担当以上、恋人未満

怜 一

担当以上、恋人未満


 我慢出来ずに、叫んでしまった。


 「才能があればっ!アタシだって!」


 木造の机を強く叩くと、カップに注がれたコーヒーが波立って、揺れた。


 「アタシだって?なんですか?」


 対面に座っていた一ノ瀬さんの冷たい視線が刺さり、ハッと我に帰る。

 周りの席を見渡したが、幸いにも他の客はおらず、少し離れたカウンター越しにいたマスターは何事もなかったかのようにコーヒーカップを磨いていた。


 「ご、ごめんなさい」


 やってしまった。せっかく時間を割いて打ち合わせのスケジュールを組んでくれたのに、自分の担当に八つ当たりしてしまうなんて、最低だ。


 「いいですか、リツカ先生。先生には才能があります。それは先生がデビューしてから4年間、担当を務めた私が保証します」


 そう言いながら、アタシの担当編集者である一ノ瀬さんは大型のタブレットに映し出されたネームに視線を落とす。


 「先生に足りないのは、おそらく経験です」

 「同性を好きになることなんて経験しないでしょ!ふつうさぁ!」


 また、我慢できずに叫んでしまった。


 「うるさっ」


 一ノ瀬さんのボヤきが聞こえ、慌てて口元を押さえた。


 「女性同士の恋愛モノを描きたいって言ったのは先生ですよね?なのに、今回上がってきたネームはなんですか?やってることが、幼稚園児レベルの恋愛ごっこじゃないですか」


 作品を描く際に女性同士の恋愛が如何なるものかは、一通り勉強したつもりだ。しかし、アタシは、どうやら恋愛独特の焦ったいやり取りや同性に恋をする葛藤を描くのが下手らしく、物語の主人公がヒロインと出会ってから三ページ後には告白してしまうような展開しか描けなかった。


 「先生も理解していると思いますが、恋愛モノは関係性の展開や感情の機微を表現するのが重要です。その過程をすっ飛ばして、告白してハイ終わりなんて言語道断。ありえないです」


 そう切り捨てた一ノ瀬さんは、白いカップを手に取りコーヒーを啜る。


 「それは分かってる…ます。でも、それとれ、恋愛経験の不足は関係ないでしょ」


 一ノ瀬さんから少し息が漏れた。

 鼻で笑いやがったな、コイツ。


 「関係あります。先生の作品の持ち味は、先生の経験から裏打ちされた説得力ある表現なんです。それは、理解していますよね?」


 うっ。

 たしかに、それを言われると苦しい。しかし、まだ反論の余地はある。


 「アタシだって一度くらい恋愛感情を持ったことはあります」

 「それは、いつ頃で相手はどなたですか?」

 「4歳の頃、幼稚園の先生に…」


 あっ!まって!そんなゴミを見るような目はやめてっ!


 「私は、人の恋愛遍歴にとやかく言う趣味はありません。ですが、先生が恋愛モノ、しかも同性恋愛という難しいテーマを描きたいという以上、私は言わざるおえません」


 一ノ瀬さんは改めて席へ座り、姿勢を整えた。


 「やめましょう。いまの先生に恋愛モノは無理です」


 その表情は、先程まであった僅かなゆとりさえも無くした、真剣そのものだった。


 「それは…。もう少し待ってほしい、です」


 アタシにだって意地はある。一度決めたテーマを、一回の失敗だけで変えたくはない。


 「待てば、面白くなるんですか?」

 「あぅ…」


 言葉に詰まる。実のところ、特にこれといった解決策があるわけでもない。これは、このテーマを描きたいというアタシのわがままに他ならないのは理解している。


 「もうちょっと色んな作品をみれば、たぶん」

 「ダメです。これ以上フィクションから学んだところで、先生の魅力は出ません」


 一ノ瀬さんは少し前のめりになり、話を続ける。


 「先生が100%の魅力を出すためには、経験するしかないんです。本当にこのテーマを描きたいのであれば、恋愛してください」


 そんな無茶な。


 「で、でも恋愛ってそういうもんじゃないし。もうちょっと運命的というか、ロマンチックなものだと思うんですけど」


 一ノ瀬さんは、さらにグッと身を乗り出す。


 「先生の恋愛は、例えば、どのような運命的でロマンチックなものなんですか?」

 「あー。えっと…」


 ふと、先日読んだ、恋愛マンガのとあるワンシーンが脳裏をよぎる。あまりに詰め寄る一ノ瀬さんの気迫に抗うように、つい、そのワンシーンを口にしてしまった。


 「た、例えば、昔から仲の良かった幼馴染みが実は主人公のことが好きで、ある日、幼馴染みが自分の気持ちを抑えきれずに、主人公にキスしちゃうんです。そしたら、主人公も幼馴染みのことを意識するようになって、そこから恋愛に、みたいなぁ」


