#8 スプリングコンサート
「次は四井橋北中学校吹奏楽部です。準備をお願いします」
アナウンスが柱時計に付けられているスピーカーから流れ、開始の合図を告げる。緊張が最高潮に達し、心臓がバクバクとなっている。プラカードを持つだけとはいえ、俺は先頭なのだ。笑顔でなくてどうする。
頬をパシンとたたき、気合を入れなおす。ここですくんでいてはだめだ。俺は、姉に負けないようなプレイヤーになると決めたのだから。
上級生がチューニングや合奏をする傍らで指揮を黙々と振っていた木村先生が、手を上げた。
「よし、チューニング終わりだ。一年生も所定の位置に着くように。これが本番だから気を引き締めて行けよ」
「はい!」
それから俺たちは、待機場所へと移動し、アナウンスがかかるのを待つ。どうにか心臓の鼓動は収まり、俺はゆっくりと息を吐いた。
「それでは、四井橋北中学校吹奏楽部――パレードの始まりです」
「四北ー! ファイトー!」
歓声が後ろから聞こえてくる。ちらりと後方を見ると、よく見知った顔が一人、二人……三人? ビデオカメラを持った俺の親の横で、坊主頭の少年がにこやかに手をこちらに振っている。タクだ。でも、何も知らせていなかったのに、なぜ彼がいるのか。
「おーい、マサー! ほうけてんじゃねーぞ。俺よりスタメン早いんだから頑張れよー!」
応援に来てくれるのはうれしいが、正直に言ってめちゃくちゃ恥ずかしい。おとなしくしていたはずの心臓が再び暴れ始め、プラカードを持つ手にじっとりと汗がにじむ。
だが、そんな緊張に震える俺を、皆が待つはずもなく。俺の後ろから、ドラムメジャー (マーチングバンドでいう指揮者のようなもの)である先輩のカウントが飛んだ。
カウントが終わると同時に、一斉に金管楽器の華やかな音が俺の耳の横を通り抜ける。それに押されるように、俺の足は自然に前へと進んでいく。春の草原に走った小道を踏みしめ、一歩一歩前へ。
途中の静かな部分では、トロンボーンとホルンの掛け合いが待っている。伸びのあるテノールを追いかけるように、ホルンのアルトが飛び跳ねる。まるで、野原を舞う小鳥とうさぎのようだ。後方で吹いている有島先輩も、今日は調子がいいのか音が元気だ。
二つの楽器によるデュエットが終わると、トランペットの出番だ。輝かしいファンファーレをあたり一面に響かせ、通り過ぎる人たちの足を次々に止めていった。チューバやユーフォニアムなどの低音楽器も加勢し、場を一気に盛り上げていく。
一曲が終わると、次はパーカッションの出番だ。リズミカルな音を響かせ、曲と曲の間の繋ぎでも、観客を休ませない。
高速で刻まれるビートは圧巻で、熱を帯びているかのような演奏だ。それによってどんどん周囲を巻き込んでいく。屋台に並んでいた人もこちらを振り向いて、スマホを掲げる人まで出てきた。
ホイッスルが鳴り響き、二曲目がスタートする。二曲目は四北オリジナルのマーチらしい。序盤は、主にクラリネットやサックスといった木管楽器が主役だ。丘を駆け上がる風のようなイメージで、時に激しく、時にやさしく流れていく。
中盤は中低音楽器の見せ場だ。どっしりとしたバリトンで、バンド全体を支える。春の嵐を思わせる演奏の後には、小鳥のさえずりのようなフルートの音が飛び出す。賑やかな演奏は終わりに向かい、最後は全員の掛け合いとロングトーンで締めくくった。
そんな感じでループを続けていると、ゴールである野外音楽堂が見えてきた。ここでは、後で先輩たちの演奏が行われる。最後のホイッスルが高く鳴り響き、十分間に及ぶパレードは終わりを告げた。
「お疲れ様でした! 二、三年生は次のステージに備えて準備をしておいてください。時間は十分にあるのでゆっくりで大丈夫です。一年生は、少し残っておいてください。ステージの見学をするので」
「はい!」
「それでは、いったん解散します。次のステージは二時半からなので、二時には集合するように。有島も後ろについていきます」
部長に促されて、一年生はステージ裏へと回る。舞台裏なんて、関係者以外は見ることのできない場所だ。
「おお……すごいな……」
「真生君、こっちこっち」
「あっ、すみません!」
つい、スタッフの人たちの素早い動きに見とれて立ち止まってしまった。苦笑する先輩の元へと急いでいく。
「ここで今度は楽器のセッティングをします。大型打楽器などの運搬があるので、気をつけるように」
「はい!」
スタッフの黒いパーカーに目を向けてみると、【Wind Spirits】と書かれている。……ということは。
「おい、真生。元気そうじゃんか。トロンボーンになったと聞いたよ……有島はいい先輩だから、良かったな」
肩に置かれた手の主を見ると、よく見知った顔がそこにはあった。さすがに派手にやると先輩に怒られるようで、家にいた時のようにメイクなどはしていなかったが。
髪はちゃんと黒く染まっているものの、目が二重になっていたり唇が微妙に赤っぽくなっているので、バレないようにちゃっかりしているのだろう。
「姉ちゃん! 運搬スタッフなの!?」
「一応、高一だからな。雑用役だよ……全く、今年の四北の新入生は少なすぎないか? お前、誰かクラスメイト誘ったら良かったのに。ちゃんと働けよ……数少ない男なんだし」
「俺がそんな性格じゃないってわかってるはずだろ! ……苦手なんだよ、誰かと話すの」
「はいはい。分かったからとりあえず手動かせ。これじゃ次の団体が入ってくるまでに搬出が終わらねーから」
「先に話しかけてきたの姉ちゃんだろ……」
俺のツッコミを聞かずに、姉はトラックの荷台にひょいと飛び乗り、慣れた手つきで重い楽器類を次々に運び出していく。家のあのだらだらしていた姉と同一人物とはにわかには信じがたかった。
「次、ティンパニ行くから。真生は反対側の足持って」
「ああ、うん。わかった」
「せーの!!」
二人で協力して、ティンパニをトラックから降ろす。それにしても、この楽器は重い。腕がプルプルと振るえてしまう。対して姉のほうはといえば涼しげな顔で、軽々と楽器を持ち上げる。
「これから鍛えとけよ。大会の時とかこれ以上にしんどいぞ」
「頑張る……」
そんな俺の様子に、姉はあきれたように首を振る。俺の知らない三年間の間でよほど鍛えられたのだろう。
「ま、こんなもんか。次の学校のトラックが来たから行くわ」
「大変だなぁ……あ、ウィンド・スピリッツの演奏も見に行くから」
「あっそ。別にいいけど」
相変わらず冷たいが、少し顔がほころぶのが分かった。見てもらえるのはやはり姉としてもうれしいのだろう。去っていく背中を見送った後、俺は残りの楽器を運び出すためにトラックへと戻った。
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