14:入学試験 -《高速詠唱》

 リタが《氷雪華フルール・ド・ネージュ》を披露したあとも、マギウス魔術学院の入学試験はつつがなく進行していた。試験官のダリアに名を呼ばれた者が彼女の前に立ち、各々の得意魔術を披露する。

 リタの後に十数人が試験を受けたが、ゼファーの目から見て合格者と不合格者は半々といったところだ。ダリアの言う調和をクリアしている者もいれば、魔術に使われているような者もいる。


「では次。ラウラ=フランベルク」


 魔術の披露に失敗した自覚があるのか、肩を落としてギャラリーたちの元へ戻る受験生の背中に一瞥をくれたのち、ダリアが次の少女の名を呼んだ。ラウラと呼ばれた少女が「はい」と透き通るような声で答える。

 声の主は、ゼファーがマギウスに到着した当日に校門前で見かけた、リグド公国出身と思しき金髪の少女であった。アリステラとリタとはまたタイプが異なる美少女で、触れたら壊れてしまいそうな儚さを感じさせる。いったい彼女は、どのような魔術を扱うのだろう。


「それでは、火炎魔術をご覧に入れます」

「ああ、いつでも良いとも」


 一言ダリアに伝え、ラウラが詠唱を開始する。その一片を聞き、ゼファーは目を丸くした。


 ――ほむらの竜よ、汝があぎと、焔の牙で、我が敵を貫き喰らえ。


 ラウラと呼ばれた少女が行使しようとしているのは、炎の竜を模した劫火が自在に宙を舞い、やがてすべてを焼き尽くすという、最上級の火炎魔術、《焔竜咬牙アグネヤバイト》である。これを行使できる人間は、ゼファーが知る限り《灼華》アリアンロッドしかいない。ラウラが《焔竜咬牙》を行使できるとするならば、彼女はアリアンロッドに匹敵するほどの火炎魔術師と言える。

 まさかこんなところでそんな逸材を見ることになるとは。感心していたゼファーの期待通り、すべての詠唱を終えたラウラが右手をかざすと、その掌から飛び出した炎の竜がその大きな顎を開いた。その威容に、ギャラリーがざわめく。

 少し離れたところにいるゼファーですら、その炎の熱を感じるのだから、本人や試験官のダリアの熱さはいかばかりか。


「ほう、《焔竜咬牙》。久々に見たよ」


 しかしそんな心配は杞憂のようで、ダリアはいたって平静に、面白いものを見たといった風に笑ってみせた。

 すると、ラウラの手を脱した炎竜が魔術修練場の中を自在に駆け回り始める。

 ギャラリーを威嚇するように口を開きながら、その眼前をすれすれで通ったり。高い天井の元まで駆けてみたり。ラウラの制御を離れているように見えるその劫火は、しかしこの場にいる者を誰ひとり傷つけることはない。誰かの感嘆のため息が漏れる。


 やがて、およそ二分ほど修練場の中を駆けた炎竜が、スッとその姿を消した。


「すばらしいな、ミス・フランベルク。ここまでの火炎魔術を行使できる者は、ヴェルメア帝国の《灼華》くらいしかおるまい」


 うんうん、とダリアの講評に頷くアリステラ。彼女が姉皇女を尊敬する想いは非常に強い。


 ラウラの魔術制御は完璧だった。ダリアに誉められたラウラは、少し疲れたような笑みを見せてからギャラリーのもとへ戻る。

 完璧に炎竜を制御できるということは、魔力を多大に消費することと同義だ。しかしながら、ここで倒れ伏せすらしないところに、ゼファーは心から感心した。


「……では次だな。クリストフ=シャーウッド、前へ」

「フッ……ようやく僕の番のようだね」


 そんな不敵な台詞を吐きながら登場したのは、ボリュームのある茶髪の毛先を指でいじくるいかにも貴族の坊ちゃん然とした少年だった。自分が魔術学院に入学することに微塵の疑いも持っていなさそうな彼は、ラウラと同じくマギウス初日に見かけた少年である。おそらくはオルティ王国出身だろう。


