013
「ちょっと! 大変よ大変!」
「何……おわ!」
思い切り支柱を蹴って飛んできたらしいメリッサに体当たりをくらい、格納庫の入口付近でラスと打ち合わせをしていたリツヤはひっくり返った。リツヤにぶつかることで勢いを殺したメリッサは、傍らにすとんと着地する。
座り込んでしまったリツヤをラスが心配そうに覗き込む。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。メリッサ、吹っ飛んで歩くな」
「だって、大変なんですよ主任。ニュース見ました? 速報ですよ!」
リツヤの言葉などお構いなしにメリッサは満面の笑みでリツヤとラスを交互に見る。立ち上がったリツヤはぶつかった肩をさすりながら問い返した。
「磁気嵐か? 最近多いな」
「違いますよ。ディザスターが撤退し始めたんですって!」
二人の驚く様子を期待しているのであろう、目を輝かせているメリッサにリツヤは至極平坦な声を返した。
「……へえー」
表情の変わらない二人を怪訝そうに見上げ、メリッサは眉を寄せた。
「……それだけですか?」
「それだけって?」
「もっとこう、うわー、とか、すごーい、とか」
「うわー、すごーい」
言われたとおりにリツヤが返すと、メリッサは業を煮やしたように片足で床を踏み鳴らした。その勢いで僅かに浮き上がる。
「んもう! 世界が変わるかもしれないんですよ、もう少し驚いてくださいよ」
「うん、驚いてる驚いてる。そいつは凄いなあ」
「棒読みじゃないですか! ラスは驚いたわよね?」
「はい。驚きました」
「なんて薄い反応! もう、いいですよ!」
子どものように頬を膨らませ、メリッサは床を蹴って作業中の同僚のところへ飛んでいった。このニュースをばらまくのだろう。何も知らないはずの彼らは、きっとメリッサの期待通りの驚きを見せるに違いない。
「メリッサって、前からあんな感じだったか……?」
「わかりません」
メリッサを見送って二人で首をかしげ、リツヤはラスに向き直って声を潜めた。
「思ったより早かったな」
ようやく修理の終わった《レーヴェ》の足元で、きゃあきゃあと騒いでいる同僚たちを眺めていたラスもこくりと頷いた。
「そうですね。『マザー』は、無事に帰りついたんですね、『彼ら』のもとに」
リツヤたちが地球から帰ってきて、まだ五日しか経っていない。表向きはただの出張なので、四人がカタリナの研究所で「マザー」と接触し、解放したことなどは公になっていないし、四人としても吹聴するつもりはなかった。
リツヤはたった今メリッサから聞いた言葉を反芻する。
「世界が変わる、か……あんまり実感ないな。変わるのかね、本当に」
「少なくとも、外敵の危険はなくなりました。『彼ら』との戦闘で誰かが死ぬことも、『彼ら』が死ぬことも」
「……そうか。それは、いいことだよな」
「はい。きっと」
頷くラスの表情がとても穏やかで、だから埒もないことが口をついて出てしまったのだとリツヤは思う。
「ラスは……さ」
「はい」
「後悔しないのか? その……『マザー』と一緒に行かなかったことを」
ラスはとても不思議そうに、きょとんとリツヤを見上げた。
「行ったほうがよかったでしょうか」
「いや。そうじゃなくて、残ってくれて嬉しいんだけど……ごめん、変なこと訊いたな」
「私は、『マザー』よりもリツヤの方が好きです」
なんの衒いもなく言われ、リツヤは束の間ぽかんとラスを見下ろした。そして、嬉しさと照れくささがごちゃ混ぜになり、それを誤魔化すために思い切りラスの頭をかき回す。
「……ありがと」
手を離せば、乱れた髪を手櫛で直しながらラスは淡く笑んだ。リツヤも笑い返し、最近のラスは笑顔が増えた、いいことだと胸中で頷いていると、端末のリマインダーが鳴った。
「あ、まずい。これから局長と会うんだった」
「みんなには伝えておきます。お気をつけて」
* * *
局長室。
「報告を読ませてもらったよ。なかなか大変だったみたいだね」
鷹揚に笑うウォンに、リツヤは曖昧な笑みを返した。
「そうでもないですよ。俺は見てるだけでしたから」
「そうかい? なんにせよ、無事に済んでよかった。怪我はいいのかい?」
「ええ。まだ通院はありますけど」
ラスが心配していたように、銃弾に掠られた傷はリツヤが考えていたよりも深く、アラスカで担ぎ込まれた医者にはなんでもっと早く診せなかったのかと怒られ、五針ほど縫われた。まだ薬を飲まねばならず、痛みもあるが、日常生活に支障はない。
「ならよかった。ご苦労だったね」
