第70話 奥村家(3)
奥村氏は恵子の横顔を見つめ、悲しさと寂しさの入り混じったような声で恵子のことを話した。
「なんか思い出そうとして、いろんなことをちょっとずつ思い出しては抜けてるところまた思い出そうとするんやろな。けど、途中で何を思い出そうとしてたかわからんようになるみたいやねん。ほんま難儀ですわ……」
シュウは両親を早くに亡くしているし、祖父母のことも記憶にない。父方の祖父母も他界していたのだが、母方は叔父の家に世話になっていたので会いに行く機会もなかったのだ。正直、母方の祖父母が存命かさえわからない。でも、奥村夫妻を見て老人介護というものの厳しさを感じたのだろう。
「たいへんですね……。
お尋ねしたかったことなんですが、今のお話だと特に何もすることもなく帰ったということなんですよね?」
シュウの質問に、奥村氏は頷いて「せや」と答えた。
「クリスが帰るためのヒントみたいなのがあればと思ったのですが……」
「ごめんなぁ……ほんまにすぐ帰ってしもたんや」
シュウが知りたかったことは奥村氏の説明の中にほとんど入っていたし、これ以上何かを訊いてもあまり意味がないとシュウは思う。
「クリスは何か訊きたいことがあるかい?」
シュウが念の為にクリスに確認すると、クリスはこくりと頷いた。
そして、奥村氏に向かって居住まいを正して尋ねる。
「母はどんな理由で父と喧嘩したか、聞いてますか?
わたしが知っている限り、父と母が喧嘩したことなどないんです。連邦王国で一番の仲良し夫婦だと言われてたくらいなので……」
エドガルドとソフィアは非常に仲が良い夫婦で、側室や妾などを迎えることなく幸せな家庭を築いていた。
だから、クリスにとっては何故二人が喧嘩をしたのかが気になるのである。
「なんやったかなぁ……小さいことやったと思うで。なあ、恵子よ」
「ああ? なんや、どないした?」
「ソフィアと旦那の喧嘩の理由、知ってるか?」
焦点が定まらない目で恵子は奥村氏のことをぼんやりと見つめ返すと、返事をした。
「旦那の言うことがコロコロと変わるとか言うとったなぁ。そのくせに――オレのことを理解してない、なんで理解してくれへんねん――って怒るみたいなことを言うてた気がするわ」
「なんや、そんな話もしとったんかいな」
「女同士の方が話しやすいこともあるんちゃうん? 知らんけど」
厨房に奥村氏が入り、ホール側を恵子が仕切っていたのであれば店の規模的にも充分まわすことができる。
当然、カウンター席に座っていたソフィアの相手は恵子がすることになり、ソフィアも同性である恵子には話しやすいというのがあったのは間違いないだろう。
「まぁ、ほんまにソフィアとの会話かどうかわからへんけどな……」
奥村氏が心苦しそうに呟いて恵子の顔を見る。
恵子はハシビロコウのように動くことなく、一点を見つめてぼんやりと座っていて何かを思い出そうとしているようにも見えるし、何か考えごとをしているのかのようにも見える。
「すんまへんなぁ、なんかこう……思い出しても繋がらんことがあると、勝手に妄想して話をでっちあげることがあるんですわ。せやさかい、今のもほんまのことかどうか……」
「あ、大丈夫です。父はそんなところがあるので、納得できました」
奥村氏が申し訳無さそうに説明すると、クリスがフォローに入る。
「母がよく言っていました。父は言うことがよく変わる――でもそれは表面だけで、目的や目標は同じなんだそうです。なにか成し遂げたいことが父の中にあって、それを具体化するための手段がバラバラに口からでてくるだけだと。
でも、それを理解できない周囲の人がもどかしくて気になることを口に出すから余計に周囲が混乱して父の言うことが理解できなくなるのだそうです」
「えらい、感覚だけで生きとるんやな」
「よくお客さんが愚痴っている社長みたいですね……」
クリスの話を聞いて、奥村氏とシュウは感心してしまう。
よほど優秀な部下がいなければ組織が成り立たないだろうと思ってしまうのだ。