(……キノコみたいだな)


 クリストフの髪形はキノコの形状に酷似している。アリステラが少し肩を震わせたが、リタに叱られていた。


「ではシャーウッド、見せてくれ」

「もちろんですとも。僕の雷鳴魔術……皆その目に刻んでもらいたいものだね!」


 言って、クリストフが雷鳴魔術の詠唱を行った。彼が唱えているのは上級雷鳴魔術の《雷撃雨ボルトシャワー》の呪文で、術師の周囲にパチパチと弾けるような電撃の兆候が表れ始める。


「その雷撃は雨の如く! 《雷撃雨ボルトシャワー》」


 クリストフを囲むように、弾けるその時を待つ雷撃が、彼の最後の詠唱とともにぐん、と大きさを増した。そして、クリストフの周りに立て続けに細い雷の雨を降らせた。

 雷撃により修練場の床が抉られる様に消し飛んだが、雷の雨は止まない。

 しかしながら、クリストフの雷撃のコントロールはラウラ同様一級品であり、その雷がギャラリーやダリアを貫くことはなかった。


(意外とやるな……貴族のボンボンに見えたが……) 


 ゼファーは少しクリストフに対する評価を改めた。マギウス魔術学院への入学を志すだけあって、実力はそれなりに高いようだ。

 ゼファーが感心しているうちに、《雷撃雨》は止んだ。髪をかき上げ、不敵に笑うクリストフは、おそらく魔術学院への入学が叶うだろう。


「良い精度の《雷撃雨》だった。称賛に値するよ。では戻ってよろしい」

「……」


 ダリアの言葉に従い、元の位置に戻るクリストフ。ゼファーは押し黙る彼の表情に、何か浮かないものを感じた。

 リタやラウラよりも劣る評価を下されたことが気に入らないのだろうか。

 とはいえ、そんなことを考えたところでゼファーにクリストフの心の内が覗けるわけでもない。やがて彼から興味をなくしたゼファーは、ダリアへと視線を戻した。


「ふむ……これは面白い」


 口元に手を当て、どこか楽しげにつぶやくダリア。彼女の表情を目にして、ゼファーは次の受験者が自分であることを悟った。

 ダリア――いや、ダリウスなら、俺がここにいることに驚き、そして確実に楽しさを覚えるはずだ。


「次は、帝国出身のゼファー。前へ」


 ダリアがゼファーの名をコールすると、ギャラリーたちがわずかにざわめいた。家名がないためだ。

 オルデラ大陸において、家名を持つのは基本、貴族あるいはそれに準ずる高い家格を持つ一族のみである。さらに、人がその身に宿す魔力は、平民に比べて血統がはっきりしている貴族の方が、より高く質が良いというのが通説だ。

 加えて、マギウス魔術学院は学費がそれなりにかかる。平民の家には少々重たい費用だ。

 平民がマギウス魔術学院への入学を志すというのは、少々の驚きをもって迎えられる事実なのである。もっとも、マギウス魔術学院に平民出身の生徒が全くいないわけではない。マギウスには貴賤貧富の別はないのだから。


