エピローグ

「終わりました、ありがとうございます」

 部屋の扉を開けて外に顔を出すと、入り口の少し先に皿糸姉妹と男性教師が立っていた。一斉に向けられた顔に密談が終了したと告げ、一番に駆け寄ってきた男性教師が難しい表情で口を開く。

「何を話したんかは知らんけど、ロクた話し合いにもならんかったべさ」

「そうですね、話し合いと呼べるものではなかったと思います」

 先ほどの話し合い……もとい説教……もとい虐待は、言葉を使った叱責ではない。

 それでも、心に深く刻まれたものはあったはずだ。

「ほら、ちゃんと自分の口で伝えろ」

 俺は壁の影に隠れていた大輔を引っ張り出し、背中を押して男性教師の前に立たせた。

「ぁ……」

 つい先ほど怒鳴られた相手を前にして僅かに怯えた声を出したが、心の支えとするように二枚の紙をぎゅっと抱き締める。

 男性教師はバンガローの中で何があったのか知らないため、大輔に対する印象は最悪なままだ。睨み付けるような表情を向けるが、それでも大輔は逃げない。

 涙を滲ませ、喉を震わせ、歯を食いしばってその場に立ち続ける。

 そして意を決し、勢いよく頭を下げた。

「ごめんなさいっ!」

 ただ一言、謝罪の言葉を告げる。

 訳も分からず泣き謝っていた先ほどとは違い、その謝罪には重みがある。

「お、おう……」

 男性教師は予想外の言動に面食らっていたが、それでも大輔の誠実な思いを感じ取って表情を少しだけ柔らかくした。

 後は二人きりにしても大丈夫だろう。

 男性教師と大輔がベンチへと移動するのを見送り、その場に残っている皿糸姉妹にそれぞれ頼み事を述べる。

「すみません皿糸先生、どこかのバンガローに布団を一組敷いといてもらえませんか?」

「分かったわ」

「ひばり姉さんは、こっちにきてちょっと手伝ってほしい」

「……んぁあ? なんだい?」

 ひばり姉さんも大輔が態度を改めたことに戸惑っていた様子だったが、ひとまず後回しだと気持ちを切り替えてこちらへ駆け寄る。

 そのまま二人でバンガローの中へ入り、机に突っ伏している少女へ顔を向ける。

「霞ヶ丘が寝落ちしたからさ、ひばり姉さんに布団まで運んでほしいんだ」

 霞ヶ丘は全記モードを解いた直後、倒れ込むように眠ってしまった。

 土砂崩れに月城が飛び込んで泣き崩れ、全記モードで集中力を極限まで高めた。体力も精神力も全て使い果たしたのだ、疲弊ひへいで意識を失ってしまうのも無理は無い。

 けれどそもそも全記モードを知らないひばり姉さんは、ことさら不思議そうな表情をする。

「調と大輔が話を終えて出てきたら、霞ヶ丘ちゃんが眠ってる……? 本当にいったい、この中で何があったのかねぇ……」

 説明は後日すると約束し、とりあえず霞ヶ丘を背負ってもらって部屋を出た。

 皿糸先生が向かったバンガローへと移動し、扉を開けて中に入る。

 するとそこには、布団が二組敷かれていた。

「あの、確か一組しか頼まなかったハズなんですけど」

 理由を求めて皿糸先生に顔を向けると、枕の形を整えながら説明を始める。

「この部屋には本来、私とひばりと霞ヶ丘さんが寝泊まりする予定でした。けれど私達教員は余震に備え、就寝時に小学生の各グループに付き添うことが決まったのです。つまり、このままでは霞ヶ丘さんが一人になってしまいます」

