エピローグ

第42話 生きていく

 人を急がせるような電車の発車メロディーが鳴って、私はヒールに気をつけながら階段を駆け上った。2階建ての駅舎のホームに上がった途端、夜の冷たい風が頬を撫でて身体がぶるりと震える。

 電車を見れば、まだドアは閉まっていない。急ぎ足でなんとか車内へと身体を滑り込ませることができて、ホッと一息を吐いた。この急行電車を逃すと、次の急行は20分後。12月の暗い寒空の下に身を置くには長すぎる時間だった。

 背後で、『プシュー』という気の抜ける音とともにドアが閉まり、電車が動き始める。私は空いている席がないかを左右を見て探すが、しかし会社終わりの時間帯だからか満席の状態だった。軽い落胆とともに私は今しがた入ってきたドアへと背中を預けて態勢を少しでも楽なものとする。

 今日も、とても疲れた1日だった。


 社会に身を置くというのはとても大変なことだ、としみじみ思う。

 仕事はどれだけがんばっても評価されないことがザラで、しかし嫌なことだけはいくらでも起こる。そんな状況に我慢して働き続けた対価である収入は、家賃と生活費でほとんどが消費されていく。毎日がそんな繰り返しで、何度も今の生活を投げ出したいという気持ちになった。

 ――でも、それでも私はこうして3年間、ちゃんと働き続けて生きている。

 それは、生きていることが決して辛いだけのものではないと知ることができたからだ。

 肩にかけていたバッグの中で、スマートフォンが震えるのを感じたので取り出した。ディスプレイの表示を見れば、新着のメッセージが来たらしい。きっと次の日曜日の件についてだろうなと、メッセージを開く。


「……」

 

 やっぱり思った通りあかりちゃんからのメッセージだった。頬を綻ばせつつ返事を書く。


『いつも通り、駅前で待ち合わせしてほのかちゃんを迎えに行こう』


 返信をするとメッセージに対してすぐに既読が付いた。そして『御意』とかっこよく見栄を切ったお侍さんのスタンプが送られてくる。

 あかりちゃんの趣味はよくわからないけど、最近やり取りをする時に必ずと言っていいほどにこのお侍さんのスタンプを使っているので、ハマっているのかもしれない。そんな変わった一面に、車内であることを忘れてクスリと小さく笑い声をこぼしてしまう。

 慌てて周りを見るけれど、誰も気にしてこちらを見ている様子はない。よかったとため息を吐いて、私は背中を預けていたドアの窓から流れていく景色を見る。


(1か月って、早いなぁ……)


 そう思いつつ、次の日曜日には何を着ていこうか悩む。

 ――その日は同じこの電車に乗って、そしてあかりちゃんと2人でほのかちゃんに会いに行くのだ。

 ほのかちゃんが預けられた児童養護施設は私たちの住む町からは少し離れた場所だったが、会いにいけない場所ではなかった。

 この3年間、私とあかりちゃんは決まって月に1度、日曜日にほのかちゃんに会いに行っている。そして3人で近場の街に遊びに出て、美味しいものを食べて近況を語り合っているのだった。


(私の方には取り立てて、語れるような近況はないけど……みんなには、あるかな?)


 この3年間で私たちを取り巻く環境は大きく変わった。

 あかりちゃんは第一志望の大学に特待生として合格を果たし、今や有名国立大の女子大生となっていた。学費免除の上に生活費の補助も受けられるとのことで、しっかり勉強に打ち込めると言っていてとても嬉しそうだった。

 ほのかちゃんは今小学5年生になっている。身長も大きくなって元々しっかりした性格にも磨きがかかり、小学校では年齢に見合わぬお姉さんぶりを発揮しているそうだ。漢字を覚えるのが好きなようで、この前は電話で漢字検定2級に受かったのだとと大喜びの一報を受けた。当日に行く予定のお店で予約しているお祝いのケーキも喜んでくれればいいなと、そう思う。