「この国ではなんていうのか知らないけど――仕事では優秀な行政官僚というのがいるから大丈夫みたいね。でも、家にはそんな役割の人がいないから、母がよき理解者になっていたんだと思います」
「そらたいへんや。ソフィアも苦労したんやなあ」
「どうでしょう……慣れてしまえば簡単だって母は言ってましたけどね……」
母との会話を思い出しているのか、少し伏目がちにクリスは話した。
それを見ていた奥村氏も、流石に二週間ほどまえに亡くなった母との会話を思い出させてしまったと反省する。
「すまんすまん。余計なことを言うてしもたみたいで……他に訊きたいことは?」
「あ、いえ……大丈夫です。伺いたいことも、もうないです。ありがとうございました」
クリスは丁寧に礼を述べると、隣に座るシュウの顔を見る。
一七時の開店に間に合わなくなることもシュウは心配していたようだが、充分に余裕がある時間で面談は終えられそうだ。
ただ、シュウは一つだけ気になったことがあり、奥村氏に尋ねた。
「ああ、ひとつだけ……ソフィアのこと、誰にも話さなかったんですか?」
「そりゃな……うちの店の扉を開いて突然入ってくるとか、誰が信じるんやって話やがな。結局、こいつとも話をして、誰も信じひんやろから話す必要はないやろってことになったんや」
奥村氏は目を細めて恵子を見る。
相変わらずぼんやりと何かを考えているように見えるのだが、周囲の声は聞こえていないようだ。
「なるほど、そういうことでしたか……」
「すんまへんな……どやろ? クリスちゃんが帰るためのヒントになったやろか?」
シュウとクリスが奥村氏に尋ねたことでわかったのは、「ソフィアが何年か前にに来たことがある」というシュウの推理が正しかったということだけで、「試練」がどのようなものなのかを推理するに足るものではなかった。
それでも、クリスにとっては家族の中でも自分だけがソフィアの過去を知ることができたのだから、収穫はあったと言える。
「充分ヒントをいただきました。ありがとうございました」
シュウは奥村氏に対し丁寧に礼を言う。
実際のところはヒントという意味での収穫はないのだが、恵子の介護で疲れ切っているであろうところに、更にいろいろと思い出させるような無理はさせたくないし、余計な心配をかけたくないとシュウは考えたのだ。
クリスも自分が訊きたいと思ったことは訊けたので、異論はないようだ。
「では、今日の営業もありますのでこれで失礼します。
あ、今日お時間をいただいたお礼です。いろいろとご不便でしょうから、お弁当を用意してきました」
シュウは持っていた紙袋を差し出す。
中には、タケノコごはん、だし巻き、鰆の塩焼き、山菜の天ぷらなどが入ったタッパーが入っている。
「あれま、そんな気ぃ遣わんでもよろしいのに。おおきに、いただいときます。
恵子よ、お弁当もろたで、お礼言わな」
「いやぁ、そうなん。おおきにね。ありがとう」
奥村氏の声掛けで気がついた恵子が慌てて礼を言う。
「またなんかあったら、来てください」
「ええ、またお邪魔させていただきます。ありがとうございました」
シュウとクリスは奥村家の玄関に向かい、靴を履くと見送りに来た奥村氏に再度礼を言って扉から出る。
エレベーターを呼び出して中に入ると、緊張から開放されたのかクリスが大きな溜息をついた。
「ねぇ、本当に収穫ってあったの?」
「試練はなにかということを知るためのヒントという意味ではなかったな。
ただ、クリスの母親が日本に来たことがあるということは間違いないし、同じ扉を開けて帰ったことも確認できたわけだ。
今日はそれだけでもいいんじゃないか?」
クリスは指を顎にあてて首を傾げると、すぐに納得したのか笑顔をつくる。
「そうね、出口は確認できたんだからまた一歩進んだのね……」
そこでエレベーターの扉が開き、二人は今日の営業を待つ店に戻っていった。
朝めし屋-二人の出会いの物語- FUKUSUKE @Kazuna_Novelist
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