 確かに山を降りれない以上、教師が一晩中付きっきりで小学生を見守るのは当然の措置である。言っていることは正しい。

「体力も気力も使い果たして弱りきった女の子を一人にするわけにはいかないので、渡刈君が側に付いていてあげなさい」

「いやいやいや、恋人持ちの弱りきった女の子を別の男と一緒にさせないでくださいよ」

「では、彼女に不埒なことをするとでも言うのですか?」

「絶対にしない」

「なら問題ありませんよね」

 それ以上の反論を封じられて口をつぐむ。

 皿糸先生はひばり姉さんに霞ヶ丘を横たわらせるよう指示し、その上から掛け布団をそっとかけた。

 部屋を後にする際、大人びた微笑を浮かべてこちらに向き直る。

「お互いに積もる話もあると思いますが、今日のところは休んでください」

 俺達に労いの言葉をかけ、扉を閉めて退室した。

 時刻はまだ午後五時を過ぎた辺り。本来であれば夕食の時間なのだが、教師総出で事後対応に当たっているためまだ食べられなさそうだ。

 俺は短く嘆息し、隣で眠る霞ヶ丘へ視線を向けた。

「すぅ……、すぅ……」

 規則正しい寝息を立て、無防備に横たわる肢体に男としての本能を駆り立てられる。

「…………」

 いや、変に意識しなければいいだけだ。

 確かに俺もそれなりに疲れた。夕食が出来るまで仮眠を取ろう。

 少しだけ。そう、少しだけ。

 布団に入り、霞ヶ丘に背を向けて横たわる。

 結局そのまま俺達二人は、夕食に呼び起こされることもなく翌朝まで眠り続けた。



 昨日の一回以外は地震が起こらず、何事も無いまま平穏な朝を迎えた。霞ヶ丘が上半身を起こし、ぐぐっと伸びをしてこちらへ顔を向ける。

「んんー……。渡刈くんー、おはよー」

「……あぁ、おはよう」

 寝惚け眼で反射的に返事をしたが、俺が隣で寝ていたことに疑問くらい抱け。

 不平の一つでも言おうと思っていたら、扉をノックして皿糸先生が顔を出した。

「渡刈君、霞ヶ丘さん、おはようございます。帰り道が開けたと先ほど連絡が入ったので、朝早いのですが下山の準備をお願いします」

 指示に従って荷物を背負い、小学生をまとめ率いている教師陣に別れの挨拶をする。

「昨夜は事後対応で忙しかったと思います。何かと手伝うつもりだったのですが、ぐっすり眠りこけてしまいました。すみません」

 頭を軽く下げて謝意を表すと、男性教師が首を横に振って謝罪を拒否した。

「すったらもん気にせんでくれ。あれだけ助けられておいて、他に何かさせよーってぇわけにもいかん。もう一度言う、本当に助かった」

「そう……ですか。では、月城の意識が戻ったら伝えておきます」

「月城君なら昨日の内に目を覚ましたと連絡が入ったぞ。うちのボウズもピンピンしとるようじゃし、すぐにでも退院できるそうじゃい」

 二人の無事を聞いて霞ヶ丘が表情を明るくする。酸欠による脳へのダメージを懸念していたが、この様子なら問題無さそうだ。

 翌月曜日は通常通りに登校した。

 朝のホームルームが終了とすると同時に呼び出しを受け、霞ヶ丘と共に生徒相談室に入る。すると中には、校長先生、教頭先生、そして皿糸先生が座っていた。どうやらこの休日に起きた件で話を聞きたいらしい。

 一時限目の授業は特例で無欠席扱いとなり、時間を気にせず事実を全て伝えた。生徒を危険に晒したとして皿糸先生が責任問題に問われたが、親戚と友人で出かけて何が悪いと言葉の限りを尽くして無罪を勝ち取った。

 俺自身は平常心を装っているつもりだったが、後に霞ヶ丘が「全記しとけばよかったかもねー」と言ったほどに鬼気迫っていたらしい。

 昼休みには月城から退院したと報告があり、部活を行わずに霞ヶ丘と学校を後にした。待ち合わせ場所に指定した洋菓子店で待っていると、林間学校で着ていた私服そのままに入店してくる。

