第三十四話 その後の巫女(後編)

   

「本当にいいのかい、ケン坊? こんな離れた場所からで……」

「そうだぞ。もう少しくらいは近づいても構わない、と私も思うのだが……」

「二人とも、ありがとうございます。でも僕は、ここから見守るだけで十分ですよ」

 そう言ってみやこケンは、ゲルエイ・ドゥとピペタ・ピペトに対して、笑ってみせた。

 三人の現在地は、寺院からは通りを渡った反対側。それも真正面ではなく、さらに少し歩いた辺りになっている。ちょうど、通りの両側に立ち並ぶ木々の間に隠れるようにして、そっと寺院の様子を眺めているのだった。


――――――――――――


 前回の召喚から、ケンの世界では、まだ三日しか経っていない。

 一方、この世界のカレンダーでは、走りの月の第十七、月陰の日。復讐屋として標的の三人を――セルヴス・マガーニャとモナクス・サントスとカルロータ・コロストラを――屠った日から数えて、ちょうど十日後になっていた。

 今回もゲルエイの長屋へ召喚されてきたのだが、そこにいたのはゲルエイだけではなく、ピペタも一緒だった。今日は非番なので、ピペタが都市警備騎士として知り得た情報を交えて、その後の次第をケンに教えてくれるのだという。

 まずピペタが告げたのは、三人が殺された事件の捜査は打ち切りになった、という話。

「調べていくうちに、モナクスの裏帳簿が発見されてな……。どうやらモナクスという男、相当な出世欲の塊だったらしい。神託の巫女を利用して稼いでいたのも、私服を肥やすというより、出世のための軍資金調達という意味合いが大きかったようだ」

 勇者教の上層部に対する贈賄を、モナクスは事細かに記録していた。そんなものを見つけてしまった以上、捜査の手は、そちらへも伸びることとなり……。

「宗教組織とはいえ、叩けば埃が出るものらしい。勇者教のお偉いさんたちは、様々なルートを通じて、都市警備騎士団に要請してきたというか、圧力をかけてきたというか……。結果、事件は終了となったのだ」

「あたしたちにしてみれば、結構な話だよ」

 とゲルエイが口を挟んだところで、ピペタが、思いついたように付け加えた。

「そうそう。今言ったような事情は、当然、一般の者には知らされていない。だが捜査の過程で浮かび上がってきたカルロータの素性は、寺院の者たちにも漏れてしまった。実は彼女は、もともと娼婦だったらしくてな。寺院の方では、少し問題になったようだ」

 しかもあの夜、カルロータの死体は、セルヴスが強氷魔法フリグダで消滅させてしまった。そのため公式的には、カルロータは殺されたのではなく、姿を消したことになっており……。

「どうやら寺院関係者の間では、カルロータがモナクスとセルヴスを殺して逃亡した、と思われているらしいぞ」

 そう言って、いったん話を締めくくるピペタ。

 すると、ゲルエイが悪戯小僧のような笑みを浮かべる。

「でも、ケン坊。これで話は終わりじゃないんだよ。というより、ケン坊が一番聞きたいのは、こんな話じゃないだろうからねえ」

「そうですよ。アデリナさんは、結局、どうなったんですか?」

 それまで黙って聞いていたケンも、ゲルエイに誘い出されたようにして、口を挟んでしまった。

 これを聞いて、ピペタもニヤリと笑う。

「まあ、そうだろうな。大事な話だと思って、最後に残しておいたのだが……。結論から言うと、アデリナは回復したぞ」

「やったあ!」

 ケンは思わず、喜びの声を上げるのだった。


 続いてケンは、ピペタとゲルエイの二人から、アデリナ・オレイクが一週間も前に意識を取り戻していることや、しかし最近半年間の記憶を失っていることも聞かされる。

「つまり、あの三人の悪事の秘密どころか、自分が神託の巫女だったことすら、もう覚えていない、というわけだ」

 ピペタは敢えて口に出さなかったが……。それはつまり、ゲルエイやケンに会ったことも忘れている、ということだった。

「そもそも『神託の巫女』っていうのは、魔法で作られた偽りだったからねえ。あの三人が消えた今、二度とアデリナに神託が降ることはないんだけど……」

「うむ。それも世間では、記憶と一緒に特殊な能力ちからも失われのだ、と考えられているようだな」

 アデリナ復活は朗報のはずなのに、ケンの顔には、少し寂しそうな色も浮かんだのかもしれない。

 続くゲルエイの声には、慰めるような響きが感じられた。

「昏睡状態から回復した人間の記憶が欠損する、というのは、昔からよくある事例だからねえ。勇者伝説の中にも、それらしきエピソードが出てくるくらいだ。回復魔法でもどうにもならず、自然に思い出すのを待つしかない、って……」