「局長が地球へ行かせてくれたおかげです。ありがとうございました」
「気にすることはない。私は、科学者の名を借りたサディストが心底嫌いでね。できる限り叩き潰そうと決めているんだよ」
笑顔で物騒なことをさらりというウォンへ返す言葉が見つからず、リツヤは口を噤んだ。それから少々逡巡し、この際だから訊いてしまえとずっと疑問に思っていたことを問う。
「一つ、お訊きしても?」
「なんだね?」
「何故俺だったんですか? アーサーさんにしても、ラスにしても」
リツヤは何度目かの質問を繰り返す。共に過ごすうちに距離は縮まったが、これは誰でもそうだろう。二人を導くのに、自分より適任がいたのではないかと思うのは、今でも変わらない。
ウォンは小さく笑い、机の上で指を組み合わせた。
「なかなか納得してくれないね、君は。……まあ、ラスの場合はアーサーという前例がいたから大丈夫だと思ったんだけれど。アーサーのときは、リツヤが少々自分を持て余し気味だったからかな」
「持て余し……?」
「君は、血の繋がらない弟さんと妹さんを地球に残しているのだったね。そして、それを後ろめたく思っている。違うかい?」
言い当てられてリツヤは言葉に詰まった。向きになって否定することもない気がして、ぼそぼそと認める。
「……違いません」
「うん。そういうことさ」
「は?」
「君たちに限らず、理不尽な理由で潰されそうな人間を引っ張ってくるのは、世界への意趣返しみたいなものだよ。ささやかだけれどね」
微妙に違う方向に話題を逸らされたが、これ以上は説明してくれないようなので、この話に乗ることにする。
「世界への意趣返し、ですか」
「そう。前も言わなかったかい? それが趣味なんだ。まあ、民間企業の一社員にできることなど高が知れているけれど」
「ご謙遜を」
「君は少々私を買い被っているな。嬉しいけれど」
ウォンは肘掛に片肘をつき、顎をさする。
「私の目に狂いはなかった。君はたった一人のために世界を変えてしまう人間だ。―――ん? これは自画自賛かな」
リツヤはかぶりを振った。
「それこそ買い被りです。今回は、たまたまそうなっただけで……そもそも、俺一人ではどうにもなりませんでした」
「でも、どうにかなったじゃないか」
「結果論です」
「結果は大事だよ。特に、宇宙ではね」
何やら、前にも誰かと同じような会話をしたような気がして、リツヤは口を閉じた。ウォンは楽しそうな笑みを浮かべて言う。
「何はともあれ、君は二人の人間を救った。それでいいじゃないか」
「ですから、そんな大袈裟な話じゃありません。俺にそんな力はありませんよ」
「奥ゆかしいね、君は」
「その言葉の遣いかた、間違ってませんか? ―――それより、局長」
このままでは話があらぬ方向へ転がりそうな気がして、それを防ぐべくリツヤはポケットからメモリースティックを取り出す。
「カタリナの研究所にあったデータです。研究所のサーバからは消去してきましたが、これには全部残っています」
一呼吸迷うような間を置いて、ウォンはメモリースティックを受け取った。それとリツヤとを見比べる。
「思い切ったことをしたね。君まで逮捕されたらどうするんだい」
リツヤたちはカタリナが出入りしていた町の警察に通報し、行方をくらました。カタリナは逃亡することなく、その後すぐ捕まったらしい。ディザスター撤退の報の陰になって大きく取り上げられることはないが、彼女が地下研究所で行っていた非人道的実験が明るみに出て、余罪を追及されているという。
リツヤは微かに笑みを浮かべた。
「そのときは捕まります。罪になるのは住居侵入と器物破損くらいでしょう。言い訳はいくらでもできますし」
「どんな言い訳をする気だね?」
「出張の帰りに、せっかく地球まできたのだからと同僚と観光していたら、小さな島に滑走路を見つけたので上陸してみました。そしたら民家があったので、興味本位で訪ねてみました。誰も出てこず、中の様子がおかしいので住人に何かあったのかもしれないと思い、扉を壊して踏み込みました。地下であんな酷い研究が行われているなんて思いもしませんでした。データが消えてる? さあ、適当に端末を弄ったときにおかしくなってしまったんですかねえ」
当局の手が伸びてきたときに備えて考えておいたことを淀みなく、作文を読み上げる調子で披露すると、ウォンは苦笑した。
「苦しいなあ」
「まるっきり嘘じゃないですよ。今言ったことを、実際には全部意図的にやっただけで」
「それは嘘じゃないと言えるのかい? ……まあいいか。捜査員がほどほどに有能でほどほどに無能であることを祈ろう。さて、これはどうしようか」
