墓標公園の怪

ヒダカカケル

墓標公園の怪


*****



 ――――また禁止事項看板が増えている。


 今となってはそう驚くような事でもないけれど、通学路で見かける度にうんざりする。

 学校とその最寄駅の間に、行きと帰りの二度、必ずその横を通ることになる公園があった。


 だけど、そこで遊んでいる子供も、休んでいる大人も、犬を連れて歩く人の姿も見かけた事がない。

 というのも――――目に余る。まさに文字通り目に余る量の“おやくそく”看板がまるで墓石、でなきゃ卒塔婆そとばのようにずらり並んでいるからなのだ。


「エアガン遊び禁止、は分かるけど……逆に何ならできるの、ココ」


 ふと、うんざりしながらも脚を止め、ちょっと余裕のある登校時間に任せて園外から無数の“おやくそく”をあらためて俯瞰する。

 何度見ても滅入ってくる……“おやくそく”とは名ばかりの、言いがかりと難癖を羅列した墓標のような光景だ。

 野球禁止。サッカー禁止。園内禁煙。ベンチの長時間利用禁止。犬、ネコ等ペットの連れ込み禁止。大声を出してはいけません。スケートボード禁止。ゲートボール禁止。自転車の乗り入れ禁止。エアガン等禁止。ペットのフンは片づけましょう。ポイ捨て禁止。ハトにエサを与えないでください。花壇を荒らさないでください。エトセトラエトセトラ……。


 条文自体は別にどうでもいいが異様なのは、それらの“おやくそく”が全て。

 全て――――別々の看板に・・・・・・ひとつずつ記されているのだ。


「……頭おかしいんじゃないの、ホントに」


 雪がちらついてくる中、マフラーをぎゅっ、と高く巻き直したのは寒さのせいだけじゃない。

 地面に打ち込まれた看板に一文だけ書いてあるものもあれば、金網のフェンスに針金で吊るされたものもある。

 全てただ一文だけ“おやくそく”が書かれた、ムダにもほどがある物量には溜め息が出るし、その執念深さに悪寒までするのだ。

 きれいなゴシック体で印刷された“園内禁煙”は逆に怖い。“ポイ捨て禁止”はまるで殴り書いたように木製の看板に赤ペンキで書き込まれ、針金で陰湿なほどにぐるぐるとフェンスに吊るされていた。

 間違ってはいないのに、圧迫感ばかりが先行するのはきっと、伝え方に問題があるせいだと思う。

 遊具で静かに遊んでいろ、とはっきり書いた方がむしろ好印象なのではないかとさえ思えるぐらいだ。


 そして更に思った事がある。

 この看板の数々は、いったい誰がつくり、誰が設置しているんだろうか。

 私が知らないだけで、役所にはそういう事をする専門の職員がいるのだろうか?

