ブラック・レター
烏川 ハル
ブラック・レター
その日の夜。
一日の仕事を終わらせて帰宅したルン・メグは、ドアの扉に手をかざしたところで、大声を出してしまう。
「これだから、行政府で働くのは嫌なのよ。毎日毎日、人を遅くまでこき使って!」
彼女が愚痴を吐きたくなったのも無理はない。玄関扉の魔法錠が、全く反応してくれないのだ。おそらく、仕事で魔法を使い過ぎて、魔力が空っぽなのだろう。
仕方がないので、魔法ではなく物理的に開けることにする。鞄から金属製の鍵を取り出しながら、
「こういう場合に備えて、二重構造にしといて良かったわ……」
と呟くルン・メグ。
だが、そもそも、こういう場合に備える必要があること自体、何か間違っているとも思う。
「こういうことがあると、魔法が使えるのを隠す人がいる、って話も、理解できるのよね……」
伝説によれば、昔は誰にでも魔法が使えたのだという。しかし現代では、ごく一部の人間にしか、魔法は使えない。希少だからこそ、官吏としてスカウトされて、役所に勤めるのが普通なのだが……。
「役人仕事が、まさか、ここまで過酷だなんてね! これじゃ給料に見合わないわ!」
文句を言い続けながら、我が家に入るルン・メグ。
バタンとドアを閉じると、バサバサという音が続く。
郵便受けから、挟まっていた郵便物が落ちてきたのだ。
彼女の家は郵便ポストを設置しておらず、扉に郵便受けが一体化したタイプ。ドアの内側で郵便物を拾いながら、ルン・メグは小首を傾げた。
「……あら。何かしら、これ?」
いくつかの手紙の中に、不思議なカードがあったのだ。
片面にはルン・メグの名前と、この家の住所が記されている。だから、これも郵便物なのだろう。配達人が届けてくれたものに違いない。
しかし、その裏面には、用件も何も書かれていなかった。一面、真っ黒に塗りつぶされていた。
「誰かのいたずらかしら。気味が悪いわね」
平時ならばともかく、今のルン・メグは、攻撃魔法で悪漢を撃退することすら出来やしない。魔力の尽きた魔法使いなど、本当に役立たずに過ぎなかった。
少しゾッとして体を震わせながら、黒いカードは他の手紙と共に机の上へ。
手紙を読むどころか、シャワーを浴びることも着替えることもせずに、ルン・メグはベッドに倒れこんだ。
とりあえず、一晩しっかり眠れば魔力は回復する。明日も早いが、幸いなことに、週末が近い。
「あと二日。二日我慢すれば、一日ゆっくり休める日が来るから……。むにゃむにゃ……」
ルン・メグの独り言は、途中から、寝言になった。
――――――――――――
それから丸二日、ルン・メグは仕事に励んで……。
待ちに待った休日。
「ふわぁ、よく寝た……」
目覚めたルン・メグは、思いっきり伸びをしながら、ベッドを出る。
窓に目を向ければ、差し込む日差しは朝の光ではなく、明らかに午後のものだった。
「まあ、仕方ないわよね」
自分に言い聞かせてから、浴室へ。顔を洗いながら鏡を見ると、若くて元気な顔が映っている。たっぷり眠ったので、気力も魔力も充実しているのだろう。
「気分もいいし……。今日は、美味しいものでも食べに出かけようかしら?」
食事のことを考えたら、お腹が空いてきた。外出できる格好に着替え始めたところで、机の上に積み上げた手紙の束が目に留まる。
「一応、見ておくべきよね」
一週間分の郵便物だ。
といっても、郵便受けから取り出した際に差出人をチェックして、大事そうな手紙はその場で開封している。だから残ったものは、広告とか時候の挨拶とか、たいして意味のない手紙ばかりのはずだった。
「あら。あの子、もう子供が生まれたのね。あの子だって、まだ子供みたいなものなのに……」
とか、
「えっ? あいつ、いつのまに結婚したの? 『お互いずっと独身だったら』って約束は、冗談だったのかい!」
とか、古い友人からの挨拶状に、いちいちツッコミを入れていくルン・メグ。
そうやって、手紙の束を処理していくと……。
出てきたのは、黒いカード。先日の、不思議な手紙だ。
「あら。そういえば、これ……」
と、手に取ったところで。
カードが、謎の光を発し始めた!
「あっ!」
思わず声を上げてしまうルン・メグ。
一面が真っ黒だったカードから、黒い粉が浮き上がり、剥がれ落ちていく。まるで、風に飛ばされていく煤のようだ、と彼女は思った。
ただし、全ての『黒』が消えたわけではない。一部は残る『黒』。それは、ちょうどカードの上で、文字の形を成していた。
読んでみると、招待状だった。冒頭には『魔女集会のお知らせ』と書かれている。
「なるほど。そういう仕組みだったのね……」
どうやら、魔力に反応して文字が浮かび上がるシステムだったらしい。
確かに、封書ではない以上、配達人にも手紙の内容を読まれてしまう。無関係な者の目に触れないようにするならば、魔力を持った者――つまり魔法使い――にしか読めないギミックを施すのは、理に
「でも、受け取る相手が魔力ゼロになるほど忙しく働いてる、なんて事態は想定外だったのね」
苦笑するルン・メグ。
「それにしても……」
魔法使いではなく『魔女』とは。
古めかしい呼び方だ。
そういえば、大陸随一と称えられるサ・マンサも「魔法使いと呼ばないで。私は魔女よ」と言い張っていたっけ……。
「古い卒業生として、一度だけ、魔法学院を訪れたサ・マンサ先輩。当時学生だった私にも、気さくに話しかけてくれたけど、まだ私のこと覚えておられるかしら?」
そんなことを思いながら、招待状の文面に目を通すと。
主催者として記載されていたのは知らない名前だが、ルン・メグを招待するように推薦した『魔女』は、そのサ・マンサなのだという。
「えっ! あのサ・マンサ先輩が?」
覚えているどころか、ルン・メグのことを、高く評価してくれていたらしい。確かに、あの時サ・マンサの前で披露した魔法は、探査魔法とか反射魔法とか、使い手の少ない魔法ばかりだったが……。
「いけない!」
思い出に浸りそうになったルン・メグは、招待状に書かれていた場所と日時を確認して、椅子から飛び上がりそうなほど驚いた。
場所は、転移魔法を駆使しなければ行けないような僻地。日時は、今日の夕方。
つまり……。
「今すぐ、向かわなくちゃ!」
せっかくサ・マンサ先輩が招待してくれたのだ。欠席でもしたらバチが当たる。
いや、それだけではない。あの有名なサ・マンサ先輩が、本当に自分を評価しているのであれば、今よりも良い職場を紹介してくれるかもしれない……。
少しの打算も込めながら。
急いで魔法化粧を施したルン・メグは、招待状を鞄に入れて、ルンルン気分で魔女集会へと向かうのだった。
(「ブラック・レター」完)
ブラック・レター 烏川 ハル @haru_karasugawa
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