第41話 笑顔

 相も変わらず体力が足りていなくて、私は息を激しく切らしながら公園の入り口に立つ。

 ほのかちゃんはやはりそこにいた。私たちが2回目に会って言葉を交わしたベンチに独り座って、暮れゆく空を見上げている。


「ほ、ほのか、ちゃん……」


 乱れた息のままそうやって声をかけると、弾かれたようにほのかちゃんが顔を上げた。


「な、なんで……」と驚いたようにこちらを見て、そう言葉をこぼす。


 私はベンチに向かって、疲れた足を引きずりながらもヨロヨロと歩き出す。

 ほのかちゃんは座っていた身体を立たせて、近づく私を反発するようににらみつける。


「いまさら、なんで来たの……!」

「む、迎えに来たの……」


 私の答えに、「そうじゃない!」とほのかちゃんが叫ぶように返す。


「わたし、出てくって言ったじゃない……! なんでむかえに来るのよ! わたしがあの部屋に居たら、このはは……ふつうに生きられない。本当の幸せを手に入れられないんでしょ……!」

「ほ、ほのかちゃん……あ、あなたはそれで『出てく』って……? 私のために……?」

「……」


 ほのかちゃんは何も言い返しはしなかったが、私は確信した。

『社会のルールから外れた場所では、本当の幸せを手に入れることはできない』、私が言ったその言葉を受け止めて、ほのかちゃんはその身を引いたのだ。

 私のために、私が言ったことを信じて。

 だからこそ私の前から姿を消そうとしたのだと、そう思った。

 私はほのかちゃんの前まで歩み寄ると、何も言わずにその小さな身体を抱き寄せた。


「こ、このは……っ!?」


 突然の私の行動に、ほのかちゃんの驚いた声が密着する私の身体の内側へと響く。


「ご、ごめんね……ほのかちゃん……」


 その小さな身体に多くの負担をかけてしまったこと、自身の身より私を優先させてしまったこと、今朝のあの時点で『出てく』と言った真意をはかれずにそのまま行かせてしまったこと。それら全てに対して、謝った。そして、


「あ、ありがとう……。私のことを、思ってくれて……」

「このは……」


 小さな手が、私の背中に回るのを感じる。

 空が赤紫色に染まるまで、私たちはそうしてお互いを確かめるように抱きしめ合った。


「……か、帰ろう? 私たちの、家に」


 公園の外灯が白い光を放ち始めた。

 私はほのかちゃんの肩に手を置くと、ゆっくりと身体を離して、そしてその顔を覗き込むようにそう言った。


「……いいの? 私が帰って、いいの……?」

「も、もちろん。ご、ご飯を食べて、それで……ゆっくりと、これからのことを話そう……?」

「……うんっ」


 私たちは手を繋ぎ、歩き出す。もうほのかちゃんが隣に並ぶ私の足を踏むことはない。互いに、温もりや優しさを分かち合える存在を見つけることができたから。

 私は私の手に収まるその小さな手がとても久しぶりな気がして、自然と頬が綻んだ。


「このは……今、その顔……!」

「へ、へっ……? な、なに……?」


 歩き出しながら、何かに驚いたようにほのかちゃんが私を見てそう言った。

 顔? 何か変なものでも付いていたろうか、と繋いでいない方の手で頬をペタペタと触って確かめる。

 ほのかちゃんはそんな私を見て笑う。


「何も付いてないよ、でも、このはのそんな顔ははじめて見たから……」


 クスクスと声を上げて笑うほのかちゃんに、つられるようにして私も笑う。

 それは胸の内から込み上げる、嬉しさ、愛おしさ、そして幸福を含む、私の初めて経験する心の底からのものだった。


 私たちは歩き始める。

 1歩1歩確かめながら、大切な人の手を握って。

 この幸福の道を、今度こそは間違えないように。

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