きみの嘘、僕の恋心

有澤いつき

感受性豊かなきみの致命的な感情の欠如

碓氷うすいがいてくれてよかったー。あやうくずぶ濡れになって帰るところだった」


 そう言いながら三柳みやなぎは濡れた肩をはたいて身を寄せる。傘のなかに同居するには僕の折り畳み傘は狭すぎる。それでも「神様、仏様、碓氷様だな」と冗談を軽快に言い放って、三柳は隣を歩いていく。三柳の手と触れあうことがないようにと僕は少し距離を取った。右肩に雨のしずくが落ちる。


「なんで折り畳み持ってこなかったのさ」

「えー? だって、家を出たときは晴れてたから」

「午後からは雨だって天気予報でも言ってたのに」

「あたしテレビ見ないから」


 きゃはは、と甲高い声で三柳が笑った。よくとおる声だ。このまま雲を割って青空でも招いてしまいそうなくらいに。そんな特殊能力、漫画やアニメでしかお目にかかれないけれど。この間観た映画のせいだろうか。

 大学の正門を出てから真っ直ぐ坂を下り、踏切を越える。そこから駅まで十分ほどの距離、それが僕と三柳だけの自由な時間だ。ご覧の通り明るくて人懐こい三柳は大学の人気者だ。地味で厭世的な僕とは似ても似つかない。そんな彼女が何故文芸部などという地味なサークルを選んだのかはわからない。ともあれ、サークルでも華である彼女と僕が唯一二人だけで過ごす時間、それが駅までの帰り道だ。


「意外だな」

「なにが?」

「テレビ見ないんだ。三柳、流行りものとか詳しいし、細かくチェックしてるものかと」

「あたしは断然コッチだから」


 と、三柳はピンク色のスマートフォンをかざしてみせた。なるほど情報化社会。


「一人暮らしといってもたった四年だし、テレビ新しく買うのは違うかなーって。ネットで見逃し配信とかやってるし」

「確かに」


 かく言う僕の家のテレビもありはするがほとんど機能していない。録画しておいたBSのアニメを見る程度だろうか。

 右肩が雨の重みで冷えていく。僕は小さく身を震わせた。


「しかし寒いな、今日は」

「ほんと。この冬一番の寒さ……はもう終わったんだっけか」

「でも風が辛い。夜には雪になってるかもな」

「雪降ったら困るな、電車止まっちゃう」

「……三柳は雪とか好きなんだと思ってた」


 勝手なイメージだが、ロマンチックで好むと思ってたのに。恋人とスケートとかやってそう。しかし三柳は呆れたように首を横に振った。


「雪? ヤだよ、寒いし」

「寒いのは苦手?」

「キライ。でも暑いのもイヤ」

「うわあ」


 何その声、と三柳がケラケラ笑った。タガが外れたようなバカ笑いは周囲の目を引く。すれ違ったおじさんが険しい顔でこちらを見てきたが気にしないことにする。


「三柳の彼氏は大変そうだな」

「まあね」


 それを否定しないのが三柳らしい。


「碓氷こそどうなのさ」

「どうって」

「好きな人とかいないの?」

「……好きだよね、そういう話」

「女子ですから」


 三柳が得意気に鼻をならす。何が誇らしいのかはよくわからないが。対して僕はそういう話は苦手だ。これまで浮わついた話には積極的に入らないようにしていたし、何よりこれは荷が勝ちすぎる。敗北確定のゲームなんてもとより参加したくない。

 そう、割りきれればいいものを。僕は今日も三柳と二人だけの帰路につく。


「僕に期待されても困る」

「そんなこと言わないでって! なんならあたしがセッティングしてあげよっか」

「いいって」


 押し問答もいつものことだが、三柳が合コンの常連というのには少しだけ胸が痛んだ。身の丈に合わない思いだと知ってはいても、華やかな彼女らしい振る舞いが僕には遠い。


「碓氷と今度買い物とか行きたいなー。そんで、あたし好みにしちゃうの」

「それは可愛い感じで?」

「もちろん」


 三柳の洋服のセンスと僕の方向性は正直合わない。相手に好みを押し付けるのは三柳の悪癖とも言えなくもないが、それすら愛嬌にしてしまうのが恐ろしい。


「可愛くされるのは勘弁だけど、買い物なら付き合うよ」

「本当!? いやーちょうどよかった! 今週末暇だったから。彼氏が急用入っちゃって」


 嬉しそうにスマホの待受をスワイプしてカレンダーを眺める三柳。僕はそれがダウトであることを知っている。


 ついこの間、三柳はフラれた。半年くらい付き合っていた男に捨てられたのだと、サークルではひそやかに囁かれている。カフェテリアで口論しているところを見た人間もいるらしいから、確かなのだろうと推察する。直接三柳に聞いたわけではないが、その「ふり」くらい僕にもわかる。

 三柳が僕に見せてくれる二人の写真はここ二週間でアップデートされていない。過去の話の焼き増し。それをさも「今」のようにニコニコと繰り返す。僕が話を切り出さなければ三柳も話すことはないだろう。そして、新しい彼氏ができたらリセットされる。


「……そっか」


 カレンダーは空欄になっていた。ちらりと覗いたその画面を、僕は見て見ぬふりをする。


「まあ、いつでも言ってよ。基本的にはあいてるから」

「やったーありがとう、碓氷大好き!」

「はしゃがないで、雨で濡れるから」


 抱きつこうとする三柳を僕は諌めた。傘を持つ左手が不安定になれば水滴が三柳を濡らす。それはできるだけ避けてあげたかった。

 ごめんねと三柳が軽い調子で謝罪する。形だけのコミュニケーションも慣れたものだ。そうこうしている間に駅が見えてくる。


「帰りにビニール傘でも買いなよ」

「はあい」


 間延びした返事から「買わないな」と察する。三柳は最寄り駅から徒歩五分だと聞いていた。家まで濡れ鼠になって走って帰るのか、それとも新しい「おとこ」との出会いの場にしてしまうのか。

 嗚呼。僕は嘆息する。どうして彼女なんだろう。こんなにも「あわない」とわかっているのに。


「じゃね、碓氷。今週末の件は後で連絡するから!」

「うん。またね、三柳」


 僕は「おとこ」にはなれない。

 でも、その人懐こい笑顔で強引に腕を引っ張ってくれるから、僕は彼女に執着してしまう。僕の名前を聞いて「まるで運命ね」と笑ってくれた、そんなしょうもないきっかけ。それでも僕は、明るくて社交的な三柳に引かれてしまった。


 瞑目する。


『碓氷深雪です』

『へーおんなじ名前なんだ! なんか運命感じちゃうね!』

『……あの』

『あたし、三柳みゆき。仲良くしてね、碓氷ちゃん』


 肩を濡らした雨は、徐々にみぞれへと変わりつつあった。

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