第7話 エピローグ

事件から四日が経過した。

雲一つない晴天の水曜日、袈裟丸は五号館の喫煙所で一人煙草を吸っていた。

雲一つない晴天の日は決まって風が強いと袈裟丸は思った。

この大学がある地域に住むと尚更そう思うことが多かった。

七草は、月曜日から実家のある九州に帰省している。どうやら実家で一泊した後に祖父の家のある中国に向かうようだった。

結局、羽田空港のD滑走路はまだ普及できなかった。そのため、新幹線で七草は帰省することになった。

あの事件の後、古見澤と袈裟丸、七草そして板倉悟は古見澤の車で帰ることになった。

黒い作務衣の塗師明宏は、この場に残ると言って四人で帰ったのだった。

古見澤の車は四人乗りだったため、袈裟丸はどうなるのか気になっていたが安堵した。

帰宅中は、袈裟丸も七草もその日にあった出来事を振り返りたくはなかったので、すべての話を古見澤としていたわけではなかった。

火鳥の行方も分かっていない。あの後、電話を掛けてみたが繋がらなかった。

四人は板倉悟を叔父の家に連れて行った。

板倉悟は家について問題があったわけではなかった。

モアイ男が手に入れたがっていたUSBを持って逃げていたということが分かった。どうやら飛行機事故で死んだ父親からUSBが郵送されてきて、もし自分たちに何かあったら、これを持って逃げろという漠然とした指示があっただけであり、また身内と言えども他言無用であるということが付け加えられていたとのことだった。