「いやー、経過観察で丸一日大人しくしなきゃならなかったのはつらかったぜ」

 事も無げに話をする表情には、人の命を救ったと自慢気におごる様子など感じさせない。

 あれほど劇的な救出劇だったにも関わらず、あくまで月城にとっては当たり前の範疇はんちゅうなのだろう。

 俺は財布を握って席を立ち、様々なスイーツが並ぶショーケースへ足を向ける。

「月城、退院祝いだ。好きなものを選べ」

 何でも奢ると視線を向けると、後を追って立ち上がった霞ヶ丘が白い目を向けてくる。

「渡刈くんー、抜け駆けは良くないと思うなー。わたしも半分奢るんだからねー」

「そんな約束はしていない。大人しくしないと、追加で霞ヶ丘のガトーショコラも買ってくるぞ」

「ならわたしはー、渡刈くんのおみやげ用にシュークリームを買って来ちゃうもんねー」

 俺達が不毛な言い合いを始めると、月城が笑いながら仲裁に入ってきた。

「そんな脅し文句聞いたことねぇよ。あと奢られるつもりも無いからな。ほら、全員で買いに行こうぜ」

 腕を引かれてショーケースへと向かい、各々がスイーツとドリンクを持って席に戻る。

「土砂崩れが起きた後のことは皿糸先生から全部聞いた。全員がそれぞれ頑張ったんだから、奢るも奢られるも無しだ」

 月城は皆が対等だと主張してドリンクを持ち上げる。

「とりあえず、乾杯ぐらいしようぜ」

 霞ヶ丘も俺も否は無い。三つのグラスが中に浮かび、カンッと透明な音が店内に響き渡った。

 林間学校での思い出、土砂崩れ発生後の苦難を語る。

「渡刈のメジャーがなかったら飛び込めなかったなー。アレはマジで僥倖ぎょうこうだったぜ」

 月城は俺にも手柄があるように語るが、その言葉を素直に受け入れるつもりは無い。

 べつに、メジャーを備えていたのは俺でなくとも構わない。それこそ霞ヶ丘が持っていたとすれば、恋仲二人の力を合わせた救出劇、といった記憶にもなっただろう。

 逆に俺が月城の立場だったなら、命をかけて男の子を庇いに行っただろうか。

 断言する。絶対に行かない。

 土石流に巻き込まれて百メートル以内に留まる確証は無い。土中の岩が急所を強打すれば即死は免れない。下に深く潜ってしまえば掘り起こされるまでに時間がかかって窒息死しかねない。

 ありとあらゆる面で、デメリットが大き過ぎる。

 それらの不確定な要素を覚悟しながらも飛び込めたのは、月城だからだ。

 わきやくではなく、月城しゅじんこうだから。

 そもそも仮定論に意味は無い。結果論から見ても、小学生を命懸けで助けた人間と小学生の首を締めた人間なら、どちらが主人公かなど比べるまでもない。

 ……でも、それでいい。

 物語は主人公だけでは成り立たない。

 メインのキャラが数人と、多くのサブキャラが存在しているおかげで成り立っている。

「不幸中の幸いだけど、こうやって全員が無事なんだから良かったぜ」

 月城しゅじんこうがストーリーを大きく進め、

「もーあんな無茶はしないでほしいなー」

 霞ヶ丘メインヒロインが苦楽を共にし、

「どうせ言ったって、また同じように危険な場面があったら躊躇ちゅうちょ無く飛び込むぞ」

 わきやくが影から力を添える。

 俺は主人公になれないけれど、主人公だって俺にはなれない。

 全員が全員、物語を完成させるのに重要な一役だ。

 なら、俺は俺の役割をまっとうしよう。



 物語に出てくる主人公に、憧れていた。

 誰よりも特別な存在でありたいと、心の底から願っていた。

 けれどもう、そんな夢は必要無い。

 主人公の活躍を一番近くで感じられるこの役得は、誰にも譲らない。

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命の相談は主人公へ 行世長旅 @yukiyonagatabi

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