#10 追憶

 ウィンド・スピリッツの演奏も終わり、合同合奏の後にスプリング・コンサートの全行程が終了した。学校に戻ってからは4階の音楽室に部員全員で楽器を運び、整備を行う。なぜ音楽室は高いところにあるのだろう……とため息をつきたくなるようなところだが、周りは住宅街だし、苦情が来る方が嫌だ。


 楽器についた汚れを落としながら、来年はウィンド・スピリッツ――姉との共演もできるかもしれないな、と俺はふと思う。姉とは昔から仲が悪いわけではなかった。


 親は俺たちが小学生の頃から帰りが遅かったし、別に俺たちがそのことを責めるわけでもなかった。仕事なのだから仕方ない、俺たちのために頑張ってくれているのだと思っていた。姉と暮らした時間は長かったし、けんかもよくしたが、嫌いになることはなかった。


 だが、俺は正直、不良の姉のことを恥ずかしいと思っていた。なぜ他の人に迷惑をかけようとするのか理解ができなかったのだ。親の悲しそうな顔を見て、腹が立ったことは一度や二度ではない。


 でも、今では分かるような気がする。姉は――彩は、誰かに寂しさを分かってほしかったのだろう。誰か、何か、吐き出せる環境が欲しかったのだろう。


 俺が弟だと言うこともあり、責任は彩の方に向かっていた。留守番をするときは家の手伝いも頑張っていたし、俺の面倒も見てくれた。親の知らない兄弟の顔を、俺は知っていた。


 彩はいつも笑っていたが、努力家でいつも部屋にこもって勉強を続けていた。不良ではあったが成績は悪くなく、それもあってか授業はあまり真面目に聞いていなかったらしい。


 吹奏楽に入って、最初は練習が厳しいことや上達しないことに対して愚痴もこぼしていたが、もともと真面目なところもあり、めり込むのは早かった。俺が最初に姉の演奏を聴いたときにはびっくりしたものだ。態度は少しつっけんどんなところもあるが、音には素直な気持ちが表されている。


 四北の吹奏楽部では、「楽器は心の鏡だ」という伝えがあるらしい。辛いときには、悲しい音に。嬉しいときにはのびやかな音に。楽器が自然に音に表してくれるのだそうだ。だから、俺もできるだけ楽器を吹くときは明るく頑張ろうとしている。


「真生君、手が止まってるよ? 横いいかな?」


 声がした方を振り向くと、日向先輩がチューバを抱えながら、こちらに歩いてくるのが見えた。ほとんどチューバに身体が隠れてしまっているが、声の雰囲気で察しはつく。


「え? あ、ああ……本当だ。どうぞ」


「じゃあ、お構いなく……失礼しまーす」


 そういうと、日向先輩は自分の背丈より少し小さいぐらいの大きさのチューバをよいしょっと床に下ろした。相変わらずでかい。横に置いてもいいと言ったのは俺だが、やはりでかい。日向先輩はポーチからクロス(楽器を磨くための布)とポリッシュ(クロスにつける液)を出し、チューバをせっせと磨き始めた。


「何か考え事? 今日はいろいろあったからね~。どう? 初舞台は緊張した? お客さんも多かったもんね」


「そうですね……手、めちゃくちゃ震えましたし。ガッチガチだったかもしれないです。俺、プラカード持つ以外にはあんまり何もしてないんですけど」


「分かる分かる。私もチューバ全然うまくならなくって、一年の時の九州大会とか吹きまねでやらされそうになったもん。なんとか一週間前に先輩にOKもらって、大会でも吹いたんだけど、そのときは本当に心臓耳の横にあるかと思ったよ……」


「そうだったんですか? 先輩、うまいですけど……低音もよく聞こえますし、バンド全体がしっかり支えられている気がします」


「嬉しいな~。そう言ってもらえると。三年生が引退してから、段々コツがつかめてきたんだよー。まあ、私以外に誰もいなくなっちゃうわけだから、必死になったのが大きいと思うけどね」


 えへへ、と笑う日向先輩。なかなかうまくならなければ、俺だったらやめてしまうかもしれない。特にチューバは重要なポジションなのでプレッシャーも大きかったはずだ。そのとき、チューバを抱えた一年生がふらふらとこちらに寄ってきた。一年の平坂 里美だ。日向先輩よりは大柄だが、新入生なのでまだ持ち方に慣れていないらしい。


「里美ー! そこ持っちゃだめ! 管引っこ抜けるよ。壊したら弁償だからね。四北はあんまりお財布に余裕ないんだから」


「ああ……ごめんなさい!」


「そうそう。それで、何の話ー?」


「このオイル、どこの管にさせばいいんですかね……? 初心者用のセットを買ったんですけど、いまいち説明書を見ても分からなくて」


 確かに、俺も似たようなセットを購入したが、いろいろな種類があって揃えるのが大変だった。お小遣いから飛んでいくのは悲しかったが、楽器のためにもメンテナンスは欠かせない。


「あ、ごめんね~。今から教えるから、ちょっと待ってて! 真生君、場所ありがとう。後輩に教えてくるね」


「はい!」

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