ゼンマイ仕掛けのゴブラン人形
うぉーけん
独身者の機械
「あなたはもう自由なのよ。好きな場所に行き、好きなように生きていけるの」
成し遂げられると思えなかった困難を達成したと信じ切った女性が、満面の笑みで言った。
およそ創造神でも被造物に与えることが不可能であった、完璧で無謬なる笑顔を浮かべ、銀糸の髪のリリヤは嬉しそうに頷いた。
微笑に偽りはない。
なめらかな肌とは縁遠く、体内で無数の歯車と歯車が噛みあい、蠢き、膨大な計算式により人間の複雑性を再現し、球状の関節構造により繋がれた躯体を持つリリヤにとって、人間の喜びは自身の喜びでもあったからだ。
そこで、行き場所もなければ自我もない低級の
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
リリヤは戦場を巡った。
何年も女と話しすらしていないようなむさくるしい男たちと邂逅し、あるいは誤射により一座の半分を吹き飛ばされ、ときには駐屯した村で蛮行を働こうとする粗暴な連中の慰めを申し出、もしくは焼けただれ暖炉の煙突だけが人の痕跡を示す廃墟を抜け、そして前線を越え彷徨い当て所もなく人々とすれ違っていった。
どこへ行っても、褥をともにする相手をリリヤは選ばない。
やがて占領地の一角で、ある娘と出会った。
リリヤは女を知らぬ無垢な少年を教え導くことも、あるいは指一本で手練手管の遊び人を果てさせる技量も持ち合わせていた。
それでも、女の相手をするのは初めてだった。
「は、はじめまして」
安宿のベッドの上。座る彼女と見下ろすリリヤ。挨拶のなかにかすかな北部訛りを感じさせ、占領軍の粗末な軍服を着た若い娘が最初に口を開いていた。リリヤは一点の綻びもない艶然とした笑みを浮かべ、ゴブラン織りを思わせる華美な衣装にふさわしい優雅な一礼をする。
娘は頬を染め、気恥ずかしそうに視線を逸らす。
人が人である限り体現できない美貌のリリヤに比べ、彼女はそばかすの浮いた、歯並びの悪い娘だった。一目見て田舎育ちの
娘の容貌では、客がつかない。彼女が兵隊になったのは必然であろう。人生において、なにかを掴み取ることなぞ出来なかった女の成れの果てだった。
「わたし、憧れてた」
ベッドの端に座り、結んだ自分の指を見つめながら娘が答えた。節くれだった、芋のような指先だった。
被造物であるリリヤは、人間の話を聞くのが好きだ。彼ら彼女たちの言葉はどんなに呪われた汚言であっても、リリヤという存在を紡いだ祝詞であったのだから。
笑みを絶やさず、リリヤは耳を傾ける。
「子供のころ。作物の輸送を手伝った都会で見た、お人形さん。ひどく綺麗だった。ショーウィンドウの向こう側で柔らかに微笑み、ふわりとした衣装を着てた。マラカイトグリーンの煌びやかな瞳の女の子。ガラス細工の片目だけで、田舎暮らしの一家が数年は暮らしていけるだけの価値があるって。わたしの家じゃ、家族全員が首をくくって食いぶちを全部減らしても、買えやしない」
妄執めいて口走った。娘がシーツをめくる。隠されていた小銃が露わになった。隠密のために精度を犠牲に、銃身と銃床を切り落とした代物。
ぎこちない動作で小銃を手に取った彼女が、銃口をリリヤの薄い胸に当てた。
娘がねめあげる。熱に冒された双眸が、リリヤの水晶の視線と絡み合った。
「でも、ずっとほしかったんだ」
遅々とした動作で引き金が押し込まれる。撃針がバネの力で前進し、装填された弾丸の雷管を叩く。銃口から炎の花弁が迸った。
世界が、振顫する。
人への畏敬と崇拝の微笑を浮かべたまま、リリヤは永久機関である
膝からくず折れる。
醜い娘は壊れたリリヤに覆いかぶさった。銃剣を鞘から引き抜く。囚人の喉をのこびくように、あるいは二枚貝を切り開き美しい真珠を取り出すように、丁寧に丁寧にリリヤの首を切断していった。
血は溢れない。
人とは違い、リリヤは無数の歯車からなる相互作用を演繹的推理によって導き出された計算式により駆動する機械であったからだ。そこに生き物らしさ、という神の恩寵は微塵も存在しえなかった。
代わりに零れ落ちたのは、数え切れないほどの歯車と
「やったやった、わたしだけのお人形さん。ついについに、手に入れたんだよぅ」
感極まった涙を流し、無邪気に笑いながら娘はリリヤの頭部を抱きしめた。
娘の胸で、銀糸がとぐろを巻く。それでも、リリヤの完璧で無謬なる微笑は崩れなかった。
ゼンマイ仕掛けのゴブラン人形 うぉーけん @war-ken
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