※※
教授から『キファと婚約者が会う』という場所を聞き出した僕は駆けに駆けた。間違いなく生涯で一番、駆け続けた。
――辿り着いたのは、王宮付近のとある御屋敷。
正門前には多数の警護兵。
キファの御相手は大貴族。家紋からしてオルグレン公爵家らしい。
さて、どうやって中へ――足に何かが触れた。
目線を向けると、そこにいたのは
「……教授の黒猫? どうして、此処に――っ!?」
黒猫が一鳴きしたのが聞こえ、僕の身体は闇へと間違いなく落下。
こ、これは、闇魔法!?
――思考がまとまる前に、いきなり冷たい石の床に叩きつけられた。
「痛っ! ここは――……礼拝堂、か?」
「――あれ? せんせー??」
「!」
立ち上がろうとしていると、後方から少女の声がした。
振り向き――言葉を喪う。
「??? せんせー? え? どうしたの?? お仕事、終わったの??」
キファが近づいて来て、僕の顔を覗き込む。
――少女は、白のドレスを身に纏っていた。背後のステンドグラスから光が降り注ぎ、輝いている。
僕は思わず呟く。
「……綺麗だ」
「!?!! せ、せんせー!? い、今、何て、何て、言ったのっ!!!」
「……キファ」
僕は手を引かれ立ち上がり、片膝をつき、懐から懐中時計を取り出す。
「え? ええ?? せ、せんせー???」
「……どうか受け取ってほしい。そして――」
言い淀む。
……本当にそれで良いのだろうか?
僕がこれから口にしようとしていることは、この子にとって、良いことなのか……舌打ちと、何処かで聞いたことがあるような少女と少年の声が聞こえてきた。
「……ちっ! じれったいわねっ! 此処までお膳立てしたっていうのに。まるで、何処かの下僕みたいだわ。わっ!」
「……その下僕さんからの伝言だよ。『そんなことを言う我が儘公女殿下には、午後のお茶無し!』だってさ」
「! ひ、卑怯よ!! 私とお茶を飲みたくないわけ!?」
僕達以外に誰かがこの場所にいる――キファが懐中時計を手に取り、次いで僕の両手を包み込んだ。
「――……せんせー、お願い。言って?」
「――……王立学校を卒業したら、僕と、僕と、結婚してほしい。だから、貴族となんか婚約なんかしないでおくれ。お願いだ」
「!!!!!」
キファの獣耳と尻尾が膨らみ、大きな瞳が見開かれる。
懐中時計ごと僕の両手を握りしめ、綺麗な笑みを浮かべた。
「…………はい。喜んで。――えへへ♪ フレッド☆」
キファが僕に抱き着いて来た。優しく受け止め、背中を撫でる。
……さて、ここからどうしようか。
キファが腕の中で聞いて来る。
「でも、フレッド」
「何でしょう」
「――婚約って、何のこと? ボク、今日は此処で、リンスター公爵家とハワード公爵家のメイドさんに頼まれて、撮影会の御仕事をしてただけだったんだけど……」
「…………はぁ?」
思わず呆けた声を出してしまい、少女をまじまじと見つめる。
その時だった。僕を呼ぶ少年の声がした。
「フェアチャイルド卿! これを!」
空中を花束が舞う。手を伸ばし受け取る。
――それは紛れもなく『花の谷』の花々だった。
慌てて周囲を見渡すも気配は皆無。
花束には伝言用の小さな紙。
『『花』の御礼と、フェアチャイルド辺境伯の依頼で少しだけお節介を。どうか御容赦ください。追伸:教授から被害を受けたのなら、貴方は僕達の同志です』
――……謀・か・ら・れ・た。
僕は頭を抱えたくなりながらも、嘆息。
キファを抱きしめる。
「……何でもありません。キファ、この花束を持ってください。きっと、君に似合いますから」
――なお、僕とキファの婚約話が陛下の許可を受けていた、というのは事実だった。
僕が少女とした約束を果たすまでには、これから先も色々な出来事があったのだけれど……その話はまた次の機会に。
追記:その日を境に、僕が『教授、被害者の会』へ入会したのは言うまでもない。
花竜の飛んだ後に 七野りく @yukinagi
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