 しかし思いはしても、調べるほどの興味はない。


 ――――さらけ出してしまっている脚が、冷たい。

 そろそろタイツでも穿くべき時期かもしれない。

 ただ、同級生達が今もまだ生足なせいで……なんとなく躊躇うのだ。


「……あぁ、もう……行こ」


 その公園は見ているだけでも気が休まらない。

 ネガティブな条文がどこを見てもオールレンジで目に入ってくる空間は、むしろあるだけマイナスではないだろうか。

 もう、更地にでもしろ。


 そんな、踏みつけにするような感想を心の中で吐き捨てて――――薄気味悪い寒気を殺しながら、足早に学校へ向かう。




*****


 更に、別の日の帰り。

 私は初めて、そこで遊んでいる子供を見かけたかもしれない。


「――――あれって……ローラーブレード?」


 見た目は小学校三、四年ぐらいだろうか。

 いかにも活発そうな五厘刈りの男の子が今どき珍しくなったようなローラーブレードで公園を一周するアスファルトの舗装の上を走り回っていた。

 かぁぁぁっ、という滑りの良い音、そして彼の足を固める直列したローラーが奏でる心地良い摩擦音。

 恐らくきっと新品なのだろうか――――遠目に見てもピカピカで、金属の固定具部分はきらきらと光る。

 こんな寒い中でよくもまぁ、と思うが……きっと誕生日プレゼントか何かで、買ってもらったのが今このタイミングなのだろうか。


 見ていればおぼつかない足元は見ていてひやりとしなくもないが、それより、彼の――――楽しくてたまらない、というような表情に癒される。


「そういえば……私も持ってたなぁ。懐かしい……」


 私が小学生の頃、少しだけ流行ったのを覚えている。

 私はうまく滑れなくて、結局一、二度履いて終わりだったのを見かねた母が、従姉妹いとこに譲る事になった。

 特に執着も見せず二つ返事で承諾したあたり、私は本当にローラーブレードに興味をなくしていたのだろうな。


 ともあれ――――なんとなく、ホッとした。

 この公園で遊ぶ子どもが、ちゃんといたことに。

 私はほんの少しだけ救われた気持ちになり……軽い足取りで、駅へと向かえた。




*****


「何なのさ――――これ!」


 翌朝そこを通った時――――まばらに歩いていた他の生徒からの視線を浴びると分かっていながら思わず叫んでしまった。

 物言わぬ公園にぶつけたところで何も意味など無いのに、それでも、耐えられなかった。

 いや、――――許せなかった。


「なんで昨日の今日で看板が増えてんのよ! アタマおかしいんじゃない!? 誰が文句つけたの!? っていうか――――」


 誰が設置したんだ。

 その一言を言おうとしてようやく冷静になれた。


「ローラースケート禁止、って……!」


 増えに増えた看板の中に紛れて、フェンスに吊るしてある看板がひとつ。

 ぴかぴかに光る真っ白いベニヤにただ一言、またしてもムダ使いのようなスペースに一言だけ。

 “ローラースケート禁止”の項目が増えていた。


 どう考えてもおかしい。

 私が昨日ここを通り、ローラーブレードで遊んでいた男の子を見たのは夕方の事だ。

 そして今、朝八時前。

 半日の間に看板が増えているなんてどう考えても異常な事だ。

 増えるにしたって、即日設置されるなんて誰かが文句をつけたにしても頭がおかしいとしか思えないし、設置する方もどうかしている。

 それに、何よりも――――あの子の笑顔を踏みにじっているとしか思えない。


「ふざけてんじゃないの……!? 何でもかんでも禁止にすりゃいいってもんじゃないでしょ!」


 またしても腹が立ってきて――――鼻息も荒く、怒りをぶつけてしまうのが自分で止められない。

 しかし無慈悲な条文の墓標は物言わず、“きまりはきまりですから”とでも主張するように、無人の公園を包囲するだけだ。


 遊び場を失った、あの男の子の心中を察するとやりきれない。

 何なら自治体に逆クレームの電話でも入れてやろうか、とさえ思う。

 “なんであんなに禁止事項が多いんだ。文句ったれのバカをいちいち相手にするなんてよほど公務員はヒマなんですか”とでもイヤミったらしく言ってやればスッキリするだろうか。


