幸せになる薬
瀬夏ジュン
幸せになる薬
あたしは幸せになりたかった。
都内の大学に入って、目黒とか恵比寿のマンションに住んでみたかった。
いい服を着て、何人もの男から口説かれてみたかった。
金持ちで優しくて浮気しないヤツをつかまえて、結婚するのがゴールだった。
派手な披露宴には、あたしをイジメた女や、家から出てった父親や、裏切った元カレとかを呼んで復讐したかった。
幸せをつかんだ姿を見せつけたかった。
なのに、このザマだ。
騙すつもりだったのに、また騙された。
実業家を自称するあの男は、やっぱり食わせ者だった。
うまい話にはウラがあるって、じゅうぶん分かってたはずなのに。
増えてしまった借金を、いったいどうしよう。
気前のいい男は、このところめっきり減ってるし。
灰色の夕やみに沈む街。
隠れるように歩くあたしは、身も心もすさみきって、ため息すら出ない。
ボロ雑巾っていうのは、あたしのことだ。
輝いていたのは、生まれた時だけ。
次第に汚れていって、ゴミ箱行き。
ひとりっきりの今日の晩餐は、カップ麺で済まそう。
そこのドラッグストアで安く買おうか。
店の照明が今日はやけに明るい。
強烈な白色光が、あたしの中の醜いものを全て露わにしてしまいそうだ。
照らすだけじゃなくて、いっそこの身を丸ごと焼いてほしい、なんて考えたりする。
最後に燃えて輝くなら、それもいいかもしれない。
まばゆい光線を浴びて立ちつくしていると、「お嬢さん」と声がした。
入り口の横のほうに、ひとがいた。
小さなテーブルを前にして座っている。
背後に旗が立っていて、
< 本日 占い祭り >
と書いてある。
その下にはさらに、
〜 幸せになりたいあなたへ 〜
の文字。
なによこれ。
最高の祭りじゃないの。
こっちを見てニッコリしているのは占い師なのだろう。
髪を後ろにまとめたそいつは、おばさんなのか、おじさんなのかハッキリしない。
トシくっていそうでもあり、けっこう若そうでもあった。
特に占い大好きってわけでもない、あたし。
けど、祭りというからには期待してしまう。
でも待てよ。
ドラッグストアの店頭で占いコーナーなんて、いままで見たことないぞ。
すこし不気味な感じもするし。
やめとこう、やめとこう。
カップ麺は他で買おう。
知らんぷりで通り過ぎようとしたら、案の定、声がかかった。
「幸せになる薬、ありますよ」
心底くだらない客引き文句だった。
けれども、あたしは立ち止まった。
ヒヤカシのつもりだっただろうか?
いや、そうじゃない。
ワラをもつかむ気持ちがそうさせたんだ。
「いろいろ種類、ありますよ。さあ、そこに座って」
対面に腰かけると、さっそく占い師のおばさんは目を閉じた。
「当ててご覧にいれましょう。あなた、いまとても不幸ですね?」
不幸に決まってるでしょ、まんまと食いついたんだから。
お金はないので占いはけっこう。
それよか薬の説明してよ、場合によっちゃあ、そっちには払ってもいい。
おばさん、いわく、こんなのが売れてます————
セクシーでモテる女性になる薬。
あるいは、清楚で一途になる薬。
頭がよくてクールになる薬。
むしろ、ちょっと足りなくて男に守られる薬。
そしてこれが鉄板、優しくなって性格が良くなる薬。
うーん、なんかまどろっこしいな。
もっとダイレクトなヤツないの?
「ありますよ、お金持ちになる薬とか」
それよぉ!
あたしは小馬鹿にした顔で声を上げた。
もちろん、本心では小おどりしていた。
おばさんは「試してみますか?」と、あたしの手をとる。
え、なにが始まるの?
やわらかい手のひらは、温かくもあり、冷たくもあり。
初めて会うひとなのに、小さなころから知っているようでもあり————
………………………………………
30畳はありそうなリビングの、ヒンヤリした大理石の床に、あたしはへたり込んでいた。
あたり一面に、秋の枯れ葉のように書類が散らばっている。
それらは夜通し改ざん作業をした帳簿や、金額をごまかしまくった領収証や、絶対に隠さなければならない各種通帳、などなどヤバいものばかり。
書類の枯れ葉を踏みしめて、男たちがあたしを囲んでいた。
『奥さん、所得隠しの調べはついています。床下から札束、銅像から金塊が出てきました』
税理士が勝手にやったことよ!
あたしは知らない!
『延滞税、重加算税も含めて追徴課税は2億ほどですが、その前に麻トリの取り調べになります。シャンデリアに大麻を隠していましたね? 奥さん』
そんな!
所得隠しは認めるけど、麻薬は違う!
主人がひとりでやってるの!
あたしは関係ない!
『ご主人は、あなたからクスリを教わったといってます』
ウソよ!
あたしはやってない!
男たちは両側からあたしの腕をガッチリと拘束した。
立とうとしないあたしは泣き叫び、首をふり、絶対に動くもんかと子どものように駄々をコネた。
ごめんなさい!
税金はちゃんと払うから!
もうしないから!
だから連れてかないで!
ごめんなさい!
ほんとにごめんなさい!!!
