アーモンドプラリネと、ラズベリーと……
如月芳美
アーモンドプラリネと、ラズベリーと……
目の前の客はかれこれ三十分もケースの前で悩んでいる。俺はその三十分間、彼女の真剣な眼差しをずっとケースのこちら側から見つめている。
多分、初めて来た客だろう。バイトとは言っても高校の頃から続けてるから、もう四年目だ、常連客なら俺にもわかる。どの客が何を買っていくか、どんなチョコレートが好きか、ほとんど頭の中に入ってる。
「アーモンドプラリネと、ラズベリーと……うーん、どれがいいかな」
アーモンドプラリネとラズベリー。随分と可愛らしいチョイス。相手の男は乙女男子か。ラッピングも大人っぽいシックな色にちょっとフェミニンな淡い花柄、オーガンジーのリボンを二重にってところかな。
それにしても、十四日になってから買うとは、ちょっと準備が遅いんじゃないか。今から会うのかな。一緒にディナーするのかな。
長い睫毛が影を落とすその瞳の奥には、どんな男が映っているんだろう。
少なくとも、俺みたいなどこにでもいる陰キャじゃないことは確かだろうな。
「プレゼントですか?」
あんまりいつまでも悩んでいるもんだから、つい声をかけてしまった。普段の俺は絶対に客に声なんかかけない。ゆっくり選んで欲しいし、それにこの美しいチョコレートをじっくり眺めて欲しいから。
だけどこの人、いくらなんでも悩みすぎだろ。
「あ、はい。四つだけ厳選して、真四角の箱で渡したいんです」
「こちらの箱ですね」
うちのチョコレートは、ほぼすべてのサイズが同じくらいに作られている。だから箱も共通で使える。四つ、六つ、九つ、滅多に出ないけど十六個入る箱もある。
彼女はその中の四個入る箱に入れたいんだ。
「あの……一緒に選んでもらえますか?」
上目遣いにこちらを見るその瞳に、俺は金縛りにあったように身動きが取れなくなった。
「は……はい。ええと……相手の方のお好みは」
必死に平静を装った。つもりだった。でも、その努力も空しく、俺の声は喉の奥に引っかかって掠れたようになっていた。
よほどの美人というわけじゃなかった。それに俺の好みとは全く正反対だった。
スタイルだって抜群というわけじゃないし、目元だって二重じゃない、どちらかというとちょっとぽっちゃりしているし、化粧っ気も全くない。
だけど、彼女は確実に一瞬で俺の心に侵入し、あらゆる細胞の隙間にその印象を刻印して行った。
「えっと、ジューシーな感じのが多分好き……だと思うんですけど、わかんないんで、オススメのを詰めてください」
「承知しました」
こういう時は売れ筋の定番から詰めたらいい。そしてリピートして貰う。いつもそんな感じで捌いていた。
でもなぜか、彼女には真剣に選んであげたくなった。どうせ男にやるのに。
アーモンドプラリネのブラウン、ラズベリーのピンク、オランジェットのブラックとオレンジ、ホワイトチョコとピスタチオのグリーン。色合いも完璧なら、甘みと苦みと酸味のバランスも完璧だ。
トレイに乗せた四つのチョコレートを見て、彼女は笑顔になった。朝日を受けて花開く朝顔のようなそれだった。
「あの、姉に友チョコって変ですか?」
「え」
俺はよっぽど変な顔してたんだろう。鳩が豆鉄砲食らったような顔ってやつをしていたのかもしれない。
「あ、ごめんなさい。なんでもないです」
「それは友チョコっていうより家族チョコ?」
二人でポカンとして、一瞬の間の後で同時に噴き出してしまった。
「彼氏さんにプレゼントするのかと思いました」
「そういうの、いないんです」
「きっとこれから出会うんですよ」
ピンクの花柄の包装紙にネイビーのオーガンジーリボンを結んで小さな紙袋に入れると、彼女は満足そうに「ありがとう」と言って出て行った。
俺の脳にはいつまでも彼女の朝顔のような笑顔が残っていた。
*
俺はめちゃめちゃ驚いていた。