 そして――――結局行動に移す事はしなかったが、スマホで最寄りの役所の電話番号を調べるまではしてしまった。

 どうせ、何も。


 何も、改善なんかしないんだから。




*****


 そして、二週間ほどした、ある日の事だ。

 私は思いもかけない形で――――その公園に、足を踏み入れる。



*****


「――――えっ……?」

「だからさ。その……オマエ、彼氏いるのかって」

「え、っと……どういう、事、ですか……?」


 すっかり日が落ちるのが早くなった、暗く寒い下校途中。

 ほのかに想っていた三学年の先輩に話しかけられ、一緒に帰る事になり……気が気じゃない緊張感のまま、私はただ、ほぼ夜のような暗さの中彼と共に歩いていた。


 背丈はちょうと頭ひとつ分高く、低く落ち着いた声がとても優しい。

 顔を上げて見てみれば、横顔も端正に整っていて、心臓がそれだけでドキドキするような――――優し気な美形だ。


「……だから、俺と……付き合ってみないか、って言ってんだよ」

「ちょっ、と……何言ってるか、分からないです……」


 どこかで見た芸人の返しみたいなことを思わず言ってしまう。

 いや、言っている事は分かるが、あまりに唐突すぎて……返答に窮した。

 そもそもロクに言葉すら交わしていない、いや、今話したのが初めてだ。


「な、なんで……私? ってか、センパイ……えっ……?」


 さっきから言葉に詰まりすぎだ。

 脈絡のなさ、嬉しいはずなのに急すぎてむしろ怖いとさえ思える言葉は、とても信じられない。


「……見かける度にかな。なーんか……好きなんだよ。こないだ公園に文句垂れてたろ。めちゃくちゃ目立ってたじゃん? ……いや、違った。別にそれで好きになった訳じゃないわ。でもさ……ああもう、フるならフってくれよ。いっそ!」

「いえ、あのっ……私でいいんですか? マジで?」

「そう言ってるだろ。フるならフれ。付きまとったりしないから」


 いやいや、いや。

 フるなんて――――とんでもない。


「私で、いいんなら……よろしく、お願いします」



*****


 そのまま流れで歩いているうち、例の“墓標公園”が目に入る。

 真っ暗な中で見かけると更に不気味で……無数の看板とあいまって、本当に墓場に見える。

 数本かある程度の街灯ではとうてい照らし切れず、闇に包まれた遊具はまるで魔王のお城か何かに見える。

 足音ひとつせず、人っ子ひとりいなく、すっかり禿げた木々が風に揺れるきしみだけが聴こえる。

 その不気味さに思わず、手を引いてくれていた先輩の手を握り締めた時。


「なぁ。……ちょっと座らない?」

「えっ……ここで、ですか?」

「そうだよ。流石に座っちゃダメとは書いてねぇだろココ。連絡先とか交換し合おうぜ」

「……はい、センパイ」


 初めて踏み入れた公園の一角、ちょうどよく街灯に照らされたあたりにあるベンチを目指す。

 いい感じに経年した木製のベンチはほどよく丸みを帯び、温かみを感じるようなのに――――無数の因縁つけ看板に見張られていては元も子もない。

 私と先輩が隣り合って座り、メッセージアプリの連絡先と電話番号を交換し合い――――あきれたことにそこで初めて、互いの下の名前を知ったというのだから本当に脈絡のない告白劇だ。


「あの、そういえば……センパイ。当たり前なんですけど、三年間この道通ってるんですよね?」

「ああ、そりゃそうだ。何?」

「この公園……いつからこんな看板だらけになったんです? センパイが入った時からでしたか?」

「いんや。俺が入学した時はこんなんじゃなかった。確か俺が二年の夏ぐらいからこんな風になってたな。結構賑わってたぜ? 近くに小学校もあるしさ。ガキが遊んでたし、ジョギングするババァもいたし、でかい犬連れて歩くいつも着物の渋い爺さんがいてさ……元気なのかな」

「……なんでこんな事になっちゃってるか、知ってたりします?」

「俺が知るかよ。おおかた、ヒマな奴が苦情ブッ込んだとかだろ。よくあるだろ、保育園の近所に住んでるヒマなジジィが“子どもの声がうるせぇ”とか言ったり。テレビで見たけど除夜の鐘に文句つけるアホまでいたんだろ? 何もかも気に入らないんだろ、そういう連中は」


 私がふだん思っているような事を、先輩はほぼそのまま断言してくれた。

 確かにこの公園は一例に過ぎない。

 世の中、あまりに軽々に文句をつける人間が増えてしまった。

 献血ポスターのキャラ起用に文句を言い、自衛官募集のポスターのイラストに文句を言い、コンビニでお昼を買うお巡りさんや水分補給のため飲料を買う救急隊員をサボり魔扱いし。

