#13 新しい風
――放課後。俺と、久木は音楽室の前までやってきていた。誰かが鍵を取りに行っているらしく、一年生の青い鞄が廊下に置かれている。俺たちは、その隣に座ることにした。
「なんで、吹奏楽部が気になっているんだ?」
「え? ああ……私、一応フルートやっているんですけど、日本に来て誰かと一緒に演奏する機会がなかなかなかったんです。それで、ちょっと気になって……」
「別に敬語じゃなくていいぞ。俺も、同学年だし。クラスも一緒だろ」
「そ、そうだね……でも、タメ口はやっぱり、あんまり慣れないなぁ」
「まあ、無理にとは言わないからどっちでもいいよ。ドイツと日本とでまた違うだろうし。吹奏楽部は変な先輩多いけど、楽しんでくれたら嬉しいな」
「ありがとう。Wir schreiben uns !(これからよろしくね!)」
「えーっと、何て言った?」
現地のドイツ語に興味はあったが、ぱっと言われるとなんと言っているのか分からない。だが、久木はふふーっと意地悪な笑みを浮かべるだけで、答えてくれない。
そうこうしているうちに、鈴の音がしゃんしゃんと軽やかな音を立てながら近づいてくる。誰かが、鍵を職員室まで取ってきたのだ。
「おっと、だいぶ早めに来たつもりだったんだけど……待たせちゃったね」
部の中では比較的聞き慣れた声の主――里美は、息を切らせながら音楽室のドアの鍵を開ける。四北には謎の風習があり、「一分一秒でも早く鍵を開ける」というのが習わしらしい。
一刻も早く練習に取り掛かりたいという事なのだとは思うが、真っ先に来て鍵を取るのが先輩だったときの気まずさと言ったら。
「あぁ、真生君。その子は? 新入部員?」
「あっ、初めまして。体験に来た久木ナディアです。えっと、ちょっと前に学校には来てたんですけど……」
と、この後に説明が続き、久木は後から来た先輩にも挨拶に回った。緊張して、うまく喋れずに固まってしまうところはあるが、きっと真面目さが高じてそうなっているのだろう。
幸い、先輩も話に乗り、部活の説明や県大会が近いこと、フルートパートに一・二年がおらず、困っていたことなどを話してくれた。そんなことを言ったら、ただでさえプレッシャーに弱い彼女は、折れてしまうのではないかと思っていたが、活躍できるとのことで、俺の心配とは裏腹に躍起になっていた。
四北吹部について説明を受けたあと、久木は希望楽器であるフルートを中心に、部の雰囲気の見学も兼ねてざっと回ってきたようだった。
だが、経験者とはいえ、ずっと部室に置いておくわけにもいかない。未加入者が部活にいられる時間は十八時までと決まっている。現在時刻は、十七時五十五分。そのため、俺は久木にピンクの入部届を手渡した。
「先輩方、ありがとうございました!」
「いいえー! 新入りが入って嬉しいわ。そうね……真生君、下まで見送ってあげて」
「ええ、そんなにはいいですよー! 吹奏楽部って大会が近いんでしょう?」
「いや、俺が送っていきます。そうだ、有島先輩……セクションリーダーに十八時からのセクション、少し遅れるって説明してもらえると助かります。お願いします」
「了解。音楽室横の吹き抜けに集合ね。チューニングは自分で終わらせてから来て」
「はい!」
夕日がさす階段を降りながら、俺は久木から吹奏楽部についての質問がないか聞いていた。入部するのに、分からない事があってはいけない。
それに、久木は入りたいと言っているが、親はどういうか分からない。最悪、反対されることもあるだろう。
久木からの質問は特になかったが、一つ質問されたのが大会についての事だった。確かに、久木はオーケストラの経験はあるが、マーチングの経験はないに等しい。
俺も入部したての若輩ではあるが、全く大会のルールについて教えて貰っていなかったわけではなかったので、楽譜にたまたま挟んでいたルールブックと、マーチングの作法が書かれたメモを、明日コピーして返すという約束で貸すことにした。
「なんか、ごめんなさい……」
「いいんだって。フルートは四階でいっつも練習してるけど、今日は木管のセクションが十七時半からあって、最初から第二音楽室でやってるんだよね。いつもはトロンボーンの隣。音楽室のすぐ近く」
遠くから、ぽー、ぽーとユーフォニアムとトロンボーンの伸びやかな音が聞こえる。それに加えてチューバのぼぉーっというどっしりとした安定感のある低音。セクション前のチューニングが始まったのだ。
「なるほど。大会前なのに、申し訳ないです」
「まあ、忙しいっちゃ忙しいけどさ。先輩も喜ぶんじゃないかな。一年生が入らなかったから結構ショックだったらしいし」
「そんな事が……先輩の足を引っ張らないように、今日も家で練習しようかな」
「羨ましいな。家で練習できるのは……俺も楽器は持って帰れないけど、マウスピースなら持ち歩いてるよ」
「マウスピースなら、家でも練習できますよね。周りの迷惑にもならないし」
そう話しているうちに一階まで降りた俺達は、職員室の目の前の正面玄関まで向かう。その途中で通る中庭では、鋭い打音を響かせるパーカッションがステップの練習をしている。
「パーカッションって、横に歩くんですね」
「ん? ああ、そうそう。クラブステップっていうらしいんだけどな。カニみたいに横で歩くから真横に歩くだけでも難しいらしい」
「へぇ……本当、マーチングなんてできるかなぁ」
そう言えば、フルートも楽器は横向きになっているくせに、マーチングでは縦方向が基本だ。難易度は高いかもしれない。
「まあ、これから練習していくんだし。県大会には多分出られないだろうけど、10月の九州大会には絶対行くからさ。四北は全国に出てからが勝負なんだ。県大会では負けないよ」
「そうだね、練習頑張るよ」
「おう、四北は全国金賞が目標だからな。九州で留まるわけないさ」
湿り気のある、春の風が俺たちの頬をふっと撫でる。負けられない戦いはこれからだ。
俺、吹部に入るわ。 宵薙 @tyahiyo
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