頭数を合わせるために呼ばれた合コンで彼女に再会したのだ。バレンタインデーにお姉さんのチョコレートを買いに来た彼女に。同じ大学だったなんて。今まで一度も会ったことがなかったのに。
そして彼女も驚いていた。俺のことを覚えていたらしい。
ぶっちゃけ、彼女の事が気になって、他にどんな女の子が来ていたかなんて全く後から思い出せなかった。何の話をしたかもまるっきり覚えていない。それくらい彼女の事だけ見てた。
バレンタインから数か月経って、春が来て学年が上がり、マフラーグルグル巻きだった彼女が薄手のカーディガンを地味なデニムのワンピースの上に羽織っていた。
全然オシャレでもない、一人だけ化粧もしていない、ネイルもアクセサリーも何もしていない。自信なさそうに俯き加減で、あのときの朝顔のような笑顔も無かった。花開く前の蕾のように、グルグルとねじれて尖がって、固くその花びらを閉じていた。
俺は彼女に声をかけて一緒に帰った。下心があったわけじゃない、単純に彼女と話がしたかった。
というよりも、あの時の笑顔が見たかったのだ。
「お姉さん、喜んでくれた?」
「うん。美味しいって。色も形も可愛いって」
「そっか。それは良かった。君は食べなかったの?」
「うん。なんだかもったいなくて」
しばらく何も言わずに歩いた。話したいことがたくさんあるのに、何を話したらいいのかよくわからなかった。
「あの……工学部だよね」
「ああ、うん」
「明日お昼一緒に食べない? 学食の前で待ってるから」
「えっ、ああ、うん、わかった」
お昼、誘われた。この俺が。連絡先を交換して別れた。
俺にもついに春が来たか?
*
それから俺たちはちょこちょこと会うようになった。別に付き合ってるとかそんなんじゃない。ただの友達だ。それでも彼女と一緒にいるのは楽しい。
彼女とはいろいろな面で気が合った。俺も彼女も美術館や博物館が好きだったし、クラシックが好きだった。なかなか他の友達では誘っても一緒に行ってもらえないようなところでも、彼女には遠慮なく声がかけられた。趣味が近いというのはいろいろ便利だ。
夏が来て、彼女と俺はファーストネームで呼び合うようになった。たったそれだけの事だけど、グンと近付いたような気がした。
秋になり、彼女は少しずつ変わっていった。一言でいえば「可愛く」なった。
ヘアスタイルもちょっとずつ変えたり、地味な色の服もわずかずつではあるけど、華やかになってきたように思う。
恋……かな? ってちょっと思った。
相手が俺だったらいいな。今のところ彼女の周りには男の影は全く見えない。ってことは、もしかして俺かな? なんてね。
冬が来て、以前よりも一緒にいる時間が増えたように感じるようになった。特にそういう話をしたわけじゃないけど、俺の中ではもう付き合ってるくらいの気分になっていた。
だけど、いつの間にか彼女は一つ歳を取っていた。俺の知らないうちに誕生日が過ぎていたのだ。
普通は彼氏に誕生日って教えるものだよな。それで一緒に祝ったりするよな。それが随分過ぎてから知らされたってことは、やっぱり彼女にとって俺は友達の一人でしかなかったという事なのか。俺だけが勝手に付き合ってるような気になってたのか。
そしてクリスマス。意を決して彼女を誘ってみたその時に、俺の嫌な予感は的中した。
「ごめんね、その日はもう先約があるから」
先約って誰だよ。やっぱり俺、単なる友達だったってことか。
彼女をこんなに綺麗にした男って一体誰なんだ。
だけどそんな事言えるわけもなく、ただ俺は「そっか、わかった。気にしないで」って言うしかなかった。
*
あれから一年経った。二月十三日。明日はバレンタインデーだ。今日はお客さんがひっきりなしにやって来る。
なんで俺があんたたちの幸せのために、こうしてチョコレートを詰めてるんだよ。こいつらがみんな別れますように!