 取り下げたら取り下げたで更にネチネチと揚げ足を取りSNSで“制裁”とやらを下す始末。

 自分が「被害者」だと。

 だから世界のほうを変える資格があるのだと。 

 臆面もなくそう思える人達を理解する事は、私にはとうてい無理だと思う。


「ま、どうでもいいだろ、そんなの。まさか高校生がベンチに座ってるだけで禁止になるわけねぇよ。別に深夜でもない。まだ六時にもなってねぇからそこもクリアだ」


 確かに、そうだ。

 高校生の男女が公園のベンチに静かに座っているのが何かに反するわけがない。

 だから、ふふんっ――――と得意げになり、ようやく、無数の看板たちに一矢報いたような気になれた。

 ざまぁみろ。

 私はお前達なんかに負けないんだから。

 “禁止”できるんなら、してみなよ――――。


「――――なぁ」

「えっ……ッ!」


 優しく、頬へ手を添えられて先輩の顔へ向かされた。

 さっきよりも――――顔が、近い。

 座った事で背丈の差が消え、ゆっくり、ゆっくりと――――先輩の顔が近くなる。


「……いやか?」

「…………」


 近づいてくる先輩の顔を見ているのが恥ずかしくなり、眼をぎゅっと閉じた。

 そのせいで、吐息と体温が更に鋭く感じられてきた。

 唇にあたる吐息は、もはや触れる寸前。

 そして。


 ――――ちゅ、っ……と、触れ合う程度に啄む、唇の感覚。

 一拍遅れて、燃え上がるような熱さが唇からじんじんと幸せとともに広がっていくのが分かる。

 触れ合ったのはほんの一瞬なのに……やばいくらいに、表情まで蕩けてしまっていくのが自覚できた。


 そして、ゆっくり。ゆっくりと――――先輩の手と、唇が、私の顔から離れていく。


 恥ずかしさのせいで、どうしてもまだ眼が開けられない。

 十秒。二十秒。眼を開けた時、そこにいる先輩に最初に何を言おうか。

 そう逡巡し、時でも止めたようにずっと瞼を下ろしたまま。


 やがて――――私は眼を開ける。


「あのっ……ふふっ……せん、ぱ……っ!?」


 ――――――いない・・・

 隣に座っていたはずの、先輩の姿がない。

 まさか帰ったはずなんてない。現にベンチの足元には先輩の鞄が置いてある。

 いやそもそも足音なんてしなかったしベンチから離れる気配だってしなかった。

 眼を閉じている間もずっと気配がしていたのに、眼を開けた瞬間、忽然と――――まさしく忽然と、最初からそこにいなかったかのように姿を消していた。

 座っていた場所に手をやれば、暖かいままだ。

 きょろきょろと辺りを見回しても人っ子ひとりいない、いつもどおりの――――“墓標公園”の光景が広がるだけだ。


 どっ――――と冷たく重い汗が全身から噴き出てくる。

 無数の看板がギラギラと獰猛に輝き、私を遠巻きに見つめるのはまるで……ジャングルの中、無数の獣に睨まれているような錯覚まで起こす。


「センパイ……! センパイ、どこですか!? やめてください、出てきてっ……!」


 立ち上がり、見渡してみても結果は変わらない。

 何もない、笑い声さえ禁止されたような冷たい空間が闇の中に広がっているだけだ。


「センパイ――――ひぃぃっ!?」


 がしゃんっ、という音が、金網のフェンスの方から聴こえる。

 そして――――雪がちらついてくる中に、私は見つけた。

 確かに、私は、見つけた。

 解き明かした。

 この公園に起きた事を。



 ――――“おやくそく”が、またひとつ。

 ――――フェンスにかけられていた。






 ――――“公園はみんなの場所です。過度なスキンシップはやめましょう”












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