………………………………………
気がつくと、目の前でおばさんがニコニコしている。
あたしは差し出されたティッシュで涙をふいて、鼻をかむ。
身体が震えている。
なにか悲しい夢を見た気分だ。
でも、たった今のことなのに、どんな内容だったか思い出せない。
「お金持ちの気分を味わえたはずです」
うーん、イマイチ納得できない。
なんかこう、気分のいいやつはないの?
「ありますよ。他人の上に立つ薬」
それを先にいってよ、とばかりに今度はあたしがおばさんの手をとる。
………………………………………
あたしは男たちに囲まれていた。
若いイケメンに、シブい中年。
上半身をはだけたマッチョもいれば、スーツがイケてるメガネ男子もいた。
みんな金回りが良くて、いうことをきく、あたしが飼い慣らした男たちだ。
だが、もうひとり、ヤバいのがいた。
地味な身なりのサエない男が、死にそうな顔であたしをにらんでいた。
両手で包丁を握っていた。
『付き合ってるのは俺だけだっていったのに、裏切ったな! 弟みたいにかわいい俺を永遠に愛し続けるって、おまえは誓ったよな!』
誰があんたを永遠に愛するって?
バカなこといわないで。
貢ぐ金がなくなったら終わりよ。
でもまあ、ちょっと落ち着きなよ。
ねえ、みんな、この子のこと説得してくんない?
マッチョ男が口をひらく。
『俺も、こんなに何股もかけられてたなんて、ショックだな』
一方、シブい中年は。
『わたしは、そんなことだろうと思っていたよ』
イケメンはというと、うすら笑いで。
『まあ、こっちもさんざん楽しませてもらったから、文句はねえけど』
スーツのエグゼクティブは。
『そろそろ潮時ってことですね、ぼくも飽きてきたところです』
え?
みんな、なんか冷たくない?
あたし精一杯に愛してあげたじゃない。
『おまえの愛はニセモノだった。おまえはウソつきだ。俺の心をもてあそんだんだ!』
サエない男が両手に力をこめると、包丁の刃が光った。
ちょ、ちょっと待ってよ。
話せば分かるって、ね? ね?
あたしはマッチョのうしろに急いで隠れる。
ところが、すっ、とマッチョは身体をよける。
追いかけるけれど、逃げられる。
助けて!
メガネ男子のスーツをつかむ。
と、寸前でそいつも避ける。
イケメンも中年も後ずさって離れていく。
ふり向くと、あたしの目の前にとんがった刃。
『俺といっしょに死ね!』
やめて!
ごめんなさい!
ゆるして!
殺さないで!
いやー!!!
………………………………………
またしても、あたしは涙と鼻水でひどいことになっていた。
全然いい気持ちにならなかった気がする。
笑顔のおばさんが、なんか憎たらしい。
幸せになる薬なんて、ほんとなの?
インチキでしょ!
あたしは怒りが込み上げてきた。
こいつは性格悪い詐欺師だ。
どん底で苦しんでいる哀れなあたしを、金がないと見るやオチョクリやがったんだ。
バカにすんじゃないよ!
立ち上がったあたしは、テーブルを両手で思いっきり叩いた。
いや、叩いたはずだった。
あるはずの板がそこになかった。
あたしの両手は空を切り、上半身が前にのめった。
視界が上下逆になり、あたしは顔から落ちていった。
気を失っていたのは、数秒ほどだっただろう。
頬が猛烈に痛くて目をあけた。
押さえた手のひらを見たら、赤いものがついていた。
ちくしょう!
占い師の姿を探す。
けれど見当たらない。
不思議なことに、テーブルも「占い祭り」の旗もない。
どこにもない。
地べたにぺたんと尻をつけて、左右に首をふる、あたし。
いったい、なんだったのだろう。
いよいよ気がヘンになる予兆?
もしかして、心に巣食う闇が幻覚を見せた?
それとも、かすかに残った良心が、なにかを伝えたのか。
顔のキズがジンジンする。
店の照明がまぶしくて、まるで朝の日差しのようだ。
目を細くしているあたしが見たのは、店から出てくるひとりの男。
そいつがこっちを向いて、目が合った。
「お? すっ転んだのか? どんくさいなあ」
近づいてくるこいつ、どこかで見た顔だ。
「ほっぺた、ひどく擦りむいてるぜ」
思い出した。
こいつ、こないだ店に来た。
キャバクラって面白くねえな、なんて憎まれ口をきいて、あたしたちを怒らせたヤツだ。
「こういう擦過創は、すぐ洗浄するといいんだ」
医学知識?
そうだ、看護師だとかいってたな。
男は、いま買ったばかりっぽいミネラルウォーターを手にしている。
あたしは下を向かされ、ペットボトルの水で頬を洗われ、これまた男が買ったトイレットペーパーで優しく拭いてもらった。
ついでに涙と鼻水もキレイにしてもらった。
「ゲンタシン軟膏、うちにあるから、寄ってくか? 乾かないうちに塗ればキレイに治りやすい」
こいつの部屋に行くの?
化粧もしてないんだけど。
「よく見るとカワイイな、すっぴん」
いつも厚塗りしてるから、そんなこといわれるの初めてだ。
ちょっとポーッとする、あたし。
「来るのか、来ねえのか、キャバ姉ちゃん」
あたしは思った。
ナントカ軟膏って、それ、もしかして。
うん、もしかして。
満を持して、あたしはいった。
「塗ってもらおうかな、幸せになる薬」
幸せになる薬 瀬夏ジュン @repurcussions4life
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