第69話 奥村家(2)

 ソフィアが今のシュウが営む店にやってきたことは予想していたとおりである。

 そのときに、滞在時間についてすぐに帰ったのだろうと推理してシュウはクリスに話していたのを思い出した。


「その、ソフィアさんは長く滞在したんですか?」


 シュウは顔をあげて、自分の推理の答え合わせをするように、奥村夫妻に尋ねる。


「……せやなぁ、六時間くらいやったかな?」


 奥村氏が思い出すように少し間をおいてから答えた。


「――もう二〇年は前のこっちゃけどな。

 昼の三時くらいに仕込みしとったらいきなり店の戸を開いて入ってきてん。そらもうビックリしたわ」

「せやせや……ごっつええドレス着てなぁ、襟が変やったけど、ごっつ別嬪さんやったわ」


 先に奥村氏が当時のことを話し始めると、それに応じて恵子もしっかりと覚えていることを話す。認知症といっても何もかも忘れるわけではなく、恵子の場合は比較的新しいことから忘れてしまうことの方が多いのかも知れない。

 特にインパクトが強かったのか、クリスが着ていた刺繍の入った豪勢なドレスのことを考えると、時代的にまだ蛇腹状の襞襟ひだえりが使われていた頃のことなのだろう。


「ほんで、ここはどこやと聞かれたんやけど、ソフィアはクリスちゃんみたいに日本人離れした顔立ちやっちゅーのに、えらい日本語がうもぉてな。

 どこから来たんかとか、こっちが訊きたいのに先に質問攻めになってしもて難儀したんや」

「せやせや……ここは何処やとか、これは何やとか、ぎょーさん訊かれたわ」


 懐かしそうに話す奥村夫妻だが、先ほどまで攻撃的な言葉を発していた恵子が大人しくなっている。目つきや表情も柔らかくなってきた。

 その雰囲気の変化をシュウとクリスも感じたのか、特に話を止めることなく聞き手に徹する。


「それが一時間くらい続いたやろか……やっとこさ儂らが訊く番になってな。最初に名前とか、出身地とかを訊いたんや。それがまた、聞いたこともない国の名前や地名ばっかりでな……世界地図とか店にあるわけおまへんやろ? まぁ、そないな国とか地名があるもんやとおもて聞いてましたんや。そのとき聞いた名前とかもう覚えてまへんけどな」

「せやなあ……」

「あ、お茶飲んでな。冷めてまうよって」


 奥村氏は、シュウとクリスがお茶に手をつけないので飲むように促す。

 ホストである奥村氏か恵子が飲むように勧めなければ手をつけないのが基本的なマナーなので、シュウは待っていたのである。

 一方、クリスは勝手がわからないのでシュウの真似をしようと、シュウがお茶に手を伸ばすのを待っていた。


「はい、いただきます」


 別に喉が乾いているわけでもないが、ひと言挨拶をいうと、シュウは湯呑に口をつけて喉を潤す。


「いただきます」


 クリスもシュウがお茶を飲むのを見て、真似をするように挨拶をしてお茶を飲む。


「ほんでやな、女性に年齢訊くんは失礼やからとおもて、先に何しに来たんか訊いたんや。ほな、なんて返事したと思う?」

「喧嘩したんやて……旦那さんとっ!」


 奥村氏がシュウとクリスに尋ねたというのに、恵子が答えを言ってしまった。

 シュウとクリスはどう返事していいのか判らず、一度目を合わせると困ったように眉尻を下げて苦い笑みを見せる。


「お前が答えを言うてどないするんや……」


 奥村氏も一瞬表情を緩めて呆れたように声をあげると、そのままじとりとした目線を恵子に送る。


「ええやん、別に! 私かて話したいんや」


 恵子は自分が仲間はずれになりたくないのか、それとも頼りにされたいのかはわからないが、とにかく話に絡んでくる。

 奥村氏は眉を八の字にして仕方がないとばかりに溜息をついて、恵子にボールを預ける。


「はいはい。ほな、その先を話してみいな」


 奥村氏が恵子に話をするよう促すのだが、恵子は言葉に詰まって何も話し出すことができない。

 それどころか、思い出そうとすればするほど、表情が険しくなっていく。


「……もうええわ! あんたがしゃべりたいんやろ、ほら、しゃべりぃな」


 恐らくだが、夫の奥村氏が話しだすと恵子はその内容に関係することを思い出すのだろう。逆に自分から話せと言われると、話のきっかけになることさえ思い出すことができなくなるのだ。


「いつもこんなんですねん。気にせんといてな。

 ほんでやな、旦那との喧嘩のあとにソフィアは逃げるように飛び出してきたっちゅーわけや。

 家の中やとどうしても旦那に見つかってまうから、見つからへんところに行きたいと念じたらしい。ほんなら、儂らの店に出たっちゅーこっちゃ」


 話し続けて喉が渇くのか、奥村氏はズズッと啜る音をたててお茶を飲むと話を続ける。


「そのあとは、店の営業が始まったさかい店の中で座って、儂の料理食うて、なんか満足したんか帰るゆーて店の戸を開けて帰ってしもたんよ。

 あ、そういや――ちょっと待ってや……」


 奥村氏はリビングに設置してあるテレビボードの引き出しの中からごそごそと音をたてて何かを探し始める。


「あれ? こっちやったかいな……あ、これやこれや」

「あんた、そんなところにお金隠しとるんかいな!?」

「ちゃうがな、これはソフィアが来た時に置いていった――よっこいせっ」


 恵子がまた不穏な雰囲気をつくって怒りの感情を向ける。

 だが、奥村氏は何でもないように立ち上がると、シュウとクリスの前に何かの枝のような模様が浮き出た歪な金色の板を置いた。真円ではないところがとても雑な印象を受けるのだが、錆びが一切浮き出ておらず、色に斑がないところから純度の高い金を用いた硬貨であることがわかる。


「これ、金貨やろ?」

「楡の木の意匠……わたしの国の金貨です」


 目の前に置かれた金貨をまじまじと見てクリスが答えた。

 奥村氏は自分が座っていたソファに戻ると腰をかける。


「よいせっと……それで嘘やないってこと、わかるやろ?」

「ええ、間違いありません」


 クリスは母ソフィアが来て帰ったという話の裏付けとなる金貨を見て、自分も帰ることができることを確認してホッと息を吐く。

 その様子を見ていたシュウも肩に入っていた力が抜け、硬くなっていた表情もどこか解れて柔和な笑顔が出てくる。


「で、知りたいことってなんや?」


 ソフィアとの出会いについて大まかに説明した奥村氏が尋ねる。

 シュウが知りたいことがあるとアポイントまでとって会いに来たことを思い出したのだ。


「えっと……ソフィアさんは普通に戸を開いて帰ったんですか?」

「せや。なんか憑きもんが落ちたみたいに晴れ晴れした顔で帰ったで。なあ?」


 ぼんやりとしている恵子を見て、奥村氏は自分が話したことに違いがないか確認しようとする。

 だが、恵子はまた何か違うことを考えているのか、ただ宙を見つめて返事さえすることがなかった。

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