#11 初心者の戦い

「テナーサックス、ユーフォニアム。ここの出だし遅れてる。合奏で何度も合わせたじゃん。しっかりパーカッションの音を聞いて遅れないように入ってきて」


「すみません。気をつけます」


「トランペットは、最初音出し過ぎ。ここの強弱記号覚えてるよね?」


「メゾフォルテです……今日のパート練で調整します」


 そんなやりとりを聞きながら、俺は胃が痛くなるような思いだった。スプリング・コンサート翌日の朝練。吹奏楽部の拠点、音楽室で行われる反省会だ。ビデオで録画したものをテレビで再生し、パートリーダーやセクションリーダー、部長などが注意点を次々に挙げていく。


「次、木管は連符が走ってる。ああ……もう、いつも合ってなかったけど、屋外だとひどい……」


 有島先輩が頭を抱えるのは、めまぐるしくテンポが変わる一曲目の終盤だ。前のテンポの感覚のまま演奏しているのだろう。細かなところではあるが、大事な部分でミスが出ている。


「皆、屋外で演奏するのは難しいけど大会まであと一ヶ月ちょっとしかないからねー。妥協せずにビシバシ行くよー。あ、中低音・低音パートは今日みっちりパーカッションと合わせるからそのつもりでー。一曲目のBとFをやりまーす」


「はい!」


 日向先輩はメモをとりながら、各パートにセクションの予定を振っていく。……中低音ということは、トロンボーンもか。危うく聞きそびれるところだった。Bの部分は始まりの方なので練習しているが、Fはついていけるだろうか……。


 その後も、しばらくビデオの見直しは続いた。皆熱心にメモをとっている。いくら四北が全国常連校と言っても、油断はできない。また、四北の目標は「全国大会に出場する」ではない。「全国大会に出場し、金賞を取る」これが目標なのだから、全国のバンドに敵うだけの練習をしなければ。


 二曲目のエンディングにさしかかった頃、いきなり音楽室の扉が開く。驚いて音がした方が見ると――。


「おお、お前らもう来ていたのか。職員室に鍵がなかったからびっくりしたぞ」


「木村先生!」


「あまり詰めすぎないようにな。そうそう、それと……これからについて、俺からも一言いいか?」


 部員たちが頷き、木村先生が全員の前に立つ。


「皆も分かっていると思うが、県大会まで残り一ヶ月を切った。昨日の演技は反省点が多く見つかっているはずだ。今週末には宮野先生のレッスンも入れてある。一年生は初めてのレッスンだが、せめて一曲目の動きの通しはできるように」


 俺は、再びうへーぇと思った。一曲目の通し、つまり3分ほどの動きをあと一週間で一通りさらわなければならないということだ。二・三年生がスプリング・コンサートの練習をしている間、俺たち一年生はマーチングの動きの練習もしていた。


 しかし、普段の歩き方とは違い、マーチングは「フォワード・マーチ(前歩き)かかとから足を地面につけねばならない」「リア・マーチ(後ろ歩き)の時はかかとをつけずにつま先立ちのように歩く」など、集団行動のように見えて実は違うところがいくつもある。


 加えて、衝突しそうなことも何度もあった。まだ楽器を持っていなかったから大事にはなっていないものの、楽器を持っていたら……と考えると、背筋が凍る思いだ。それを残り一週間で人に見せられる状態に仕上げろとこの先生は言っているのだ。


「一年生、返事がないが……大丈夫か」


「は、はい!」


「宮野先生のレッスンの時はすぐに返事をするように。分からないのは恥ずかしいことではない。黙られると君たちがどう思っているのかこちらには分からない……分からないなら、周りを見ずに自分の言葉で発言する。分かったなら返事をする。それは守ってほしい。俺からは以上だ」


「そうですね。木村先生、ありがとうございます。一年生の皆さんはまだ分からないことが沢山あると思いますが、この通り時間は限られています。困ったことはすぐに聞いてください」


ビデオの視聴が終わると、すぐさま部員全員が楽器ケースを速やかに開け、組み立ての後に階段ダッシュ(楽器を持っているので注意をしながら)をし、朝日が差し込む中庭に駆け込む。まだ午前七時半だが、いつものメニューをこなさないわけにはいかない。


 ストレッチを終えた後は、延々歩きの基礎練。まるで忍者か潜入調査をする刑事にでもなった気分だ。足音を立てないように、膝を曲げて歩かない、姿勢はまっすぐ、二階の窓を見ろ……いろいろな注意が飛び交い、俺たち新入生は必死に食らいついていく。だが。


「チューバ持つと、全然動けない……」


 チューバを足の上にのせた里美が、頭から煙を出しながら呟く。整備を終え、ぴかぴかになったチューバは、ベルに太陽の光を受けてきらきらと輝いている。しかし、奏者の方は表情が暗い。


「ああ……トロンボーンも先輩にぶつかりそうでつい下げちまう……」


「楽器持ってやると感覚が全然違うよ……あと一週間しかないのにどうしよう」


 楽器を持っていないときは気をつけることができていたはずなのに、今ではこの有様だ。休憩タイムになると、水筒に入れたスポーツドリンクを一気に飲み干し、へたり込む。頑張ってはいるつもりなのだが、足と頭がうまくかみ合わない。


「楽器吹きながらとか、これできるのかなぁ」


「俺もできる気が全くしない」


「動きだけでも頑張らないと。私、先輩たちの足引っ張りたくないし」


「そうだな……何か家で練習する方法ってないか? 正直、夜練やってもまだ足りない気がするんだよな」


「ああ、それなら。私、家がアパートだから駐車場や公園でやってるよ?」


 里美の話によれば、平日は部活が夜遅くまであるので難しいものの、土日であれば毎日午後5時には終わるため、日が暮れるまで動きを自分で練習しているのだという。


 マーチングは縦30メートル、横30メートルの大規模な正方形で演技することが多いので、十字の目印を地面に描いてそれを頼りに「縦2,横3.25」という風に目印から何歩離れているかで自分の動きを把握するのだ。(ちなみに、マーチングでは一歩=62.5cmと細かく決まっている)


 だが、そんなに広いスペースを個人のためにとるわけにはいかない。そのため、一歩を縮小して、動きを練習しているのだという。


「なるほど……確かに、それだったら家でも全然練習ができるな」


「うん。どうしても覚えられないから、家に帰っても練習しないと間に合わないかなって思って」


「本当に姉ちゃん、どうやって覚えていたんだ……俺も練習しないとやばい」


 姉が吹奏楽の練習をするのはあまり見たことがなかった。俺に気を遣っていたのかもしれないが、楽器をコンクール前に少し持って帰ってきたぐらいのものだった。


「まあいろいろ練習方法はあるよ! 武田君がやりやすいものってあると思うし」


「ああ。俺も試してみる。ありがとう」


 スポーツドリンクをもう一度喉の奥に流し込み、俺は立ち上がる。ちょうど、マーチングリーダーの笛が鳴り響き、全員集まるようにと号令がかかる。


「よし、頑張ろう!」

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