 迫ってきていた一ノ瀬さんの顔が、ピタリと止まった。


 「それが先生の望む恋愛なんですね?」


 少し食い違った質問にも思えたが、流されるままに頷いてしまった。


 「え?そ、そうですね」


 一ノ瀬さんは眼を伏せ、一つ息を吐いた。そして、次の瞬間。テーブル越しに一ノ瀬さんに抱き寄せられ、唇にキスされた。


 「ッ?!!?!」


 潤いがあり、柔らかい一ノ瀬さんの唇からコーヒーのほろ苦い香りが感じられた。五秒ほどすると、唇を離し、先ほどのように真剣な表情で座り直した。


 「私のこと、意識してくれましたか?」

 「ぁえ?」


 あまりのことに、これ以上にないくらいの間抜けな声が出てしまった。

 一ノ瀬さんは、少し考えるそぶりを見せ、淡々と話す。


 「ふむ…。4年間の付き合いでは少し物足りないかもしれませんが、まぁ、そこは気にしないでください。ただの幼馴染みより、作家と担当という関係の方が、ある意味腹を割って話し合ってますから」


 え?え?どういうこと?

 頭が真っ白になりながらも、辛うじて頭を回転させ、話を理解しようとする。


 「それでは、打ち合わせはここまでにしましょう。恋愛を経験した先生のネーム、楽しみにしています」


 アタシが正気に戻ったのは、一ノ瀬さんがそう言い残して店を出て行ってしまった、約15分後くらいだった。



+



 「アタシのファーストキス…」


 店から帰ってきたあと、おぼつかない足取りで自室のベッドへと倒れ込んだ。

 唇を人差し指で押さえると、キスされた瞬間を思い出す。柔らかくて優しい、甘いキスだった。


 「って、そうじゃないでしょっ!」


 いくら恋愛を経験させたいからといって強引すぎるっ!しかも、アタシはノーマルなんだけどっ!


 たしかに、一ノ瀬さんは背が高いし、少し中性よりな美人系で正直、好みの顔つきだ。その上、几帳面でしっかりとした性格だから、頼り甲斐もある。


 女性でも惚れるような要素ばかりの素敵な人だ。だが、いきなりそういう対象で見られるかと言われると、そういうわけでもない。

 あと、気にしてないけど、アタシより胸が大きい。気にしてないけど。


 「はぁ…。なんか、みじめになってきたな」


 しかも、あのキスは多分、上手かった。ってことは経験豊富なのかなぁ。


 「うぅ。アタシの純情が汚されたよぉ。ぐすん」


 安い嘘泣きをして、近くにあった抱き枕に顔を埋める。

 少しすると、枕元でなにかが振動した。顔を上げると、スマホの画面が光っておりメッセージが一件届いていることを通知していた。


 「うへぇ。長いなぁ」


 パスコード式のロック画面を解除し、メッセージの詳細を確認すると、一ノ瀬さんから原稿用紙三枚分ほどの謝罪文が送られてきており、内容の八割は、キスのことに関してだった。


 要約すると、不快な気分にさせた謝罪とセクハラとして出版社の方に訴えてもらって構わないし、担当からも降ろしてもらうという内容だった。


 「プッ。フッ。フフッ…。アッハッハッハ!!」


 普段、冷静な一ノ瀬さんに似合わない必死な内容に思わず笑ってしまった。


 「ヒッー!め、めっちゃ焦ってるぅ!お腹痛いぃ!」


 数分間、ベッドをのたうちまわった。


 「あー、笑った笑った。笑い死ぬところだったぁ」

 

 落ち着いたアタシは、一ノ瀬さんにどんなからかった内容で返信するかを考える。


 「おっと、そうだ。普段、アタシのおもしろメッセージをスタンプ1つであしらっている恨みも含めてやろう。ヒッヒッヒッ」


 いくら同性とはいえ、いきなりキスをするのは常識的にありえない。しかし、こんなことで一ノ瀬さんをクビにするなんて、アタシからすればもっとありえない。

 一ノ瀬さんは、真剣に、アタシに向き合ってくれる大切な人だから。


 数時間後、来訪を告げるチャイムが鳴った。ベッドから一瞬で飛び起き、玄関の鍵を開けると、そこには大きめの紙袋と食材の入ったビニール袋を携えた一ノ瀬さんが立っていた。