 だがケンには、アデリナが『自然に思い出す』とは思えなかった。

 今回のアデリナの場合、魔法の電撃で襲われたことが原因に違いない。学校の授業かどこかで、ケンは「記憶とは脳の電気信号である」という話を聞いたことがあった。

 例えば電気的なショックを受けて、パソコンのハードディスクからデータが消えたら、自然に復活するとは考えられない。それと同じで、アデリナの記憶が蘇ることは、二度とないのではないだろうか……。

 そう推測するケンに対して。

「どうだい、ケン坊。元気になったアデリナの様子、こっそり見に行ってみないかい?」

「前回、二人だけで寺院に行かせたら、ゲルエイの『監督不行き届き』があったからな。今回は、私も同行するぞ」

 と、ゲルエイとピペタは言ってくれたのだった。


――――――――――――


「……アデリナさんの方から、こうして参道まで出てきてくれましたからね。僕たち、運がいいですよ」

 木々の間に半ば身を隠しながら、視線は寺院の方へ向けたままで、ピペタとゲルエイに告げるケン。

 無理をしているように聞こえるかもしれないが、これは自分の本心だ、と彼は感じていた。

 正直、ここに来るまでの間、たとえ寺院まで出向いてもアデリナの姿を見られる保証はない、と思っていたのだ。口には出さなかったが、おそらくピペタとゲルエイだって、同じように考えていたのだろう。

 それなのに、元気な姿を見ることが出来たのだ。本当に、もう十分ではないか。

 いつもの白赤の巫女服に包まれたアデリナは、前回ケンとゲルエイが訪れた時と同じく、笑顔で掃き掃除をしていた。まるで、恐ろしい事件なんて何もなかったかのように。

 ケンの脳裏に、前回の訪問の思い出が浮かんでくる。

 アデリナと話をしたこと。プレゼントとしてお守りを渡したこと。それをアデリナが喜んで受け取ってくれたこと……。

 それらは、もはやアデリナの記憶の中にはなく、ケンの一方的な思い出となってしまった。ケンとしては少し泣きたい気持ちにもなるが、しかし今のアデリナは、色々と忘れたからこそ、まさに『恐ろしい事件なんて何もなかった』という状態なのだから……。

「この方が、アデリナさんにとっては良かったんでしょうね。だから僕たちは、下手に近づくのはやめておきましょう。変に刺激したら、記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないから……」

「……ケン坊。あんた、少しは大人になったねえ」

 しみじみと呟くゲルエイに続いて。

 ピペタが、ケンの肩をポンと叩く。

「よし、ケン坊。気晴らしを兼ねて、今日は一日、こっちの世界で遊んでいかないか? 私のオススメは『アサク演芸会館』だ。殺し屋のオモテの顔、まだ見たことないだろう? ほら、ゲルエイも一緒にどうだ?」

「やめときなよ、ピペタ。あたしたちが雁首揃えて見に行ったら、殺し屋だって嫌がるだろうさ」

「いやいや、正体を知る私たちだからこそ、あれは見ものなのだ。信じられるか? あの殺し屋が、客に向かって笑顔を振りまく姿! しかも真っ赤なレオタードに黒い網タイツという、扇情的な格好で……」

「これだから男は……。聞いてるだけで、あたしゃ恥ずかしくなるよ」


 軽く言い合いをする二人と共に、ケンは歩き出す。

 完全に見えなくなるほど離れる前に、最後に一瞬だけ振り返って……。

 若い巫女たちに囲まれて笑顔を浮かべる、アデリナの幸せそうな姿を、その目に焼き付けるのだった。




(「神託の巫女」完)

   

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異世界裏稼業 ウルチシェンス・ドミヌス(3)「神託の巫女」 烏川 ハル @haru_karasugawa

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