 みんな、それぞれに自分の歩き出した道の上で幸せを見つけつつあるのだ。


『間もなく、神沼、神沼。右側のドアが開きますので、ご注意ください』


 車掌のアナウンスがあり、それからブレーキがかかる。

 電車が私の家の最寄駅に到着して、人の流れとともに私も降りた。

 改札を抜けて、幹線道路沿いの道を家に向かって歩く。

 駅から家までは歩いて15分。正直遠い距離だったが、仕方がない。その代わりに家賃が安いのだ。不動産会社が言うに、それらはトレードオフの関係というやつらしい。

 長い家路を歩きながら、私たち3人の中で1番変化があったのはもしかすると私かもしれないと、そんなことを思った。

 ほのかちゃんを児童養護施設に預けるために児童相談所とのやり取りを行い、就職のためにいくつもの企業に面接に出かけ、唯一勝ち取れた職場へと日々通うために離れ難いと思っていたあかりちゃんのいるマンションからも引っ越した。

 今から思い返すだけでも、我ながら凄まじい行動力を見せていたと思う。

 コミュ障が完全に治ったわけではない。けれど大切な友人であるほのかちゃんを守るために、そして社会で1人の大人として生きるために、私は以前のままではいられなかった。


(とにかく、あの時は無我夢中だったなぁ……。今またやれって言われても、もう無理かも……)


 それから10分ほど歩き続けたところで、歩道橋が目に見える。ため息を吐いた。

 ここが毎日の通勤時の難所なのだ。40段の階段を行き帰りで上り下りしなくてはならないのだが、いつもこれを前にすると挫けそうになる。朝は仕事のために温存したい体力を根こそぎ持っていかれるし、夜は疲れ切った身体に鞭を打たれているようで、かなり辛い。

 それでも何とかその階段の1段目に足をかけて上り始める。1つ1つ段差を踏みしめて、上を向いて進む。

 途中で、人生とはもしかするとこの通勤途中の歩道橋に似たものかもしれない、なんてそんな哲学的な考えが頭によぎった。

 人生には、毎日毎日乗り越えなければならない障害があるのだ。私たちはそれによって日々摩耗を繰り返し、疲れて老いていく。もしかすると途中で『もうイヤだ』と挫けそうになってしまうこともあるかもしれない。それでも、私たちはその障害を乗り越え続けて日々を生きるのだ。それはいったい、なぜか。

 私は、それを知っている。


 ――歩道橋を上り切ったところに答えはあった。


 地上から少し高い視点に立ち、私の目に映るのは都会が織り成す色とりどりのイルミネーション。車のヘッドライトやブレーキランプが夜の幹線道路を彩り、私の心の鬱屈うっくつを晴らすように輝いていた。

 遮るものの何もないこの歩道橋に一陣の風が吹く。駅からここまで足を動かし続けて火照った身体に、通り抜ける冬の夜気が少し心地よい。

 乗り越えなければいけない障害の先にはちゃんと達成感が待っている。私たちはそれを知っているからこそ、日々の障害に辟易へきえきとしながらもそれでも立ち向かい続けるのだ。

 それを乗り越えた先の景色を知っているから、歩き続けられる。生き続けられる。

 たとえ私のように『罪』という名のおもりを持っていようとも。

 真っ逆さまに落ちいってしまいそうなほどに黒く染まった夜空を見上げる。口を開けば、白い息が立ち昇った。


「罪から目を背けずに、罪を背負って、それでも私は歩いて行ける。だって私は一度、自分で自分を殺すことさえもできたほどに図太いんだから。それに――」


 歩道橋の上で、私はスマートフォンを取り出して画面のロックを解除する。

 ホーム画面の壁紙に映るのは、屈託のない3人の笑顔。ぎこちなさの欠片もない、心からの笑顔だった。


「――今はもう、私に笑顔をくれる居場所があることを、知っているから」


 これまで地の上を這いずって生きて、身体も心もとことんまで汚れてきた。

 そんな泥だらけの手で、しかし掴むことのできた幸せのカケラが確かにあった。

 そのカケラを大切に、大切に懐の中で温めて、温められて。

 私はこれからも生きていく。

 夜空に輝くオリオン座、その中心で輝く3連星の下で。

 今では私もまた、幸福に繋がる道の上を確かに歩いているのだ。




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