板倉悟は忠実に父の言うことを守った。そのために失踪ということになっていた。

板倉悟は父親が勤めていた変電所が閉鎖されているが中に入ることができることを知っていたのでそこを目指したのだと言った。

結果、しばらくは変電所で静かに過ごすつもりだったのだと言った。

袈裟丸は確かにネットワークがあればどこでも仕事や研究はできる時代になってきたからそれは可能だっただろうと思った。

板倉悟の持つUSBを手に入れたがっていたあの男は何者だったのか。

そのことを板倉本人は知らなかった。また古見澤も知らないと言っていた。しかし、袈裟丸が見る限り、古見澤は嘘をついていると思った。

それは本人の口からいつか聞けるのだろうと考えている。

そのための少し時間をくれ、だったのだろうと思った。

袈裟丸の一本目の煙草が無くなりかけた時、五号館から古見澤が出てきた。

「よう」

古見澤は右手を挙げて挨拶した。左手はポケットに入れたままだった。

袈裟丸も煙草を持った方の手を挙げた。

古見澤は袈裟丸の向かいのソファに座った、

いつもならば七草が座っているはずの場所だった。

座面の布がところどころ切れてクッションが見えているソファである。

「調子はどう?」

「アメリカ映画のサブキャラの第一声だな」袈裟丸は煙草を灰皿に入れて二本目に火を点けた。

「良さそうでなにより」古見澤は微笑む。

しばらく沈黙が続く。

袈裟丸は古見澤が質問をどうぞ、と言っているように見えた。

「結局、あのモアイ男は何だったんだ?何で悟さんの持っていたUSBが必要だったんだ?」

古見澤は一度地面に視線を落とす。すぐに袈裟丸の顔を見た。

「あの人はある組織の一員だよ」

「組織?ゼーレか?」

袈裟丸は鼻で笑ったが古見澤の表情は真剣だった。

「板倉悟さんのお父さんもその組織の一員だった」

袈裟丸は真剣に聞き始めた。

「何があったかは本人しか知らないけれど、そこの組織の情報をリークしようと考えていた」

「やり方が気に食わないとかかなぁ」

「まあ、そうかもしれないな。それでその組織の情報をコピーしたUSBを公開しようとした」

袈裟丸は組んでいた足を降ろして前のめりになる。

「それで飛行機を落としたっていうのか?それだけの理由で?」

「その組織にとっては十分な理由だったんだろうね」

袈裟丸はソファに身体を預けた。快晴の空なのに嫌な気分しか湧き上がってこなかった。

それだけの理由で何百人が乗っている飛行機を墜落させるくらいの組織があることに袈裟丸は怒りを覚えた。

「今回、組織の目的は二つあった」

古見澤は指でVサインを作る。

「一つは板倉悟さんが持っているはずのUSBの回収。これは失敗に終わった。然るべきところが回収したからだ」

袈裟丸は古見澤の発言に引っかかるところがあった。しかし、最後まで古見澤の話を聞くことにした。

「もう一つは袈裟丸、お前を連れ回すことだ」

古見澤は指を袈裟丸の方に向けた。

「はぁ?何で俺が関わってくるんだ?」袈裟丸は声を上げた。

「金曜日にニュースでもやっていた大きな事件があったね?」

古見澤は感情的にならすに言った。

「羽田の事故だろう?」

袈裟丸は七草と食堂で見たニュースを思い出す。

「そう。その事故だ」

古見澤は前のめりになる。

「それにお前が関わっている」

袈裟丸の煙草から灰が膝に零れ落ちる。

袈裟丸は気が付いて膝の灰を払う。

「ちょ、ちょっと待って。何でそれに俺が関わっているんだ?」

袈裟丸には全く意味が分からなかった。

「袈裟丸、研究で良く判らない人工衛星からデータを取得しているな」

袈裟丸は頭に金槌を振り落とされたようになった。

心臓の鼓動が早くなっている。

袈裟丸は何も言えなかった。

「あの衛星はね。通称Z.E.U.Sと呼ばれる人工衛星だ。その組織が秘密裏に打ち上げた」

「そ・・・そんなこと今の日本でできる訳・・・」

「それができる組織なんだ」

袈裟丸の発言に被せるようにして古見澤が言った。袈裟丸はそれを言われたら何も言えなくなってしまった。

「なんのためにそんな衛星を?」

「攻撃だよ」古見澤はコンビニに行くかのように言った。

袈裟丸は煙草を持っていない手で頭を掻き上げる。しかし、カチューシャに引っかかってまともに上げられなかった。

「もしかして俺が攻撃の命令をしたとかか?」

「いや、違う」

袈裟丸は少し安心する。

「お前がPCを使っていると衛星への指令が伝わらないバグがあったんだ」

「バグ?」

「そう。袈裟丸が研究の目的でデータを取得する間は衛星への指令が伝わらないっていうことに組織は気が付いた」

「ん?え?火鳥さんも組織側の人間か?」

「気が付いたね。そう言うことだ。最初から組織の目的は袈裟丸にPCを使わせないことだった。だから時間のかかる映像解析をお願いした。衛星からデータを取得させないようにしたかったからだ」

袈裟丸は羽田空港のD滑走路が崩壊した日の事を思い出す。あの時は崩壊があった時刻、火鳥から板倉悟捜索のお願いを受けていた。自分はPCの前にいなかった。

そしてその後は映像解析にPCを使用しており、衛星からのデータ取得は行っていなかった。

「ここで組織の計画がまた狂うことになる」

古見澤は淡々と話す。

「本来は次の土曜日に成田空港も攻撃する予定だった」

「え?そんなニュースはやってなかったぞ」

袈裟丸は古見澤の目を見て言った。

「そうだろうね。失敗したから」

「なんで?」

「僕が袈裟丸の研究室に行って画像解析を停止させて、衛星から適当なデータを取得し始めたからだ」

「は?それだけ?」

「そう。それだけ」

「鍵は?」

「まあまあ」

「まあまあ、じゃねぇよ。時々お前はすれすれの事やるよな。去年も道端で」

「それは今関係ないだろ?」

袈裟丸は煙草の灰を落とす。古見澤がどうやって袈裟丸のPCから衛星へとつないでデータを取得することができたのかも気になったが聞くのを止めた。

「だから組織は慌てただろうね。でも羽田が上手く行ったから試運転としては上々だったっていうことで諦めたんだろうと思う」

袈裟丸は紫煙を吐き出しながら聞いていた。

あまりにも非現実的なことだと思った。それを淡々と話す古見澤は一体何者なのかとも思った。

「俄かには・・・信じがたいね」

「そうだろうね。でも本当だから仕方がない」

袈裟丸はそんな古見澤の顔を見ていた。

「ん?でもそんな衛星があったら日本のどこでも狙えるだろう?今はどうなっているんだ?」

古見澤は少し真剣な顔になった。

「今は無効化できているけど、それがどれだけ続くかわからない、それまでに何とかすると思うよ」

古見澤の言葉に袈裟丸は煙を空に向かって吹いた。二人の上には六号館への渡り廊下があるが関係なかった。

結局、日本にとって脅威が一つ加わっただけだった。

衛星がどうやって攻撃をしているのか、袈裟丸は聞こうと思ったがそれも止めた。聞いたところで防ぎようがなかったからだった。

「まあ、とりあえず板倉さんも戻ってきて良かったじゃないか」

古見澤は話を変えた。

「まあな」

「未来ちゃんは?実家に帰らせてもらうって車の中で言っていたけれど?」

「古見澤のニュアンスだと、夫婦喧嘩の行く末みたいに聞こえるんだよ。ただの帰省だって」

「そうか」古見澤は微笑んだ。

袈裟丸はなぜあの話の後で微笑むことができるのだろうと思った。

「なあ」

袈裟丸は最後の一吸いを肺に吸い込むと古見澤に言った。

「あの塗師っていう人は誰なんだ?なんでお前と一緒に行動していたんだ?」

管理建屋の屋上にいた時から気にはなっていたことだった。

袈裟丸は一度俯くとすぐに顔を上げる。

「やっぱり気になるか?」

「当たり前だろう。あんな格好だしな。お前がいう『組織』以上に気になるって」

古見澤は声を上げて笑った。

「そうか。そうだよな」

そう言うと古見澤は頭を掻く。

「でもお前だけに話しても意味がないんだ」

古見澤は申し訳なさそうな顔をした。

「七草も一緒ではないと駄目っていうことか?」

七草も塗師を不思議がっていたことを袈裟丸は思い出す。

「いや。そうじゃない。俺ら全員だ」

古見澤は脚を組んで言った。

袈裟丸は古見澤が言う意味が分かった。

「近いうちに飲み会開けってことだな」

袈裟丸は笑った。

「そうだな。まあ、年末にしようか。今は忙しいだろうからね。忘年会ってことで」

古見澤は言った。

「随分時間を空けるんだな」

「こっちもやることがあるからね」

「古見澤、今時間あるのか?」

「うん。今日はそこまで忙しくない」

「じゃあ」

袈裟丸は二本目の吸殻を灰皿に捨てると、膝に肘を乗せるようにして前のめりになった。

「聞かせろよ。お前の物語を」

袈裟丸は口角を上げて言った。

目の前の古見澤は少し考える素振りをした。

「長いぞ?」

袈裟丸は三本目の煙草を取り出して火を点けた。

一本で足りるだろうかと思いながら、空になった箱を握りつぶした。

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射界走性~Over/lay‐er/osion~ 八家民人 @hack_mint

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