第6話 エピローグ

一カ月後、C県山中。

塗師が地面を踏みしめるたびに、枯葉の千切れる乾いた音が響く。

塗師がここに来たのは今から三か月前である。また木々には葉が茂っており、時折、赤や黄色の葉が視界に入る程度だった。

数ヶ月で植物は違う姿を見せる。そして同じ程度の時間を掛けて、また緑を自分の身体に纏い始める。

それは誰が命令したのだろうか、塗師は考える。植物に思考する部分はない。人間の様に脳で考えるようなことはしていない。

つまり、生まれた瞬間から細胞に備わっていたプログラムで同じことを繰り返す。そして、自分のコピーを増やしていくのだ。

塗師は緩い坂道を上り切る前に左手に現れる小道に入った。

植物に意識があるかどうか、塗師は知らないが、仮に無意識だったとしても、植物は自分のコピーを作るためだけに生きているという意見もある。

理屈では理解しているが、塗師は、それはとても洗練されたデザインだと考えていた。余計な物のない、至極単純な、生きている理由。

人は、余計なものが多すぎるのだろうか、塗師は右手に持っている片手用のコンテナに視線を落とす。

小道に入る前よりもいくらか滑りやすくなっていたが、塗師は遠目に目的の人物の影を見つけた。

天童は自分で建てたログハウスのウッドデッキにいた。

まるで塗師を待っていたかのように小道側を向いて座っていた。

塗師は視界に入っていたが、しばらく歩いて、ログハウスに近づいた。

「やあ、しばらくぶりだね。四か月前だったか?」

天童は塗師を見て言った。

「いえ。三か月前です」塗師は短く言った。

「ああ、そうだったか。こういったところにいると、時間が過ぎるのが早いっていうけど、あれは、俺にとっては嘘だな」

天童は皺だらけの顔にさらに皺を作った。

「あの時は、あんた、作務衣だったけど、今日はスーツなんだな」

天童は塗師の全身を見渡す。

塗師は頭を軽く下げた。

今日の塗師は頭をオールバックにして、上下黒のスーツ、ネクタイも黒である。

「あんた、本当に黒、好きだな。俺の若い頃に着ていた服も執っておけば良かったなぁ。あんたに似合う服もあったんだよ」

塗師は個人的にこの老人が好きだった。

「まあ、そんなところで突っ立っていてもあれだ。まぁ、こっち来て座れよ」

天童はウッドデッキに塗師を招く。

自分の座っているテーブルの向かいに塗師を座らせた。

天童は塗師に日本茶を振る舞った。

「コーヒーとかの方が、好きかもしれんけれど、お茶しかなくてな。ですまんなぁ」

そう言いながら急須で湯呑に注いだ。

塗師は、ありがとうございます、と頭を下げた。やんわりと湯気が立った湯呑を手に取り、塗師は一口すすった。適温の液体が塗師の身体に浸透していった。

「どうだい、商売は?好調か?」天童は口元に笑みを浮かべながら言った。

「ええ。でも、不景気ですからね」

「どこもそうだよなぁ」天童はそう言うとお茶を含む。

「無事に、終わりました」

塗師は湯呑を置くとそう言った。

天童は、椅子に身体を預けると、目を細くして何度も頷いた。

「こちらに来るのも遅くなってしまって申し訳ありませんでした」

「警察が張っていたからなぁ。先週だよ。全く見なくなったのは」

塗師は頷いた。それが分かった上でここに来ていた。

「沢山のお願いをしてしまって、申し訳ありませんでした」

塗師は頭を下げた。

「あんたが、謝ることじゃないさ」

天童は左手を上げた。

「初めてあんたと、あともう一人いたなぁ。二人で家に来た時は、まあ、荒唐無稽というか、あんたが言っていることが理解できなかったがね」

天童は庭の方を見る。

「何度も足を運んでもらって、手伝ってやろうと思ったんだよ」

「栗田さんも、何とか実行したいと仰っていました」

「まあ、そうだな」

天童はそう言うと言葉を一旦切る。

「俺が手伝う意味も、あったんだろう?」

塗師は頷く。

「あなたが手伝ってくれなければ、栗田さんの計画は上手くいかなかったと思います」

「あんたの手腕も、光ったんじゃないかね?」

塗師は、そんなことありません、と言った。

「そして」

塗師は湯呑をテーブルの端に置き、足元に置いていた直方体のトランクをテーブルの上に乗せた。

天童は黙ってそれを見ていた。

「これをご覧ください」

天童は短く溜息を吐く。

「見なければ、いけないのかね?」

天童は言ったが、本気で嫌がっているわけではないように塗師には感じた。

