第17夜 ネカマの理由
「女の子に化けたいから演技指導をしてほしい、ですかぁ!?」
「精神体なら好きな姿に変身できると聞いて、思いついたことがあるんです」
驚きはしたが、彼女の表情に嫌悪の色はない。偏見も先入観もなく、ただ純粋に目の前の異世界人への興味と関心が青い瞳に満ちていた。
3年前、2017年のクリスマス前後のこと。夢の中で偶然、氷の都ヴェネローンへ迷い込んだイーノは。冒険者たちの探索行を彼らに気付かれないまま、幽霊のような姿で見物していた矢先にとんでもない災難を目撃した。
後日、イーノがその事件の証人として「夢召喚」されたとき、彼のお世話役をつとめたのがエルルだった。
「日本人が好きそうなファンタジーのお姫様か女神様がお願いすれば、夢の中で他の異世界を冒険したつわものたちをスカウトできるかもしれません」
突然降って湧いた、冒険者の人手不足。それを間近で見ていながら、何もできないままこの街を去るつもりはないと。イーノが真剣な表情でエルルに語る。
全ての人が夜、眠りの中で無意識に異世界へ精神を飛ばして冒険してるのなら。地球人にだって冒険者になれる素質はあるはず。世間にあふれている異世界もの小説の中には、実話を元に書かれた話があるかもしれない。
「面白いお話ですねぇ!」
エルルの故郷での本職は酒屋だが、趣味で吟遊詩人の真似事もしていた。地球人にまつわる興味深い話を聞くうち、イーノとエルルは気付けば意気投合していた。
「でもぉ、エンブラ様は慎重にものを考えるお方ですしぃ。アウロラ様もいつも頭が上がらないんですぅ」
エルルの親代わりでもある神殿長エンブラは、暴走しがちな女神様のストッパー役。となると、彼女にスカウト役をお願いするのは難しいか。
「私がやるにしても、素顔ではとても。おっさんの頼みで世界を救ってくれる勇者がいるとは思えません」
不本意だが、日本は男女格差の大きい国だ。社会の実権を握りつつも、一方でさげすまれる男性と。社会で軽んじられながらも、花としてちやほやされる女性。そんな構造があるからこそ、ネット上で女性を演じる男性はあとを絶たないと。イーノは、自分なりの見解をエルルに説明した。
「男性以上に力強いヒロインが描かれるハリウッド映画のアメリカや、男女平等ランキングの上位を占める北欧の国々では。ちやほやされたい、優しくされたい、友達がほしいという理由で女性を演じる男性はきっと少ないでしょう」
「そぉなんですかぁ」
うなずくエルルに、私もコミュ障だし友達は少ないですとイーノは付け加えた。
「自分はコミュ力高い女子だと、思いこむくらいじゃないと。勇者の卵のスカウト役は厳しいでしょう。形から入る、できるようになるまではできるふりをしろ、という言葉もあります」
Fake it till you make it.
アメリカでは決まり文句として、よく使われるらしい。
「それじゃあ」
イーノの目を見て、エルルは宣言した。
「イーノさぁん。あなたは今からぁ、お姫様ですぅ! わたしぃが侍女で♪」
そのときから、イーノはあるオンラインRPGで使っていた小国の姫ユッフィーに姿を変え。ヴェネローンに逃れてきた亡国の王女という役回りでエルルの後輩としてアウロラ神殿で巫女の修行を始めることになった。同じく、エルルの後輩で元旅芸人のミキとも知り合う。
ほとんど女性ばかりの中で、イーノは見様見真似で女子としての立ち居振る舞いを学んでゆくが。わずか数週間後、地球人の危険性を訴える議論の高まりから評議会はイーノに退去命令を下す。
ガーデナーが負の感情を搾取するのに利用している地球人をヴェネローンに入れれば、敵に対して隙を見せることになる。陰謀と侵略を好む地球人の精神性は、勇者に相応しくないなどと。
こうしてユッフィー王女は、表向きは状況の変化で帰国した扱いになり氷の都から姿を消した。エルルとイーノの関係は神殿長エンブラの耳にも入っていたが、たぶん我が子同然に想っていたエルルを悲しませたくない気持ちと、街を守らねばならない立場の板挟みで悩んだに違いない。
そこで、地球人は信用なりませんと。あえて嫌われ役を演じた。3年経った今ならイーノにも十分理解できる話だ。
不意に、誰かの悲しみが脳裏に流れ込んでくる。大切な人たちを失い、故郷からも引き離された心細さ。そして今また、親しくなった友人と離れねばならない寂しさ。この感情は、エルルのものだ。
闇夜に迷える旅人の、心を支える灯りであれ。
ふと浮かんだ言葉は、神殿で巫女の修行をしていたときよく聞いたもの。エルルが難民としてヴェネローンに保護されたばかりの頃、母親のように接してくれた神殿長エンブラから彼女へ贈られた言葉でもあった。
今度は、自分があの人の灯りになってあげる番。その一心でエルルは夢見の技を身に付け、地球へ渡ってきたのだろうか。
そこでイーノは、目が覚めた。あわてて起き上がり時計を確認すると、深夜の3時を過ぎている。
エルルのところへ。いまだ人生の落ちこぼれでいる、イーノの未来を信じてくれる大切な人の待つ場所へ戻らなければ。
ネカ魔女たちの8時間戦記 -デカメロン2020- イーノ@ユッフィー中の人 @ino-atk
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ネカ魔女たちの8時間戦記 -デカメロン2020-の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます