夫婦 アンド ハーフ

竹凪

夫婦 アンド ハーフ

 今日の夕飯はなにがいい?

 そう尋ねると、あなたはいつも同じように答える。


「なんでもいいよ」


 仕事のため家を出る直前に、しかも毎日欠かさず聞かれるためか億劫さを隠しもしない。

 眉間に皺を寄せて両手に仕事鞄と今日出すゴミを持って玄関を出ていく姿を見送って、扉がガチャンと閉まるのと同時にため息が零れる。


「なんでもいい、が一番困るんだけどな」


 それに「なんでもいいよ」と言いながら本当のところなんでもよくないのだ。

 以前、お隣さんからの貰い物で作った野菜炒めにあの人の大嫌いなナスを入れたことがあった。すると、いつも難しそうな顔をしているあの人はそれを見て普段の三倍くらい眉間に皺を寄せていた。生真面目な性分なものだから、自分でなんでもいいと言った手前か文句は一言も漏らさなかったけれど、その分表情にその心の内がありありと現れていた。

 出されたものは残さず食べる人だから、嫌いなナスを他のものと一緒に食べるなどして頑張っていた。私がテレビの方を向いている内に、鼻を摘まんで食べるなんて子供みたいな方法を試していたのには少し笑ってしまった。本人は見られていないと思っているようだけど、横目でバッチリと目撃している。

 なんでも食べる人ではあるけれど、好き嫌いは結構多い。

 トマトのあのグチュグチュしたところも苦手みたいだし、キノコも基本的には食べられるけれどシイタケだけは嫌いのようだ。

 さらに面倒なのは嫌いなものを尋ねると「ない」と答えるところだ。

 負けず嫌いというか、意地っ張りな性格なためか、自分の苦手なものや弱点をとにかく隠そうとする。確かに、アレルギーだったり本格的に食べられないものはないみたいだけれど、苦手な食べ物くらいには素直に教えてほしい。

 嫌いなものはないというから「でも、ナスは嫌いだよね。あとシイタケとかも」と問い詰めたら「そんなことない」と頑として認めようとしなかった。それ以降、私はあの人に嫌いなものを尋ねることをやめた。

 顔を見ればわかることだからだ。

 不愛想な顔がデフォルトで、寝起きや仕事に行く直前は酷く気怠そうな顔になる。嫌いなこと苦手なものを前にすると、いつもより眉間に皺が寄る。

 逆に好きなものや嬉しいことがあると、口元がにやけるのを堪えるようにきゅっとなって視線がそれに釘付けになる。

 周りからはよく「いつも機嫌が悪そう」とか「不愛想でなに考えているかわからない」なんて言われるけれど、付き合ってみると感情が顔に出やすくてとてもわかりやすい人だ。ちょっと面倒なところも確かにあるけれど、そこはもう慣れ。


「夕飯、なににしようかな」


 嫌いなものを言わないように、好きな食べ物のあまり主張しない。付き合い初めに手料理を振る舞おうとして「ガム」と答えた時に思わず頬を抓った私は悪くないと思う。

 ただ表情にはよく出るので、食事時にあの人の表情の変化を観察して好き嫌いを分析するのが私の習慣になっている。

 好きなものばかり作っていると栄養が偏るし、家計や冷蔵庫の中身も考慮しないといけない。嫌いなものでも調理法によっては嫌な顔をせずに食べたりもするのでその辺りも研究しているところだ。

 考えることは多い。なんでもいいと言われると、その選択肢の多さになかなか決められない。冷蔵庫の中は今朝綺麗にしてしまったので残っているもので決めるということもできないのだ。


「……あとで決めよ」


 よく利用するスーパーで今日はセールをやる。今日の献立は買い出しに出かけた時に決めることにして、いつものように家事に取り掛かる。

 食事の内容なんて、自分だけなら適当に決められてしまうのだけど。

 手を抜こうにも自分以外にも食べる人がいて、毎日仕事を頑張ってくれているのだと思うと自然と力が入ってしまう。

 食器洗い、洗濯、掃除といつものように順にやっていき、その途中で足りない日用品などに気づいたりしたらメモしておく。

 一段落ついたらパソコンの前に座って仕事を片付ける。画面に向かっていると集中してしまうため時間の流れが速い。ふと時間を確認するともうお昼時になっていた。

 昼食は私一人のため朝の残りもので適当に済ませる。一人で取る食事は味気なく、呆気ない。さっさと済ませると、干していた洗濯物を取り込んでたたむ。

 毎日変わらないルーチンワークを午後もこなしているとそろそろ良い時間になり、いそいそと出かける準備を始める私。


『買い物に行くけど、欲しい物とか食べたいものってある?』


 あちらは仕事中だろうけれど、スマホを確認するタイミングは多いようで、メッセージを送ればそこそこの確率で返信が来る。ただ向こうの都合もあるので返事は遅い。買い物中には来るだろうかと思っていると、予想外にすぐさま返信が届いた。どうやらタイミングが良かったらしい。


『プリン』


 聞きたかったのは夕飯のメニューについてなのだけれど。


『了解』


 食後のデザートにいつものぷっちんするプリンを用意することを決めて私は外へと繰り出した。

 ご近所さんとすれ違いざまに挨拶しながら考えるのは今日の夕飯だ。

 正直、朝昼晩とバランスを含めて毎日考えるのはとても面倒だと思う。手を抜きたくなることもしばしばで、実際に一人暮らしの時はかなり適当だった。

 あの人の『なんでもいい』も私の楽なようにしていい、という意味が含まれているのは知っている。

 しかし、こうして作ろうとすると少しでも美味しい物、喜んでくれるものにしようとあれこれし始める。

 お肉や野菜は値段だけでなく質も吟味するようになった。話題の調味料なんかも調べて手に取るようになった。

 昔から自分は面倒が嫌いでずぼらな人間だと思っていたのだけれど、人というのは変わるものらしい。

 馴染みのスーパーでメモを片手に買い物しながら、結婚する以前と今とでの自分の変わりように苦笑いを浮かべた。


「あ、プリン」


 籠の中にプリンを入れ、少し迷ってからその隣にあった別のプリンも手に取る。

 こっちの味も好きだったはずだ。食べていたら間違いなくスプーンが伸びて来ることだろう。

 メモと籠の中身を見比べて買い忘れがないことを確認してレジへと向かう。

 事前に予定していたものはこれで全部。しかし、途中でチョコレートの特設コーナーを見つけて、つい足を止めてしまった。


「そっか、バレンタインか今日は」


 美味しそうなチョコレートが各種取り揃えられていて、包装も可愛らしくて眺めているだけでも飽きない。

 どうせなら、これも買っていこう。

 付き合っていた頃から、市販品だとか手作りだとかに互いに拘りはなく、片方だけではなく二人で送り合ったりしてイベントを楽しんでいた。

 だから市販品でも許してくれるはずだ。

 結婚して今更手作りのチョコレートを用意するというのも気恥ずかしい。

 あの人は甘いものが好きなので買ってくれば喜んで食べるだろう。昔、「チョコの味は幸せの味」とかなんとか難しい顔をしながら呟いていたから間違いない。

 少々予算オーバーしたけれど欲しいものは全て買えたので上機嫌だ。

 行きよりも幾分か軽い足取りで帰宅すると、手洗いうがいを済ませてから買って来たものを冷蔵庫にしまい込む。

 インスタントコーヒーを淹れて三十分ほど休憩を取ってから夕飯の支度に取り掛かる。


「ただいまー」


 料理が完成するのとほとんど同時に玄関から聞き慣れた声が届いた。

 いつもより帰って来るのが速い。どうも今日は珍しく定時で上がれたらしい。


「カレーのいい匂い」


 そう、今日はカレーだ。

 ハヤシと迷ったのだけれど、カレーになった。私はハヤシ派なのだが、この人はカレー派。気づけばカレールーを選んでいた。


「手洗いうがい忘れないでね」


 鞄を投げ捨てて一直線に鍋をのぞき込みにやってきた。カレーが好きなのはわかるけれど、この季節は風邪やらインフルエンザが怖いのだからしっかりして欲しい。

 こくり、と頷いたけれど、彼女の視線はカレーにずっと注がれたままだ。


「大盛り。大盛りね」


「わかったから、速く手を洗ってきなさい」


 夫婦ではなく母親と息子のようなやり取りだなと笑う。

 彼女が洗面所へ行くと、私はそそくさと盛り付けを始める。ご注文通り、彼女のは大盛りだ。

 テーブルにカレーと福神漬けとサラダとプリンを並べて、夕飯の準備が整った。

 プリンが置かれていることに気づいて、彼女の口がもにょもにょとする。喜んでくれて幸いです。


「「いただきます」」


 食事の時間に会話はない。テレビも付けないので、食器の音だけが大きく響く。

 彼女は食事に集中したいタイプらしく、私も話しかけたりしない。美味しいかどうかは、視線を上げればすぐにわかる。スプーンの動きが速い。大盛りカレーが見る見ると減っていく。


