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「と、いうわけなのよ」


 しゃべるのは喉が渇く行為だ。透子とうこは道中で買ってきた缶コーヒーの温度を手の平に感じながら一口つける。


 対面のすずが胡乱げな視線を向けた。


「……曲りなりにも幼馴染なんだし、頭おかしい呼ばわりをするつもりはないんだけど、その、意味がわからない」


 勝手知ったる鈴の部屋だった。部屋の隅にかけられた時計は二十三時を回ろうとしていて、パジャマ姿の鈴は眠気と物狂いを見る目を隠そうともしていない。


 鈴の目元が少し赤く見えるのは、気づかなかったふりをした。


「小学五年生向けの言葉でもう一度最初から話そうか」

「……あたしと別れたあと、精神の安定を欠いた透子は幻覚だか幻聴だか幽霊だかに悩まされて、ひとりだと悪化しそうだから仕方なくあたしのところに来た」


 透子は芸をする犬を目にした時のように拍手をした。鈴はにらみつける。


「感想なんだけど、イカれてるの?」


 眠気といら立ちは、鈴から前言を撤回させ、オブラートに包むという行為を失わせるようだった。


 透子は涼しげな顔をして言う。


「かもね。だから今日はこの部屋に泊まります」

「は!?」

「なんでパジャマ着てると思ってたの。お互いの両親には了解を得たわ」

「あたしはしてない!」

「この飲みかけのコーヒーあげるから」


 てっきり一蹴されると思ったが、鈴はひったくるように透子の手から缶を受け取って、そのままの勢いで口をつけて一気飲みをした。空の缶がゴミ箱に投げ入れられる。


「……なに? あげるって言ったのそっちでしょ。文句あんの?」


 まったく他意のなさそうな鈴に、物言いたげな顔をしていた透子は首をゆるゆると振った。そして、鈴を凝視する。

 鈴は訝しげにするが、えい、透子はみやがそうしていたようにベッドに飛び乗って寝転がった。憮然とした鈴が見下ろす。


「仕返し」

「なんのだよ」

「もう寝るんでしょ。わたしも寝るから電気消してよ」

「……ベッド、ひとつ」

「ふたりくらい入るでしょ」


 開いた口の塞がらない鈴を目にして、透子はけらけら笑った。

 観念したか笑い声が癪に障ったか、鈴もベッドに横になった。


「じゃ消すから」


 ため息混じりの声とともに、明かりが落とされる。


 意外な展開になってしまった、と透子は思う。ふざけ半分だったのだが。


 完全に明かりを落とした真っ暗闇の部屋で、透子は天井を見つめる。

 高さの違う枕、反発の違うベッド、空気の流れの違う部屋、触れ合っていないのが不思議なくらいの距離にある身体。なにもかもが眠りに落ちることを阻害していた。


 無音。


 寝顔でも見てやろうと透子は顔を横向きにした。


 目が合った。それどころか目と鼻の先に顔があった。

 異性はもちろん、同性でもここまでの至近距離に、誰かの顔があったのは生まれてはじめてかもしれない。体温すら伝わるような気がする。

 暗い中でも、鈴がじっと透子を見つめているのが分かる。


「……やっぱり、あれ?」


 いきなり鈴が口を動かして、触れ合うのではないかと透子は慌てた。鈴はまるで気づいていないようで構わず続ける。


「心配、したってわけ?」


 透子は目を逸した。耳元でひたすら三文字の言葉を唱える幻覚が見えた気がした。


「まあ、ね」


 それが精一杯か、と幻覚は呆れたかどうか。鈴は顔を反対側に向けて、


「そっか。……ありがと」


 消え入りそうなくらいに声を潜めた鈴の言葉を耳に入れて、透子も反対側に顔を向けた。苦笑した幻覚の姿が浮かんだ。

 まあ、少しずつ素直になってくれればいいかな。そんな声が聞こえた気がした。

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欠けた三角形の整え方 芙よう @huyo_wat

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