「いよいよゼファーくんの番だね、頑張って」

「胸の中で応援しております」


 アリステラとリタの激励に力ない笑みを返し、ゼファーは重い足を進めた。やだなあ、ダリアと顔合わせるの。


「……帝国出身、ゼファーです。……よろしくお願いします、試験官」


 ダリアの目の前へと赴いたゼファーがいやいや口を開くと、彼女は今日一番の笑顔を見せた。俺の置かれた立場に思いを馳せて、めちゃくちゃ面白がっているのがわかる。 


「いいねえ、実に楽しみだ。さてゼファー、君はどんな魔術を見せてくれるのかな?」


 ゼファーは表情には決して出さず、心の中で呻いた。

 にやにやと粘っこい笑みを浮かべる女性――中身は男性なのだが、このダリアとゼファーは、それなりに浅からぬ仲である。

 自分のことを知っているこの人を、満足させる術が何かあっただろうか。


「……風塵魔術をご覧に入れます」

「つまらんな」


 吐き捨てたダリアに対し、言ってくれるじゃないか、とゼファーは青筋を立てる。

 俺は《狂飆きょうひょう》なのだから、風塵魔術を見せて当然だろうが。ふざけやがって、巨乳に化けるのが好きな変態野郎。

 思いつく限りの罵詈雑言を喉の奥に飲み込んで、ゼファーはダリアから距離を取る。これから出す風塵魔術は全部ダリア目がけて放ってやろうという魂胆であった。


「では、万が一にでも喰らわないでくださいね……。風よ、貫け。《風穿ウインドダート》」


 ゼファーの詠唱とともに、その右指に鋭い風の矢が現れる。右手を振るってその矢を放つと、加速された《風穿》がダリア目がけて一直線に突き進んでいった。

 あっ、とギャラリーが息を呑むのを横目に、ゼファーはさらに詠唱を続ける。


「風よ、切り刻め。《風の刃ウインドカッター》」


 触れればすべてを切り裂いていきそうな風の刃。


「風よ、貫き穿て。《風の刺突ウインドレイピア》」


《風穿》よりもさらに大きく鋭利な風の刺突剣。


「風よ、引き潰せ。《風の鎚矛ウインドメイス》」


 すべてをその力で押し潰してしまいそうな風の鈍器。


 ゼファーの止まらぬ詠唱で、様々に形を変えた風がダリアへ襲い掛かっていく。


「おいおいおいこらこらこらちょっと待て」


 複数の風が自らのもとへ向かってくるのを見て、ダリア少し焦った声を漏らした。そののち、右手をかざして何らかの防御魔術で身を護る。こざかしい真似を。


「試験官。まだまだ私の力を見ていただきませんと。風よ、断ち切れ。《風の剣戟ブレイドストーム》」


 面倒だからここで斬れないかなこの人、とかかなり過激なことを考えながら、ゼファーは風の刃を無数に顕現させる。

 ダリア目がけて腕を振おうとしたところ、ゼファーの風塵魔術をすべて捌いたダリアが両手を上げる様がその目に入った。


「もういい。君の《高速詠唱クイックキャスト》は見せてもらったとも。君の実力はわかっている」


 言って、ダリアはもう十分だ、という風にため息を吐いた。

 風を受けて長い紫髪がぼさぼさになってしまっている。このヘアセットも楽じゃないんだぞ、とぼやきながら、ダリアは乱れた髪を手櫛で整えた。


 ゼファーがダリアに披露したのは、《高速詠唱クイックキャスト》と呼ばれる高等技術のひとつである。魔力を最適化しながら、可能な限り短時間に別種類の魔術を詠唱し行使する、実戦で非常に有用なテクニックだ。


 平民のゼファーがそんな技を披露して見せるものだから、ギャラリーは皆ぽかんとしてしまっている。ひとりだけ、リタがこちらを睨んでいるのに気づき、ゼファーは己の失敗を悟った。

 さすがにこれだけで《魔導六煌》とバレはしないだろうが、自分にそれなりの実力があることはアリステラに露見してしまったかもしれない。さて、どうしたものか。


「はぁ……。さてゼファー、戻ってよろしい。君の魔術は鋭くてかなわない」


 しっしっ、と手で追い払うようなしぐさを見せて、ダリアがゼファーを元いた場所へ返す。まあなんにせよ、自分の合格は間違いないだろう。《高速魔術》を扱える若い魔術師など、手放す理由がないのだから。


 ギャラリーの何か異質なものを見るような視線に居心地の悪さを感じながら、ゼファーはちょっと怒っていそうなリタと、目を輝かせて自分を待つアリステラのもとへ戻っていった。

 これはどうやら、心配することはないらしい。皇女殿下は俺の魔術に興味津々のようだ。


「では、次だ――」


 気を取り直したダリアが、次の受験者を呼ぶ。

 入学試験は、まだ続く――。

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武力全振り皇女が拗ねるので、最強魔術師は爪を隠す。 国丸一色 @tasuima

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