メモリースティックをくるくると弄ぶウォンに、リツヤは首をかしげる。
「お好きに。もう俺には必要のないものです」
「そうかい」
言うなりウォンはメモリをコーヒーカップに放り捨てた。黒い液体に沈むそれを、リツヤは唖然と見つめる。
「な……」
「君が罪を被る覚悟で守ろうとしたものを、私が台無しにするわけにはいかないからね」
にこにこと言うウォンから、リツヤは視線を逸らした。どんな策を弄しようが、ウォンには何もかも見透かされているような気がしてならない。
ウォンはメモリースティック入りのカップをかき混ぜながら言う。
「ディザスターが撤退して、地球連合軍は軍縮に向かうだろう。もう連合の意味もないから、解体されるかも知れないな。これからもよろしく頼むよ」
どさくさに紛れてまた拾ってくる気だなと、リツヤは先手を打っておく。
「もう無理です。二人で手一杯です。他を当たってください」
「そうかい? 残念だなあ」
やはり笑みを崩さないウォンに、本当にわかっているのだろうかと思いつつ、リツヤはこっそりため息をついた。
* * *
リツヤは自宅のベランダでぼんやりと外を眺めていた。コロニーの中のことであるので、夜空は見えない。ただ暗い町並みと天井があるだけだ。ふわりと、あるかなきかの風が頬を撫でていく。さすがに十月も半ばになると空気が冷たい。
《フォルモーント》には地球の北半球に合わせて調節された四季が存在する。地球のような大幅な気温の上下はなく、うっすらと季節の移り変わりを感じさせて多少の衣替えが必要になる程度だが、地球の北半球で育ったリツヤには一年を通して気候が変わらないよりも馴染みやすかった。
「風邪をひくよ」
背後からかかった声に振り返れば、刷き出し窓からアーサーが出てくるところだった。リツヤは返事をせずに向き直る。アーサーは気にした風もなくリツヤの隣に並んだ。
「どこに消えたかと思ったら」
「すみません、手伝いもせずに」
「いいんだけどさ。おれも邪魔だって追い出されたし」
苦笑混じりに言うアーサーを、リツヤは横目で見る。
「邪魔だって、ラスが?」
「いいや、フェルン」
「ああ……」
フェルンなら言いそうだとリツヤは納得した。ラスがアーサーを邪険に扱うところを想像するのは難しい。
フェルンはラスの料理の腕前を目にして以来、料理を教えろと頻繁に通ってくる。そこにアーサーも加わって、最終的に何故かリツヤの部屋が食事会の会場になるのだ。
リツヤの胸中を読んだわけではないだろうが、アーサーがぽつりと言う。
「ラス、料理上手くなったよね」
「そうですね。勉強熱心ですから」
最初は包丁の使い方すら知らなかったラスは料理の指南書や動画を片手に着々と腕を上げ、今となっては店でも出せるのではないかというレベルだ。
アーサーは身体を反転させ、ベランダの柵に背を預ける。そして、どこからともなく一通の封筒を取り出した。
「手紙きてたよ」
淡い緑に四つ葉のクローバーとテントウムシがデザインされた愛らしい封筒は、差出人を見なくても誰からの手紙かわかる。
「ありがとうございます」
「今時、手紙なんて珍しいね。ラブレター?」
「違いますよ。弟と妹からです」
アーサーは首だけをリツヤに向け、目を丸くした。
「きょうだい、いたんだ」
「血の繋がりはないですが。今は地球の寄宿学校にいます」
「連れてくればよかったのに」
「……まだ学生ですから」
「《フォルモーント》にも学校はあるじゃないか」
「ええ……」
どう応えていいかわからず、リツヤは煮え切らない返事をした。封筒に視線を落とし、しばらく考えてから懺悔のつもりで呟く。
「……もう、家族は要らないと思ったんです」
当時のことを思い出し、目を伏せる。
養父母の訃報を聞いたときの、足元が全て崩れてなくなってしまうような感覚を、今でも鮮明に覚えている。虚脱状態から抜け出した後、押し寄せる後悔と悲しみに潰されそうになって、リツヤは逃げた。新しくできた弟と妹と、家族になるのを恐ろしく思った。
両親はなんの前触れもなく死んでしまった。弟妹も、突然いなくなるかも知れない。また同じことがあったら、耐える自信がリツヤにはなかった。
「俺の我が儘で遠ざけたくせに、完全に繋がりがなくなっちゃうのは嫌で、手紙を欲しがってみたり……駄目な兄で」
リツヤが口を噤むと、頭上で笑う気配がした。
「自虐的だね」
「自虐じゃないです。事実です」
「おれとラスにとって、リツヤはいいお兄ちゃんだよ。親って言った方が近いかもね」