 「あれぇ?一ノ瀬さんじゃないですかぁ?こんな夜中にどうしたんですかぁ?」


 顔を赤らめた一ノ瀬さんが、ニヤけ面のアタシを睨む。


 「今回だけですからね…!」


 ふへへ。そんな強がりを言っていられるのも今のうちだぜ。

 一ノ瀬さんを家に上げて、そのまま脱衣所へと通す。


 「絶対に覗かないでくださいね」


 一ノ瀬さんのアタシに対するイメージってなんなんだ。エロオヤジだと思われてるのか。


 そんなことを考えつつ、脱衣所の前で体育座りをしながら待機していると、扉越しに布が擦れる音が聞こえてきた。なにか、聞いてはいけないもののようにも思えたが、思考とは真逆に、耳は自然と音を拾うことに集中していた。


 これは断じて下心ではない。今後、マンガを描くための貴重な参考資料として———。


 「なにしてるんですか?」


 気がついたら、既にメイド服に着替え終えた一ノ瀬さんが、汚物を見るような目でアタシを見下していた。


 「ふひっ」

 「うわっ。キモッ」


 自分でも思いもよらない声が出てしまった。でも、キモいは酷くない?

 アタシは、勢いよく立ち上がって(それでも、一ノ瀬さんの方が身長が高いため)一ノ瀬さんの顔を見上げた。


 「おやおやぁ。一ノ瀬さん。いや、一ノ瀬ぇ。ご主人様である、このアタシにそんな言葉を遣っていいのかなぁ?おぉん?」


 先程、返信したメッセージに「許してほしくばアタシのメイドになって、今日の夕飯を作れ」というキスに勝るとも劣らないセクハラ文章を打ち込んでいた。


 ちなみに、メイド服は、アタシが資料で使っていたのを一ノ瀬さんにプレゼントしたモノだ。

 よく捨てられてなかったな。


 「ほんとに、この人は調子に乗ると…」

 「なにか口答えでもぉ?おぉん?」

 「先生。その、おぉんってやつ、やめてもらえませんか」

 「先生じゃくてご主人様でしょ!メイドなんだから!それとも、リッちゃんって可愛く呼んでくれても」

 「ご主人様で」

 「え?そんなにリッちゃん嫌?」

 「嫌です。そもそもご主人様は、リッちゃんなんて柄じゃないですよ」


 え?なにこのメイド?いつもより辛辣すぎない?


 「それでは、キッチンお借りますよ」


 釈然としないアタシを置き去りに、一ノ瀬さんは手際良く、料理を始める。


 締切直前で追い込まれているとき、たまに一ノ瀬さんがご飯を作ってくれる。なんなら、このキッチンで料理している回数はアタシより多いかもしれない。どこの棚に、なんの食器や調理器具があるかも既に把握済みである。


 野菜がリズムよく切られる気持ちのいい音が部屋中に響く。

 アタシはベッドに腰掛けながら、一ノ瀬さんの背中を眺めていた。


 「ねぇ。一ノ瀬さん」

 「なんですか?ご主人様?」

 「あのさ。アタシの担当を降りるとか、もう、冗談でも言わないでほしいな」


 野菜を切る音が、ピタリと止まった。

 

 「アタシ、一ノ瀬さんのこと好きだからさ」


 一ノ瀬さんが、勢いよくこちらに振り向いた。


 「さっき、アタシの担当を降りるってメッセージを見た瞬間に嫌だなって思った。だって、4年間も真剣に、アタシとアタシの作品に向き合ってくれた人と別れるなんて考えられなくて」


 熱くなっていく顔を隠すため、徐々に俯いてしまう。


 「それ以外でも、プライベートな相談も聴いてくれるし、こうやって料理もしてくれる。一ノ瀬さんはお仕事としてやってくれているんだろうけど、アタシはずっと感謝してるし、大切な人だなって思ってる。だから、そんな大切な人と、できたらずっと一緒にやっていきたいなーって」


 いつのまにか目の前に屈んでいた一ノ瀬さんの白く綺麗な両手が、アタシの両手を包み込んだ。


 「私も、先生とこの先もずっと一緒にいたいです」


 一ノ瀬さんの真剣な眼差しに、私の鼓動が少しだけ早くなる。


 「う、嬉しいけど、なんか告白みたいで照れますなぁ。ふへへ」


 一ノ瀬さんの手に一瞬だけ力が入ったのがわかった。


 「そう、ですね」

 「でも、一ノ瀬さんもおんなじ気持ちだったなんて嬉しいなぁ」


 手を離し、料理に戻った一ノ瀬さんは、再び野菜を軽快なリズムで切りはじめた。


 「…カ」

 「えっ?なんか言いました?」

 「いいえ。なんでもありませんよ、ご主人様」


 アタシはベッドに仰向けで寝転がり、天井を見上げる。そして、背を向ける一ノ瀬さんに聴こえないように呟く。


 「こーいうことなのかなぁ」


 アタシは、自分の手に残った一ノ瀬さんの温もりにキスをした。



end


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