「よく噛んで食べないと身体に悪いよ?」


「カレーは飲み物」


 噛まないと消化にも良くないし太りやすくなるんだけど、うるさくしてせっかく美味しく食べてるところに水を差すのも気が引ける。

 それ以上何も言わず、揃って黙々と食事を続ける。

 盛り付けた量には差があったはずだけど、お皿が空になったのは二人同時だった。

 そしてプリンに手を付けるのは向こうの方が速かった。


「そっちのもちょーだい」


「いいけど、交換ね」


 半分ほど食べた辺りで互いのプリンを交換する。こうして互いに交換し合うので、デザートなんかは味の違うものを買ってくるのが常だ。


「「ごちそうさまでした」」


 一緒になって手を合わせ、食べ終わった食器をシンクへと運んでいく。皿洗いは私の担当で、彼女はソファーにもたれ掛かって寛いでいた。

 家事に関しては基本的に彼女は私に任せきりだ。そこに文句はない。彼女より私の方が家事に拘りが強く、家事自体も好きなため敢えて手を出してこないだけだからだ。

 私としても、外で頑張って仕事してきて疲れているんだから家事なんて手伝わないでのんびりしていて欲しい。


「食後のお茶入れるけど、一緒に飲む? それとも、もうお風呂入る?」


「飲むー」


 飲むということなので、彼女の分のコップも用意してお茶の準備をする。ティーバッグ式の緑茶にお湯を注いでタイマーをセット。タイマーが鳴ったらティーバッグを取り出して完成。簡単だけど、結構美味しい。


「お茶淹れたよー、ってあれ?」


 二人分のお茶を持ってくると、先ほどまでソファーに伸びていた彼女の姿がない。トイレだろうか。

 彼女の分をテーブルに置いて、ソファーに腰掛けて熱いお茶を一口含む。

 うん。我ながら上手に淹れられている。美味しい。

 そうして、人心地ついたところで彼女がリビングに戻ってきた。


「これ」


「え?」


 可愛らしくラッピングのされた箱を唐突に手渡される。もしかして、これは。


「開けていい?」


「うん」


 端から慎重に包装を剥がしていくと、現れたのはやはりチョコレートだった。

 バレンタイン、ということで用意してくれたらしい。

 彼女の気持ちが嬉しくて思わず頬が緩んでしまう。が、あることに気づいた。


「どうかした?」


「ちょっと待ってね」


 しまってあった今日買ってきたチョコレートを持ってきて彼女に渡す。

 嬉しそうに包装をベリベリと剥がして中身を確認すると「あ」と声を漏らした。


「おんなじだ」


「同じのだね」


 奇しくも、私たちが用意してきたチョコレートは全く同じものだった。

 これはプレゼントを選ぶ際に、彼女は好きなものから自分が気に入っているものを選び、私は相手が一番好きそうなものを選ぶという性格から生じた偶然だった。

 彼女は数あるチョコレートの中から自分が最良だと思うものを選び、私は彼女が一番喜びそうなものを買った。これはそういうことだ。

 それにしても、今時星の数ほどある市販品から互いに同じものを選ぶとは。

 有名ブランドのちょっとお高いチョコレートで、味の違うチョコレートが八種類入っているというものだ。味だけでなく、チョコのデザインも一つごとに異なっていて非常に手が込んでいる。中身だけでなく外箱もおしゃれで、高い値段も納得の一品だ。


「まあ、これなら一人一個ずつ食べられる訳だし、これはこれでいっか」


 ものが一つしかない場合は、いつもなら二人で半分こにするのだけれど、これなら各種一つずつ食べられる。

 さっそく一つ食べてみようと蓋に手を掛けたところで、横から伸びてきた彼女の手に掴まれた。

 私がチョコレートを食べるのを阻止すると、彼女は自分のものから取り出して一口囓った。


「美味しい」


 どういたしまして。けど、私が食べるのはダメなのだろうか。

 何の意地悪?


「ありがとね」


 頬を赤らめて小さく感謝の言葉を呟くと、私の返事を封じるように囓ったチョコを口へと押し込んできた。

 女性らしいほっそりとした指先が唇の上をなぞり中心に来るとつんっと突いて離れていく。その指先を彼女は自分の唇へと持って行き口付けると、きゅっと口端をつり上げた。


「ハッピーバレンタイン」


 私たちの口の中にいっぱいのチョコレートの味が広がった。

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