#12 期待の星を獲得せよ!

「だああぁぁ……朝練疲れたあぁぁ……エアコン最高……」


 レッスンの前とはいえ、ランスルー(通し練習のこと)はさすがについて行くことができない。一曲目はギリギリ通過したものの、二曲目が始まる前には、動きに足や手が追いつかず、一年生全員が脱落した。


 本番一ヶ月前にもなって、衝突事故を起こすと大会に出られない可能性が高いので、「無理だと思ったらギブアップして」とはマーチングリーダーに言われていたものの、さすがに全員だめだとは上級生も思っていなかったらしい。


 それを見た二・三年生が頭を抱えていたので、すごく申し訳ない気分になったものだ。一曲目の動きは全員通過したとはいえ、とても人に見せられるようなレベルではない。


 これから一週間で本当にどうにかなるのだろうか。赤のボールペンの線まみれになったコンテを何度も見返すが、疲れのためか全くといっていいほど頭に内容が入ってこない。


 ため息をつき、机にべたりと張り付いて全力で木のひんやり感を味わう。腕をぶらぶらさせながら、何も考えないこの時間が一番気が楽でいられる。


「おー、マサお疲れだな。野球部も最近新人戦に向けてボール拾いからバッティングになったんだけどよ、そんなにきついのかー? 吹奏楽部って、確か6月に大会あったよな?」


「ああ、そうそう。6月に県大会、7月に吹奏楽コンクールの支部大会、9月にもう一つの大会の県大会……って感じだな。正直、めっちゃきつい。先輩、女とか男とか関係なくビシバシしごいてくる。全員の頭に角が見えるんだけど」


「おーおーモテる男は辛いよなぁー。青春青春っと。こっちはマネージャーがメガネっ娘だからな……先輩の士気も下がって……」


 と、そこでタクの言葉が切れる。誰かが待っているのか、しきりにクラスの女子が「岸くーん、早くー」と呼んでいるのだ。


「タク、行った方がいいんじゃないか?」


「あ、ああ……つっても、誰か約束した覚えはないけどな……何かあったっけ」


 タクは椅子から立ち上がり、扉の方に向かう。俺も、扉の方向をじっと見つめる。特に、意味はないが話す相手もいないので、暇つぶしだ。


 だが、タクが扉の向こう側に行くと、すぐに教室の方へ飛び込んできた。何があったのかと思う暇もなく、タクはシャツの裾をぐいっと誰かの手に引かれてしまい、そのまま場外へと引きずり出される。


 こうなると、野次馬のように見に行くのは男子中学生の本能である。さっき俺のことを茶化してきたことへのお返しだ。俺は椅子を机の中に完全にしまうことなく、タクが連れ出された廊下の方へと駆け出す。


 廊下では、タクともう一人タクの先輩らしき人が眼鏡の奥でにこやかな笑みを浮かべていた。だが、俺は知っている。これは、安心してはいけないスマイルだ。このパターンは、吹奏楽部で散々経験した。現にタクの目線がどう見ても先輩の目の方向をむいていない。


「私じゃ不満? これでも、野球部のために貢献しているつもりなのだけど。何か聞き捨てならないことも聞こえたし……」


「下田先輩! なんでこんな所にいるんですか……って、さっきの話も全部聞かれてたんですか……?」


 さっきの話というのはメガネっ娘マネージャーの話だろうか。この先輩らしき人物はタクの先輩で、野球部のマネージャーということらしい。それで、そんなにびびっていたのか、と俺は納得する。


 噂をしていたら、ご本人様が登場! という状態は確かに気まずい。


「なんでって、ミーティングの連絡を言う前に、一年の坊やが走ってどこかに行っちゃったからでしょ? はい、これ今日の練習メニューと反省シート。帰りの点呼で回収するから忘れずによろしく。あ、私この後先生と話があるから一年生に配っておいてね!」


 下田先輩はそう言うと、大量の紙をドサドサとタクに押しつけ、颯爽と去ってしまった。残されたタクは、呆然とその場に立ち尽くす。


「……お前のところも大変そうだな」


「ああ、怖かったぁ……怒られてはいないけど、心臓がきゅっとなった……一年に渡しとけって、一年二十人いるんだが」


 現在時刻、クラスの壁の時計で八時二十分。見間違いではないことを何度も確認する。俺の願いをあざ笑うように、チャイムギリギリに登校してくるお寝坊さんのための親切なBGMまで流れ出した。


「嘘だろ、あと朝のホームルームまで五分だぞ? 間に合うのか?」


「全力ダッシュで、各クラスの渡してくれそうな奴に声かけて回る。あの鬼畜眼鏡、覚えてろよ……マジで許さん。俺、二時間目の数学の宿題終わってねぇよ」


「そんなこと言うからこんな恨みを買うんだろ。俺も手伝うから。ああ、でも今日の給食の唐揚げ、よこせよな。俺だって、吹奏楽部で覚えなきゃいけないこといっぱいあるし」


「今日の唐揚げ楽しみにしてたのに……まあ、いいや。ぱぱっと終わらせようぜ」


「おう!」


 それから、俺とタクは校舎を走り回り、どうにか二十五分のチャイムが鳴り終わるタイミングで教室に滑り込んだ。木村先生はまだ来ていなかったが、他のクラスメイトの視線が少々痛い。俺たちは慌てて席に着く。


 しばらくして、木村先生が入ってきた。だが、なぜか見慣れない女子も連れてきている。どういうことだろうか。日本人の顔立ちと言うよりも、少し西洋の血が混じっているような、そんな印象を受ける。クラスメイト達も、少しざわついているようだ。


「皆には急で悪いが、今日からこのクラスに入ることになった子だ。ちょっと学校に慣れるまでに時間がかかって、ずっと保健室にいたんだが、今日から授業も受けることになったからよろしくな」


「皆さん、初めまして。久木ナディアです。父がドイツ人で、しばらくドイツに住んでました。少し前から日本にいたのですが、なかなか教室に来れなくて。日本語は分かるので、気軽に話しかけてくれると嬉しいです」


 俺はドイツ語が全く分からないので、それは安心した。俺以外にも同じことを思っていた人は多かったようで、「よかった~」という声がいくつか聞こえた。


「呼び方は久木さんでも、ナディアでもどちらでも大丈夫です。趣味はフルートで、よく家で吹いたりもしています。吹奏楽部があるということなので楽しみです! 好きな食べ物は、日本のお米! おにぎりもいいですよね。……あ、喋り過ぎちゃいました。後でいろいろ質問してください!」


 ……ん? 今彼女はなんと言った? 俺の聞き間違いでなければ、彼女は経験者。そして、このクラスに吹奏楽部所属者は俺のみ。となると、導き出される結論はただ一つ。


「そういうわけだから武田、放課後音楽室への案内よろしくな」


 と、俺の予想通りに即戦力新入部員獲得ミッションを課されたのであった。

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