Please Please Me

潯 薫

Please Please Me(どうか私を喜ばせてよ)

 彼女が歌を歌うのを聞いたのは、僕が四歳の頃。飼っていた月面飼育用に遺伝子改造されたハスキー犬の茶楼チャロが死んだ時だった。


 四肢をいっぺんに無くしてしまったような、あるいは胸にでっかい穴が空いたような喪失感。四歳の小さな躰に収まりきらない大きな喪失感に、一日中泣いて泣き疲れて、うとうとしかけていた、そんな時に何処からか聞こえてきた優しい歌声。


 歌っていたのはヒミコだった。


 人にはとても出せないような広い音域、途中でブレスが入ることも無く、滔々とうとうと静かに僕にだけ聞こえる音量で、そっと語りかけ、いたわり、優しく包み込むように歌ってくれた。

 それまでHAAホームアシスタントアンドロイドに歌が歌えるなんて知らなかった僕は、泣くのも忘れて彼女の歌声に惹き込まれた。


 でも、それ以降、僕は再び彼女が歌を歌うところを一度も見ていない。


 母さんに話してみたけど、

「ヒミコが歌なんて歌うわけないじゃないの」

 と、まともに取り合ってはくれなかった。


 父さんに無理を言って地球にあるHAAホームアシスタントアンドロイドの会社にも問い合わせて貰ったけど、わざわざ高額な通信費を払って返ってきたのは、


「M1−CA−777型は、歌を歌えないわけではないので、そういう事もあるかもしれませんが、特別に歌を歌う機能は実装していません。

 私たちは、あなたに最新のM2−VO−1000型をお薦めすることができます。歌唱専用のプロセッサを内蔵していますので、素晴らしい歌声をあなたにお届けすることができます」


 という残念な回答だけだった。


 低重量地区の先にある僕の通ってた幼稚園でも、先生や友だちに聞いてみたけど、最新型を持ってる人は居なかったし、みんな

「私の家のHAAホームアシスタントアンドロイドは歌なんて歌わない」

 って言ってた。


「ねぇ、ヒミコ、歌を歌って」

 と命じても

「どの曲を再生しますか?」

 って言うばかり。


「違うよ。再生するんじゃなくて、ヒミコが歌ってよ」

 って言ってみたけど

「じゃあ、こうしましょう。坊っちゃんが私にお歌をお聞かせください。そうしたら、私もなにか歌いたくなるかもしれませんよ」


 もしかしたら、僕が歌えばヒミコも一緒に歌ってくれるかもしれない。僕はヒミコのあの歌声がまた聞きたい一心で、一所懸命に『きらきら星』を歌ったんだ。


 ♪Tinkle tinkle lille star!

 (ティンクル ティンクル リールの星!)

 ♪How AI wonner whatyou lare!

 (どのようにしてAIが勝ったのか!)


 ヒミコは楽しそうに笑いながら褒めてくれた。それに、たくさんの拍手とハグとほっぺのチューをしてくれたけど、結局、歌は歌ってくれなかった。


 ※   ※   ※   ※   ※

   ※   ※   ※   ※

 ※   ※   ※   ※   ※


「ねぇ、ヒミコ。あの時みたいに歌を歌って聞かせてよ」

「私はお聞かせできるほど上手く歌えませんから。どうぞ坊っちゃんのお歌を聞かせてください」

 目を細めて、にっこりと笑いながらヒミコが言った。


 いつものはぐらかし。もう何度そのやり取りをしたことか。予期したヒミコの返答を聞き流しながら、僕は別のことを考えていた。


 ――いつの間にか、ヒミコの身長追い抜いちゃったな……


 ヒミコは身長148センチ。育児のサポートをする時に子どもに威圧感を与えず、家事全般のサポートに支障がなく、同じ性能を発揮出来るように、ウチのヒミコに限らず、HAAホームアシスタントアンドロイドの身長は一律、148センチ。

 ほんの少しだけど、僕は成長し、ヒミコの身長を追い抜いていた。


 規格で決まっている身長を除く、それ以外の外観デザインは、購入時にカスタマイズできる。父さんと母さんは、ヒミコをストレートボブにラベンダーグレーの髪と、中央が白く輝き、周りを透き通ったブルーが踊るとても美しい天体「ヒミコ」を思わせるような瞳に設定した。


