エピローグ
処女賢王
――以上は長らく史料的価値が低いと見做されてきた『ジュディス文書』に基づく処女賢王グレイスの前半生にまつわる物語である。
処女賢王の後半生については、多くの史書、軍記物で語られているところであるため、ここでは簡潔に述べることとしよう。
帝国歴二百六十三年――
諸侯、衆民は大乱の終焉をこぞって喜び、グレイスを解放者と称えた。グレイスもまた、人々の期待に応え、秩序の回復と衆民の安寧を最優先とする統治を行った。
青暦四年――復興の兆しが見え始めた大陸に激震が走る。
最果ての地で永い眠りについていた伝説の悪竜が復活し、大氷壁を越えて、大陸に攻め込んで来たのだ。
グレイスは自ら軍勢を率いてこれを迎え撃った。その戦いぶりは不敗の戦姫、戦女神の異名にふさわしいもので、各地の城塞――その多くは狂乱の女帝が衆民を酷使して作ったものだった――を巧みに活用して持久戦を強いた上で、悪竜が疲弊したとみるや、一気呵成に攻め立てたのだ。
まるで悪竜の侵攻ルートまで予測していたかのようなグレイスの巧みな用兵と、グレイスを信奉する兵たちの奮戦により悪竜は深傷を負って大氷壁近傍の森に逃げ込んだ。
グレイスは百合之峡谷騎士団の団長以下六人の騎士に神器を下賜すると、彼らとともに悪竜を追撃し、ついにその首を切り落とした。
こうして青暦四年春に始まった悪竜戦争は半年足らずで終結したのだった。
戦後、百合之峡谷騎士団にはその功績が称えられ、莫大な恩賞が与えられた。特にグレイスとともに悪竜を討ち取った六騎士には、復活した六王国の王代を任じられるなど、破格の地位が与えられた。さらに青薔薇の恩寵国の王代となった団長については、グレイスの婚約者という立場までもが与えられることになった。
もっとも百合之峡谷騎士団の団長がそれ以上の立場を得ることはなかった。正式な婚姻を目前に控えたある日、おびただしい量の血を吐いて急死したのだ。
正史において『病死』とだけ記されたその不可解な死は、当時から毒殺されたものと思われていたようだ。旧来から支配階級に属していた者の大半は彼の急激な栄達を危ぶんでいた上、グレイスとの婚約によってかつての部下までもが彼のことを妬んでいたのだ。容疑者は無数にいた。
その後、処女賢王の数少ない汚点として知られる『血染めの百八十日』が始まる。
自らの婚約者と同じく王代の座にあった百合之峡谷騎士団の元幹部たちを次々と処刑し始めたのだ。
処刑の理由は表向き軍律違反や祭儀での不始末などであったが、いずれも死を以て償うというにはあまりにも些末な罪であった。
このことについて当代の人々は『王は自らの婚約者が五人の王代の内の誰かに殺されたのだと考えたのではないか』と考えたようだが、現在においては『
なお、前述のジュディス文書では、グレイスの婚約者を殺害したのは他ならぬグレイス本人であると記されているが、根拠に乏しいこと、それを裏付ける同時代の史料が存在しないこと、筆者がマリア・ゴールデンフリースに同情的で、願望や憶測をさも事実のように書く癖があることから、長らく信憑性は薄いとされてきた。
一方、ジュディス・カミングス自身は後に信憑性が薄いと評されることになる自説についてくどくどと補完する意思はなかったようで、ただ、グレイスが自身の婚約者を含む
六人の王代が死んだ後、グレイスはブルーローズを連合王国の直轄地とする一方で、残る五つの王国――各王族の縁者を王とする――の自治権を徐々に拡大していった。
いっとき連合王国に集中していた権力をあえて地方に戻すことで、分権を推し進めるグレイスのやり方は、その時代には即していたようだ。連合王国とその属国は、グレイスの二十年あまりの治世でかつてない繁栄を遂げることになる。
王位について十年、グレイスは隠遁していたトール・ゴールデンフリースを探しだし、自らの養子とした。さらに十年の後、彼女は退位を宣言し、全権をトール王子に譲り渡した。マリア・ゴールデンフリースから簒奪した権威権力を、今度はマリア・ゴールデンフリースの弟に禅譲したのである。
隠居したグレイスは故郷に帰り、以後、権力とは無縁の日々を過ごした。一度だけ王となったトールから求婚されたが『仮初めにも母となったこの身に求婚するなどもってのほか』と叱責し、以後、二度と会うことはなかったという。
享年六十八歳。その墓碑にはグレイス自らの命で『友が愛した大地に還らん』と刻まれた。
狂乱の女帝を倒し、復活した悪竜をも打ち滅ぼし、三百五十年にも及ぶ大陸連合王国の礎を築いた彼女のことを、人々は称える。破竜の処女賢王、と。
青き薔薇に勝利を、黄金の羊に愛を mikio@暗黒青春ミステリー書く人 @mikio
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