第5話 正解など何処にもない


「というわけでここは1964年の日本共和国だ」

「えっ……」

「無論、東京オリンピックは開催されない」

「デスヨネ。……そしてこれは何です?」


 僕はカプセル内の炬燵の上に突如として現れた気色の悪いモノを見て言った。


「イナゴの佃煮だ」

「何でよりにもよって」


 僕は虫が苦手なのだ。できることなら口にしたくない。


「いいか、落ち着いて聞け。コイントスの結果、共産主義の覇権が確立された」

「……!」

「共産主義体制下で、深刻な飢饉が発生している。コルホーズに似た集団農業体制が徹底されているが、その稼ぎだけでは、人々はとても生きていけない。日本共和国国民は、虫でも何でも食べて命を繋いでいる」

「そんな……!」

「佃煮があるだけありがたいと思え」

「うげえ!」


 僕にとっては地獄絵図だ。

 いやイナゴが嫌いじゃない人間にとってもそうか。

 飢餓状態だなんて、そんな酷いこと、あってたまるか。戦争はもう終わったんだぞ。本来なら高度経済成長期の真っ只中なのに。


「安心しろ、お前の好きな博多明太子は国民食となって残っているぞ……それも高級食材だが」

「いつ僕が明太子好きだって言いました? 嫌いじゃないですけれども」


 ハカセは暗澹たる表情をした。


「スターリンを倒しても、第二、第三のスターリンが現れただけだったのだ……。実に残念だ。このままではいずれ大粛清が敢行されてもおかしくない。だとしたら矛先はソ連内部と、その衛星国、特に極東に及ぶだろう」

「そんな」


 日本は餌食になるということか。それにアイヌも。何と恐ろしい。

 っていうか日本、散々な目に遭ってるなあ。


「なお、現在ソ連は少なくとも、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、バルト三国、プロイセン、中央アジア、アイヌなどを含んでおり、なおかつ東欧、モンゴル、日本などなどを実効支配している」

「は、はあ」


 広すぎる。影響力が強すぎる。具体的に言うとプロイセンとアイヌと日本が余計だ。


「世界情勢を確認しよう。四年前の『アフリカの年』で、アフリカ諸国が欧米からの独立を果たした。これに続く形でいくつかのアジアの国も独立をした。第三勢力が動き始めたのだ」

「おお、そこはうまくいったんですね」

「そうとも言えん。ソ連の衛星国となりそうな国もある。例えばカンボジアだ。このままではポルポトによる恐怖政治は防げそうにない」

「おうふ」

「そもそも日本が日露戦争に負けたせいで、他のアジア諸国の独立気運がいまいち高まらなかったのだ……。日露戦争の勝利は思った以上に世界に影響していたのだ。迂闊だった」

「あのねハカセ、それじゃあ適当すぎますって」


 迂闊だった、で済む問題か。

 こんなんだから僕は、軽率じゃないかって言ったのに。


「歴史の何が正しいのかなんて誰にも分からなかったんだ。ソ連は崩壊する方が良いのか? 日本は戦争をした方が良かったのか? ドイツ帝国は成立した方が良かったのか? そんなのは誰にも分からない。分からないのだ……」


 遠い目をするハカセを見て、僕は何度目か分からない嘆息をした。


「ハカセ。僕は最初からそう思って……」

「黙れ。もういい。リセットボタンを押そう」


 ん?

 リセットボタン?


「リセットできるんです?」

「はあ? 最初に言っただろう。これは単なるシミュレーションだと」

「ええ!?」


 そうでしたっけ!?

 え、じゃあ、今までの、命が削れるような思いは一体何だったの。僕の寿命を返して。


 ショックのあまり立ち直れない僕をよそに、ハカセはもうウキウキモードに突入していた。


「次、実験する時には、共産主義の台頭をもうちょっと抑えてみよう」


 切り替えの早いことだ。僕のテンションは全く追い付かない。


「それに、コイントスの結果が逆だったらどうなるものか、見物ではないかね? そのためにはまだまだ研究が必要だな! わっはっは」

「ハ、ハカセ、待って」

「リセットボタン起動」

「あー」


 キュイイイイン、と音がして、あっけなく、の世界が──いつもの日本が、僕の日常に戻ってきた。


「何だったんだ、全く!!」


 僕はドタッと畳に仰向けに倒れ込んだ。

 世界が破滅するかと思った。無駄にハラハラさせられてしまった。

 ハカセの道楽には、もう付き合いたくないものだ。


 だいたい、歴史に「もしも」などあってたまるか。正解などあるはずがない。良くも悪くも、一つ一つの積み重ねが、現在に連なっているのだから。


 ……でも、真に平和な世界というものを垣間見ることができるとしたら、それはそれで魅力的なことではないか、とも思ってしまう。

 僕も、コイントスのもう一つの結果、あるいはもっと新しい未来の可能性を、開拓してみたい。

 資本主義でも共産主義でもない、新たな道は果たしてあるのか?

 その好奇心はどうやら否定できそうにない。


 だから僕はいずれまた、ハカセのもとを訪れてしまうだろう。そしてまた、振り回されるのだろうな。


 あーあ。





 了

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歴史改変装置の大暴走 白里りこ @Tomaten

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