 ヒミコの名前の由来でもあるこの天体は、宇宙が8億歳|(現在の宇宙の年齢の6%)だった頃には存在した巨大天体で、父さんも母さんも、月の裏側の天文台で、この天体の観測を行っている。


 ヒミコは、ちょっと頬がふっくらしてて、喜怒哀楽が豊かで、コロコロと移り変わる表情が、二十代のお姉さんにも、三十代の落ち着いた女性にも見える。ボディは、女性らしい柔らかい線を描きつつも、標準タイプの控えめなボディ。これが標準なのは、過激派フェミから叩かれないようになんだそうだ。

 ブルーに輝く美しい瞳の奥でチカチカと光る光点や、顎の下のパーツの切れ目、球体関節で構成された指なんかを見ないと、パッと見た目には、人間かと思ってしまう。


 HAAホームアシスタントアンドロイドは、それっぽい会話は出来るけど、心や感情はないってことは、もうさすがに僕も頭では理解してるけど、生まれた時から家族の一員だったヒミコを僕は人間かアンドロイドかなんて区別することはなかったし、それっぽい会話が出来る以上、心が無いなんてことにこだわる必要性も感じなかった。


 分かりやすく言えば、僕はヒミコが好きだった。


 ※   ※   ※   ※   ※

  ♪   ※   ※   ※

 ※   ※   ※   ※   ※


 ある時、ヒミコが故障したことがあった。三ヶ月に一度のメンテナンスと、年に一度のオーバーホールのお陰で、突然動かなくなるなんてことは早々起こらなかったけど、その時は音声出力系の故障で、声がでなくなってしまった。


 こちらの声は聞こえるし、家事は支障なくこなせる。家電の操作も音声ではなく、無線で行うのでまったく問題なかった。人間とのコミュニケーションがとれなくなってしまったことを除いて。


 だから、最初は買い替えなんて選択肢はまったく無かったんだけど。その頃には、メーカーの保証期間なんてとっくに終わってて、それどころか、交換用の部品も無いから、修理を受け付けられないと言われた上、最新型への買い替えを勧められてしまった。


 両親も老後を見据え、介護機能の充実したモデルへの買い替えを真面目に検討し始めていて、僕はヒミコと別れる日が、突然目の前に現れたことに動揺を隠せなかった。


 家族構成や間取り、家族の生活習慣、食事の好み、そうしたホームアシスタントを行う上での基本情報|(それでも膨大なデータ量だけど!)は、バックアップされていて買い替えても引き継がれるけれど、日常会話などの細々とした情報は直近三ヶ月分しかバックアップされないから、実質、業務引き継ぎを受けた新しいメイドさんに交代するようなもの。


 ――いやだ! ヒミコとサヨナラなんて、絶対にいやだ!


 幸い、ヒミコのタイプは、汎用的で当時一番の人気機種だったこともあり、探せばジャンク品の中から適合しそうなパーツがすぐに見つかった。

 お金をかけずに修理できると両親を説得し、ヒミコは引き続き、我が家の家族として迎え入れられた。


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 僕の二十歳の誕生日に、両親はヒミコを僕専用にと譲ってくれた。その頃には、HAAホームアシスタントアンドロイドは、PAAパーソナルアシスタントアンドロイドと名を変え、「一家に一人」ではなくて、「一人に一人」となってきていたし、いよいよ両親には介護のサポート機能が付いた最新型が必要になってきていたから。


 散歩がてら、ヒミコを連れて最近近所にオープンしたというカフェまで歩く。


「ヒミコ。僕、二十歳になったんだ。きみも何かプレゼントしてよ」

「わかりました。今晩のお食事は、腕にりをかけてご用意いたしますね」

「うーん、それも嬉しいんだけど、ほら、歌をプレゼントしてくれないかな?」

かしこまりました」

 そう言うと、ヒミコは『ハッピーバースデートゥーユー』をし始めた。


(続く)

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