思いがけないことを言われてリツヤは、無言でアーサーを見上げた。しかし言葉が出てこず、そのまま何も言わずに顔を伏せる。
(……本末転倒って、こういうことを言うんだな)
育ててくれた両親を亡くしてからずっとリツヤは、大切なものを作るのが、それを再び失うのが怖かった。だから弟と妹には都合のいいところだけ甘えて遠ざけた。そうやって無理矢理両腕を空にしたはずだったのに、気がつけばまた色々と抱えている。抱えてしまえば、もう自分から手放すことはできないのに。
リツヤが己を持て余していたと言ったウォンは正しい。同時に、彼はリツヤがラスとアーサーを救ったように言っていたが、それは違う。二人に救われていたのはリツヤの方だ。彼らの世話を焼くことで、後ろめたさや罪悪感を薄めていた。無意識にも、意図的にも。
アーサーが笑みを含んだ声で言う。
「ごちゃごちゃ考えてないで、会いに行けばいいのさ」
「……そうですね」
至極単純なことのように言われ、柵から両腕を下ろしリツヤは小さく息をついた。眼下に見える町の明かりに目を落とし、軽口を叩く。
「アーサーさんが弟にしろ息子にしろ、俺より年上っておかしいでしょ。ラスにしたって、俺はあんな大きな子どもがいる年じゃありません」
「複雑な家庭だよねー」
無責任に言いながらアーサーは声を立てて笑った。笑みを含んだまま言う。
「なんにせよリツヤが、おれやラスのことを家族みたいに思ってくれてるのは嬉しいよ。とてもね」
「……そうですか」
照れくささやら何やら色々な感情が綯い交ぜになって、返した声は奇妙に平坦になった。そこへ、エプロン姿のフェルンがやってくる。
「男二人で楽しそうね。少しは手伝おうって気が起きないわけ?」
アーサーはフェルンを見下ろして首を竦める。
「邪魔だって追い出したのはフェルンじゃないか」
「さっきは邪魔だったのよ。料理作ってあげたんだから、運ぶくらいしなさいよね」
「作ったのは殆どラスでしょ?」
「うっさいわね。アーサーはそんなにあたしの手料理が食べたいの?」
「食べるとしたら、もう少し上達してからがいいかな」
アーサーが笑顔で火に油を注ぐようなことを言い、フェルンが顔を引き攣らせた。フェルンの料理の腕が壊滅的なのは確かだが、これはまずいと思ったリツヤが口を挟むより先に、フェルンはぷいと踵を返す。
「ラスー、アーサーが今日のご飯は要らないってー」
大声で言いながらキッチンへ戻っていくフェルンを、アーサーが慌てた様子で追いかける。
「嘘、うそうそ。食べたい、フェルンの料理食べたいです」
「盛りつけ三人分に変更してー」
「冗談だってば。意地悪言わないでよ」
「……ふ」
騒いでいる彼らの姿を見ているうちに笑いが込み上げてきて、リツヤは一人で忍び笑いを漏らした。笑いながら、今度こそ長期休暇を申請して、地球にいる弟妹に会いに行こうと考える。
失うのが恐ろしいと思うほどに大切なものは、もうできてしまった。ならばそれが一つ二つ増えたところで、そう変わりはしないだろう。
(問題は、どこまでも自己中心的な兄を、弟と妹が許してくれるかどうかだけど)
こればかりは、次に会ったとき身勝手を謝るしかないなとリツヤは頭に手を遣った。いい加減冷えてきたので、部屋の中に戻る。そこで丁度キッチンから出てきたラスに行き会い、尋ねた。
「今日のメニューは何?」
ラスは料理を満載したトレイを食卓に下ろしながら答える。
「サラダと、スープと、ドリアを作ってみました」
「へえ、ドリアって家で作れるものなんだ」
感心していると、アーサーが芝居がかった仕草で目頭を抑えた。
「リツヤ……そんな、普段の食生活が忍ばれる台詞を」
「なんですか。そう言うアーサーさんはドリア作れるんですか?」
「作れないよ」
「作れない人に言われたくないです」
「いいじゃないか、ドリアくらい作れなくたって生きていけるもん」
「もん、じゃないですよ。自分で言っておいて」
「ごちゃごちゃ言ってないでさっさと座りなさい。お腹減ってるのよ。早く食べたいのよ」
フェルンに一括され、リツヤとアーサーは言い合いをやめて食卓についた。エプロンを外したラスとフェルンも席に着く。
『いただきまーす』
声をそろえて言い、四人はそれぞれスプーンを手にして食べ始める。
「うん、今日のも美味しいよ。また腕を上げたね」
「ありがとうございます」
リツヤが素直に感想を告げれば、ラスは嬉しそうに笑った。
了
セレスティアル・トラぺジア 楸 茉夕 @nell_nell
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