#9 ウィンド・スピリッツ
それから俺たち四井橋北中学校吹奏楽部はステージを終え、ラストを飾るウィンド・スピリッツの出番になった。「勉強のため」ということで鑑賞はプログラムの中に入っていたので、楽器運搬などの予定を気にすることもない。
「皆さん、こんにちは。私たち、ウィンド・スピリッツはお隣の県、熊本からやってきました! 毎年このスプリング・コンサートに参加し、今回で四回目になります。今日は大トリということで、笑顔を届けられるように頑張ります!」
おおーっという歓声に対して、メンバーがにこやかに手を振る。姉の方を見ると――。
「わ……笑ってる……」
家の中でもぶすっとしており、父親に似て、なかなか笑みを見せることのなかった彩が満面の笑みを浮かべているではないか。スマホ、スマホとバッグの中を探すが、そういえば部内ではスマホが禁止だったことを思い出す。
「それでは、一曲目行ってみましょうー!」
部長らしき人物のノリのいい声とともにスティックが数回打ち鳴らされ、金管の狼のような吠えっぷりが耳を突き刺す。
「うわ……すげぇ……」
「ふふっ、そういえば武田君のお姉さんホルンだったね。マーチングホルンはちょっと形が違うから分かりにくいかもしれないけど」
「速水先輩! いつの間に……そして、そのたい焼きとたこ焼きは?」
先輩の手にはパックに入ったミニサイズのたい焼きと、かつおぶしが踊るたこ焼きが入った紙コップが握られていた。
先輩は俺の横に座り、ミニたい焼きのパックを開けだす。ふわっとカスタードの匂いが漂い、昼ご飯を消化しきってしまったお腹がぐぅと鳴る。
「これ、道端で屋台やってるから買ってきたんだよね。パレードもしたからお腹空いたし、このサイズのたい焼きとかなかなか食べられないし……もちもちしてて美味しいよー」
すっかり屋台のことを忘れていたが、もうすぐスプリング・コンサートは終わってしまうし、姉の出番を見られないというのもなかなか気まずい。
先輩が食べていいよと言ったので、親指サイズのミニたい焼きをつまみ、口の中に放る。確かに、これはうまい。
カスタードがとろけるようで、尾の中までたっぷりと詰め込まれている。生地も、もちのような食感でついつい二つ目をねだってしまったほどだった。
「まだ家族の分もあるし、僕は帰ってから食べるよ。どうぞどうぞ」
「え……なんかすみません」
「そんなに欲しそうな顔されちゃ、あげないっていうのもしんどいし。食べなよ」
「じゃ、遠慮なく。それで、マーチングホルンと普通のホルンって何が違うんですか?」
すっかりたい焼きの話題になってしまったが、速水先輩の話も気になるのだ。ミニたい焼きを食べつつ、ウィンド・スピリッツが二曲目に向けてセッティングの準備をしているところで、先輩に聞いてみる。
「普通のホルンはフレンチホルンって言うんだけど、最大の違いは音が出る部分……つまりベルが前を向いているか後ろを向いているかどうかだね」
「ふむふむ……それで、ベルの違いでどうなるんですか?」
「もともとホルンは狩りのときの合図、って言われてる。郵便局が日本では〒だけど、海外ではホルンマークでポストが黄色だったりするんだ」
「なんか面白いですね。黄色のポストって」
「うん。それで、狩りのときに後ろの仲間に知らせるためにベルが後ろを向いていたんだよ。その名残で、ホルンは今でもベルが後ろを向いている楽器になっている」
でもね、と速水先輩は姉の持っている銀色のマーチングホルンを指差す。
「マーチングホルンはベルが前を向いているだろう? あれは、動きやすいようにしているんだ。フレンチホルンを使う学校は熊本の名煌高校が有名だけど、音が前に飛ばない分、計算して音を出さなきゃいけない」
「へぇ……勉強になりました、ありがとうございます」
「まあ、これ全部武田君のお姉さんに言われた事なんだけどね。ホルンの小話を語らせたら凄いよ、あの人。楽器が本当に好きなんだろうね」
家では全然そんなことなかったけどなぁと思いつつも、女には幾つもの顔があると聞く。姉も、部活ではなんだかんだ言って上手くやっていたのだろう。
「ああ、ごめん。もうすぐ二曲目が始まるみたいだ。ステージが開けてるってことは……マーチングをするのかな?」
「そうみたいですね。マリンバやティンパニも出てますし……セッティングも長めでしたもんね」
気づかなかったが、「ガード」と呼ばれるダンサーのようなポジションの人も何人かステージに出て、待機をしている。
学生の指揮者がぺこりと頭を下げると、カスタネットの小刻みな音ともに、ショーがスタートした。
「これは、ビゼーのカルメンだね。疎くても有名曲だから皆が楽しめる」
「カルメン?」
俺の純粋な疑問に、速水先輩は嘘だろ……と呟く。そして、説明をし始めた。
1875年、3月3日に初演が行われたものの、そのストーリー性が民衆にはウケずに不評。しかし、不評ではあったがそれを好んだ人もいたためその後も続けられた。
そんな中、ビゼーは急死してしまう。それ以降友人がカルメンを受け継ぎ、改作し、世界的な大ヒットになって現代に至る――。とまあ、こんな感じの説明だった。
最終的にカルメンはドン・ホセというカルメンに魅了された男に殺されてしまうので、それが不評だった理由かもしれないとも先輩は言っていた。
「まあ、受け取り方はそれぞれだし、今度よかったらカルメンのオペラDVDでも貸すよ」
「あ、ありがとうございます……それで、何でそんなに説明が入っているんでしょう……?」
「あれ、言ってなかったっけ? 僕、少年ミュージカルを小六までやってて。ミュージカルとかオペラとか劇が大好きなんだ。でも、四北には演劇部がないでしょ? だから似ているマーチングができる吹奏楽部に入ったんだよね。……まあ、楽器のセンスはなかったんだけど」
意外すぎる。音楽室の隅っこで楽器をいじり、楽器一台ずつに名前をつけていた根暗な先輩という設定はどこへ行ったのか。
漫画で言えば、目の中に星が煌めいているような状態だ。やっぱり変人ばかりだな……と思いつつ、俺は一匹残っていたミニたい焼きをつまみ、噛みしめたのだった。
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