「次のお客様、どうぞ」
「あの……」
ハッとした。
この声は。
「四つだけ詰めて貰えますか」
「は……い」
下がって来た髪を人差し指と中指ですっと耳にかける仕草も、上目遣いにこちらを見る瞳も、自信なさそうなその話し方も、去年と同じ。
「アーモンドプラリネと、ラズベリーと、それとオランジェットと、ピスタチオを」
「ラッピングはどうなさいますか」
「えっと、ネイビーの無地の包装紙に、ピンクの花柄のリボンでお願いします」
「お姉さんにプレゼントですか」
俺は極力平静を装った。だが次の瞬間にその仮面は粉々に砕け散ったのだ。
「いえ、これは本命に」
その後はよく覚えていない。仕事は体が覚えている。だからつつがなくこなしたのだろう。
いつものようにシルバーの小さなトレイに商品を並べて見せて、「こちらでよろしいですか」と確認を取って、箱に詰めて、綺麗にラッピングして、小さな紙袋に入れて、人形のような笑顔で「ありがとうございました」と頭を下げたのだろう。
その四つのチョコレートが俺の知らない男の口に入るのを想像しながら。
*
「何お前、チョコ一個も貰ってねえの? 俺なんかもう二十三個目」
俺の隣で笑ってるやつ、マジで腹立つ。
言っとくけどな、それ、みんなに配ってんだからな、お前だけにやってるわけじゃねえよ。
そう思ってからそれが巨大ブーメランだったことに気付く。みんなに配ってるなら俺にだって来るはずじゃん。俺んとこ一個も来ないんだけど。
「それ、女の子のお父さんが昨夜手作りしたやつだよ。断固、女の子の手作りチョコがお前の手元に届くわけがない」
我ながら意味不明な反撃をしていることも自覚している。昨夜玉砕した俺の横で自慢気にチョコの数を数えるような奴は呪われてしまえ。
「なんだお前もしかしてバレンタインを目前にしてフラれた?」
「るっせーよ、図星突いてくんじゃねえよ」
「何、バレンタインデーの前にコクったの? ダッサ!」
「ちげーし! コクる間もなく、本命チョコ買いに来たし!」
「は? コクってもいねーのに、何やってんのお前、どうせ砕けるなら当たってから砕けろや」
コイツ、他人事だと思って好き放題言って来やがる。もういいんだよ俺のことはほっとけよ。チョコに埋もれて溺れてろ。
「なあ。あの子、お前に手ぇ振ってんじゃねえの?」
「あ?」
振り返ると、彼女がこっちに向かって小さく手を振っているのが見えた。
「え、包装ミスった? まさか不良品? 返品交換?」
「いいから早く行ってこいよ。てか、ええっ? 本命チョコ買いに来たのってあの子か? あの子にフラれたってか?」
慌てる俺の横で、コイツの方がもっと興奮してやがる。
「うるせーないちいち」
「ばか、今こそマジでコクって来いよ! 気持ちよく玉砕して来い!」
バシッと背中を叩かれた。どっちにしたって逃げらんねーだろ、呼ばれてるんだし。
意を決して彼女に近付いた。なんて言おう、俺がコクるのか。でもどうせ玉砕するのは知ってるし、まずはクレーム対応が先だな。ここで包装直すのは不可能に近いよなぁ。どうすっかなぁ。まずは謝るところからだろうなぁ。
「あの……」
「すみませんでした。返品ですか、交換ですか」
俺は直角に体を曲げて謝罪のポーズを取った。
「いえ、あの、そうじゃなくて、チョコ。受け取って貰えますか? 昨日、私のイチオシのチョコレート屋さんで買ったんです。大好きな店員さんに包装して貰って」
……へ?
「これ、私の全力なんです。これ以上表現できないんです。もう覚悟できてますから、ダメならダメってすっぱりと言ってくださいっ!」
*
そのあと何があったか聞きたいか? 教えてやんねー。へへへ。想像しろ。へへへ……。
アーモンドプラリネと、ラズベリーと…… 如月芳美 @kisaragi_yoshimi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます