私を狂わせた言葉

薮柑子 ロウバイ

はじめに

皆さん「言葉」は好きですか。

いや、この単語ではあまりにも広義すぎるかもしれません。


では、本は好きですか。朗読やラヂオは?

会話は好きですか。発表や独り言は?

手紙は好きですか。メールのやり取りやSNSは?


これらは好きとか嫌いとかの前に日常生活の中にあまりにも溶け込んでいるので、

一々に深く気を留めることもないかもしれません。

日常生活の中の言葉なんてそんなものです。


しかし、言葉って本当にそんなもの程度なのでしょうか。

本当はもっと大きな何かで、私たちはそれに支配されているんじゃないか!?

幼いころの私はそう思っていました。

天井を見上げて、言葉って誰が作ったんだろう?すごくない?

と思考を回し始め、物言えぬ不思議さと恐怖で眠れなかった夜がありました。

そんな風に確証は何処にもないのに、言葉という概念に怖気づいていました。

そして少し大きくなり、ある程度の常識と右ならえ精神とを持ち合わせた頃

私はとんでもないことに気づいてしまったのです。


言葉はそんなもの程度であるからこそ、恐ろしいものなのだと。


何気に使っているからこそ、使い方次第で最悪の結末を迎えてしまう。

意識の穴から滑り落ちた何気なさは、誰かを奈落の底に叩きつけてしまえるほどの力を持っているのではないだろうか。


思い返せばそんなことが沢山あります。

自らの愚かさや浅はかさで赤面し、

このまま生き埋めにさえされたいほどの恥ずかしい言葉。

世間体や体裁を保つために忘れ去ったはずの傷つけられた言葉。

何もかもを投げ売ってまで優しく甘い蜜に耽溺した言葉。


そんな言葉はたちは会話の中で、紙面上で、画面上で、通りを往く雑踏の中で、

日常生活の中のありとあらゆる場面で私たちを取り巻いています。


その言葉の数々の中から、私が「私の人生を狂わせた言葉」をご紹介します。


ですが、狂わすって具体的にどういう事なのか?

一般的な意味としては、『精神に異常をきたした状態のこと』、『物事や機械の働きなどが正常でなくなること』、『予想や計画、見込みなどが外れること』、『何かに以上に熱中して見境がなくなること』だそうです。辞書はそう言います。


大筋から外れてしまう、こんなはずじゃなかったのに。

そういう状態は人生そのもののようですね。(特に私にとっては。)

様々な言葉を食み、嚥下し、時にその劇物さ加減に嘔吐して、また食む。

人生はそうやって言葉という劇物を少しずつ受け入れていくものなのかもしれない。


人生を動かされた、何かのきっかけになった、そう言う言葉たちに私の人生はある種狂わされている。きっとそれは私が息を引き取るその瞬間まで変わらない。


人生を停滞させないためにかき回す言葉たち。

あなたにもそんな言葉ありませんか。

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私を狂わせた言葉 薮柑子 ロウバイ @wisteria1230

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