2月3日の引きこもり

烏川 ハル

2月3日の引きこもり

   

 ちょっとトイレに行こうと思って廊下に出たら、リビングで騒いでいる声が、二階まで聞こえてきた。

「お母さん、私、お外に出たい!」

「ダメよ、美依みいちゃん。今日は一日、おうちの中で遊ばないと……。ほら、頭、気をつけて!」

 妹が泣き喚いているようだ。

 まだ幼い妹に、母さんの説得が通じるのか、少し疑問だが……。

「まあ、僕には関係ないね。こっちは自分のことだけで、精一杯さ」

 そう呟きながら、僕はトイレに入った。


 2月3日。

 いわゆる節分の日であり、うちでは「学校をズル休みしても許される日」となっている。というより、外出禁止の日とされており、先ほどの妹のように、外に出たくても止められてしまうのだった。

 このルールは、僕や妹のような子供だけではなく、大人である母さんにも適用されている。四人家族の中で、例外は父さんだけ。つまり、母方ははかたの血筋の問題だった。


「あ……」

 なんだか僕も、無性に外に出たくなってきた。そろそろ午後三時、近所の神社で豆まきが行われる頃だ。

「まあ、今日一日の我慢だし……」

 自分に言い聞かせるように、あえて口に出してから、洗面台の鏡に目を向ける。

 そこに映った僕の頭には、帽子でも隠せないくらいの、立派なツノが生えていた。まるで、絵本に描かれる鬼のように。


 そう、鬼なのだ。

 僕も妹も母さんも、純粋な人間ではなく、鬼の子孫らしい。

 ただし鬼の血は薄まっているので、いつもはツノも体の中に引っ込んでおり、外からは見えない。節分の日だけは外に飛び出してしまうから、秘密を他人ひとに知られないために、一日中、家に引きこもって過ごすのだった。

 母さんには「これは体質なのよ」と説明されたけれど、特定の日だけツノが現れるなんて、何らかの理由があるはずだ。僕は勝手に、これは言霊ことだまの力によるものではないか、と考えている。


 言霊ことだま

 日本に古くからある概念だ。言葉には霊力が宿るから、人間の発言には、現実の事象に対する影響力があるという。

 少々オカルト的な考え方かもしれないが、鬼が実在するくらいなのだ。言霊ことだまだって、本当にあるとしても不思議ではない。

 だから……。

 2月3日の、節分の日。日本全国の人々が「鬼は外、福は内」なんて叫ぶものだから、そのパワーが集まって、いつもは隠れている『鬼』の身体的特徴が『外』に出てしまうのだろう。

 同時に「家にいないといけないのに、何故か外に出たくなる」というのも、みんなが『鬼は外』と言うせいなのだと思う。


 近所の神社で豆まきイベントをやっている時間帯になると、ツノの飛び出し具合も、外へ出たいという気持ちも、いっそう強くなる。近くで大勢が「鬼は外、福は内」と叫んでいるからに違いない。

 家庭内の小規模な豆まきならば、決まった時間ではなく随時、行われているはずだが、それよりも神社のような大々的なイベントの方が、僕たちに及ぼす影響も大きいらしい。

 ちょっと調べてみたところ、場所によっては、2月3日だけでなく2月2日にも節分行事を行う神社があるそうだ。その点、うちの近くは一日だけでよかったと思う。

 同時に。

 そうやって言霊ことだまの力が、ある程度の範囲にしか及ばないのであれば……。

 将来は外国の大学に留学して、節分とは無縁な地域で暮らそう。そうすれば、ずっとツノを生やすことなく、普通に生活できるはずだ。

 これが目標なので、僕は今日も、がんばって勉強するのだった。




(「2月3日の引きこもり」完)

   

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2月3日の引きこもり 烏川 ハル @haru_karasugawa

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