Like I please you?(私があなたにしてあげたみたいに。ね?)

 ムーンライトセレナーデ。

 名前こそ、洒落しゃれているものの、地球上で見ることが出来るという夕暮れ時の赤い空と月の光をかたどったラテアートが描かれただけの、ごく一般的な飲み物だ。

 新しくオープンしたというから、少し期待していたのに、お店のお薦め商品は月面上じゃ割とポピュラーな、カフェの定番メニューだった。

 

「ねぇ、ヒミコ。明日、アリスタルコスまで出かけてみないか? 一緒に一ヶ月ぶりの日の出を見ようよ」

「良いですね。是非ご一緒させてください。楽しみです」


 大学院が自宅からは通いにくかったため、9月からを始めたが、休日に二人だけで買い物以外にどこかへ出かけるのは、そう言えば初めてかもしれない。


 PAAパーソナルアシスタントアンドロイド(僕の場合はHAAホームアシスタントアンドロイドだけど)を連れて歩くのは、別に変じゃない。

 高級なオートクチュールを連れてステータスシンボルにしてるやつ、ボディガードとして連れてるやつ、荷物持ち、ネットアクセスデバイスの代わり、話し相手、そして僕のように恋人として。


 あぁ! そうさ。僕はヒミコに恋してる。ま、ここじゃ人間と愛し合おうなんてやつの方がマイノリティだから、驚きゃしないだろうけど。そう。ウチの両親は変わり者だけど、その生き方を息子にまでは押し付けなかったってことだ。


 ※   ※   ※   ※   ※

  ♪   ♪   ♪   ※

 ※   ※   ※   ※   ※


 半月続いた「暗い昼」があと少しで終わる。日の出は夕方だから、まだ時間には余裕がある。そしていったん日が昇ると、今度は半月、沈まなくなる。


「間もなく、当シャトルは低重力地区へと入ります。いま一度、シートベルトをご確認ください」


 リニアシャトルが静かにアリスタルコスのホームに入線する。ホームには「ハッピーニューデイズ!」と書かれたのぼりやポスターが至るところに貼られている。久し振りに味わう六分の一の重力。心も身体もふわふわと浮足立つ。僕ばかりじゃない。みんな、一ヶ月に一度のお祭りで盛り上がっていた。


 ヒミコも低重力を楽しんでいるようだった。


 クレーターの稜線にキラリと光が見えると、みんな喝采を上げ、飛び上がり(天井がそれ程高いわけではないコロニーなので、当然天井にぶつかり、押し戻されるけど、そんなことはお構いなしに!)、誰かれ構わず抱き合った。


 そんな最中、悲劇が起こった。


 太陽フレア。時折、突然発生しては、精密機器に甚大な被害をもたらす、誰にも予測不能な天体現象。

 コロニーの壁は、ある程度はフレアによる影響を軽減するような構造と素材で出来ている。でも、完全に防ぐことは出来ない。

 なにしろ、あんなに厚い空気の壁で守られている地球上でも、影響が出るくらいだ。


 あまりにも突然の出来事に居合わせた人々は、若干パニックになっている。でも、パニックになることが、どれ程自分や周りに致命的な二次被害を与えるか、幼少の頃より嫌というほど叩き込まれてきた月の人ルナリアンは、かなり冷静だった。


 あちこちで、機能不全を起こした自分のPAAパーソナルアシスタントアンドロイドに呼びかける人たち。

 僕のヒミコは……


 一瞬だった。内部で起きたサージのために、目から青白い光を放った次の瞬間、糸が切れたように崩れ落ち、低重力のために小さく跳ねて、そして動かなくなった。




 ※   ※   ※   ※   ※

  ♪   ♪   ♪   ♪

 ※   ※   ※   ※   ※




「ご主人様、お薬をお持ちいたしました」

「あぁ、ヒミコ。そこに置いておいてくれ。執筆が一段落したら飲むよ」

「わかりました」


 ストレートボブにラベンダーグレーの髪、中央が白く輝き、周りを透き通ったブルーが踊る瞳。ちょっと頬がふっくらしていて、喜怒哀楽が豊かな顔。女性らしい柔らかい線を描きつつも、標準タイプの控えめなボディ。


 あの事故からニ十五年。いつかは癒えるかと思っていたのに。結局この胸のうずきが癒えたことは無かった。生涯独り身というのも悪くないと、これまで新たなパートナーを迎えることなく過ごしてきた。遺伝子はちゃんと管理センターへ預けてあるから、別に社会的貢献が低いなどとそしりを受けることはない。


 地球人は平均寿命が百年を超えるらしいが、ここでは放射線の影響を受けるから、その半分にも満たない。

 晩年を迎え、身の回りのあれこれにも困るようになってしまった僕は、意を決して新しいPAAパーソナルアシスタントアンドロイドを購入した。僕は彼女にヒミコと同じカスタマイズを施し、ヒミコと名付けた。

 しかし、この新しいヒミコには、僕と過ごしたあの幼少期と続く二十年の記憶はない。

 新しいヒミコには歌を歌う機能が備わっているから、頼めばきっと僕の期待通りの歌を歌ってくれるはず。だけど、僕は新しいヒミコにそれを頼んでみる気にはなかなかなれずにいた。


 ――でも、この手記のまとめとしては、頼んでみても良いかもな。


「ねぇ、ヒミコ。一つ、良いかな」

「はい。なんでしょう?」

「その……」


 言いよどむ僕の次の言葉を身じろぎ一つせずに静かに待ってくれるヒミコ。


「えっと……歌を……歌ってくれないかな?」

「えぇ、喜んで。どんな歌を歌いましょうか?」


 ――ああ。この一言をどれだけ待ったことか!


 しかし、喜びと共に、僕のではないのだという残酷な現実へと引き戻す一言でもあった。


「こんな歌なんだけど……知ってるかな?」


 僕は幼い日の、茶楼チャロが死んでしまったあの悲しい日の記憶と共に、ヒミコがたった一度だけ歌ってくれたあの歌を思い出し、鼻歌で歌ってみた。


 人にはとても出せないような広い音域、途中でブレスが入ることも無く、滔々とうとうと静かに僕にだけ聞こえる音量で、そっと語りかけ、いたわり、優しく包み込むように歌ってくれたあの歌。


 人間である僕には、到底きちんと再現することは出来ない。でも、どんな曲だか、ヒミコに伝われば……。


 目を閉じて鼻歌を歌う僕の頬が涙に濡れていた。

「こんな感じのやつなんだけど。わかるかな?」

「えぇ、それなら分かります。M2−VO−1000型の、歌が歌える最初のモデルのデモ用にプリインストールされている販促用の歌ですね。たしか動画が共有レジストリに……はい。ありました。原曲は、とても古いラブソングですね」


 そうだったのか。ヒミコは歌ってくれていたわけじゃないんだ。その動画を再生しながら、くちパクで四歳の僕を慰めるために、歌を歌っているをしてくれていたんだ。あの時の僕は気が付かなかったけど。

 そして、そうと知られたくなくて、あれ程に頑なに歌を歌うことを拒み続けていたんだ。


 僕はヒミコの胸に顔を埋めて子どものように泣いた。泣きながら、ヒミコの話をした。ヒミコは、それを聞きながら、優しく僕の頭を撫でてくれた。

 いつまでも。

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