「お願いします」

天童は頷く。

塗師は、直方体のトランクの側面にあるロックを外し、扉を開いた。

そこには栗田の頭部が低温状態になったケースに入れられて保管されていた。栗田は目を閉じて、そこだけ見れば寝ているように見える。

天童はケース内の栗田を直視した後、塗師に顔を向けて頷いた。

塗師は扉を閉じて、トランクを足元に置くと、軽く会釈をした。

「ここまでが・・・彼の計画だったのか?」

天童は溜息を吐いて言った。

「はい。不愉快になりましたら、申し訳ありません」

「良い気分にはならないな」

しかし、と天童は続ける。

「ここまでの事を考えていたのか?彼は」

「あなたへの贖罪として、ということでした。言葉で伝えることも提案しましたが、譲りませんでした」

「塗師さん」

天童は真直ぐ塗師の顔を見る。

「彼には悪いが、こういうことをしてもらっても、優衣は帰ってこない、でも、ただ謝ってもらっても、俺は許さなかっただろうと思う」

天童は立ち上がった。

「俺も、どうしたら良いかわからなかったんだよ。そう言った意味で、ケリを付けてくれた彼には感謝している」

塗師は黙って天童を見ていた。

「その首はどうするんだ?」

「栗田さんは天童さんに決めてもらって欲しいと」

「元の首に戻してやってくれ」

「よろしいのですか?」

「そんなもん、持っていても何に使う?床の間にでも飾るのか?」

塗師は笑わなかった。

天童はウッドデッキの手すりに手を置くと、風にそよいでいる木々を見た。

「天童さん、まだ、許せないですか?」

塗師は天童の横顔を見て尋ねる。

天童は暫く黙ったまま木々を見ていた。

「なあ、塗師さん、俺は誰を怨めば良いんだ?」

今度は塗師が黙った。

天童の言葉の意味を推し量っていたからだった。

「誰に向かって、俺は、孫を返せって言えば良い?」

塗師は、黙ったままだった。

「俺は、こいつを怨んでしまうかもしれないな」

天童は塗師の足元に置いてあるトランクを見た。

「栗田さんですか?」

天童は頷く。

「自分勝手に、終わらせやがった」

天童は一瞬、塗師を見たが、すぐに木々に視線を戻す。

塗師はトランクに視線を落とした。

「贖罪としてだとか、もっともらしい理屈をこねたらしいが、俺にとっては関係なかった。自分たちで初めて、自分たちで終わらせたつもりなんだろうな。そいつにとっては。でもな、俺はまだ終えてねぇ」

天童の語気が強くなった。

「塗師さん、俺は、いつ終われば良いんだ?あいつらと始まったのは同じなんだ。同時に終わりたかったよ」

塗師は、しかし、というとそれを遮る様に天童は話し始める。

「終われねぇんだよ。優衣がな、まだ生きろって言ってんだ」

天童は塗師が言いたかった言葉を自分の口から言った。

「すまん、塗師さん、あんたに言ってもどうにもならんな」

塗師の方を見た天童は顔を皺だらけにして笑った。

塗師は目を細くして下を向いた。

天童はもう、もしかしたら、随分前に、消えてしまったのかもしれない、と思った。

塗師は立ち上がった。

「今日は、お時間を取らせて申し訳ありませんでした。今後、会う機会があるかどうか、わかりませんが、その時は」

「塗師さん、名刺、あるかい?」

天童はまたも塗師の言葉を遮って言った。

「あいにく、名刺は作っていません」

「客商売で珍しいな」

塗師は代わりに、連絡先の携帯番号を教えた。

「ありがとう。ああ、そうだ。塗師さん、一つ教えてくれ。栗田の身体に刻んだあの丸は何だ?他の死んだ人間にも刻んであったらしいじゃないか。彼が刻んだのだろう?彼はなんであんなことした?」

「あれは、私が栗田さんにお願いしました」

天童は、ほう、と言った。

「あれは次のターゲットを知っているぞ、というメッセージです」

「意味がわからん。ターゲット?次の仕事場ってことか?」

「同じ意味ですね」

「どこなんだい?」

「首都高速です」

塗師は初めて笑った。

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土木系女子(ドボジョ)のアンニュイな日常~Favoritism of Person Trip~ 八家民人 @hack_mint

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