結 そして一歩を踏み出した


「……どうしてそれを」


「私じゃなくても気づけるくらい、ヒントはたくさんあったわ。この場所についての話をした時『音を聞いてもなんともないのが不思議』、じゃなくて『音を聴けるのが不思議』と言っていたりね」


 彼女は椅子に座りなおし、僕を手招いた。


 僕が隣に座ると、彼女は上機嫌に話を再開する。


「音をずっと聴けるのが羨ましい、って言葉も引っかかった。普通の人なら音なんて少しも聞きたくないって言うもの。あなたは音に関する恐怖心が普通の人よりもずっと少なかったのよ」


 でしょう? と可愛らしく首をかしげる彼女に、僕は同意の頷きをする。


「うん、確かにそうだ。僕は。聞き続けたら死んでしまうとか、それ以前の問題なんだ」


 人類は、音を聞き続けることができない。


 ただ、それは聞き続けることができないというだけで、聞こうと思えば聞けるのだ。


 けど、僕は音が聞こえない。


 生まれつき耳が不自由で、初めから音のない世界だった。

 

「だから音を聞けて、発せられるこの場所が好きだった。ここにいる君と話せることが生きがいとすら思ってた」


「まあ、世界中でも唯一まともに音を聞ける場所だしね」


「そうなのか。てっきり他にもこういう場所があるものだと」


「そんなのないわよ。この空間は外界の音を遮断して、いわば物理的なテレパシーで音を伝えているの」


「物理的なテレパシー?」


 彼女が自らの耳元を指差して言う。


「厳密には違うけれど、あなたのつけているプロテクターそれ、原理的には骨伝導と似たようなものよ」


「……ああ、そういうことか」


 それなら確かに鼓膜を介さずとも、音を伝えることができる。


 今朝、母親と話をしたばっかりじゃないか。


「それにあなた、自分なんかでいいのかって言っていたけれど、音が聞こえないからこそ選んだのよ」


「聞こえないからこそ? どういうことだ」


「言ったでしょう、聞こえるのが良いとか聞こえないのが悪いとかそんなの無いんだって。音が聞こえないということは〈EEPF〉の音から逃れられるということだもの」


「〈EEPF〉の、音? 〈EEPF〉から発せられているっていう音のことか?」


「ええ。ところであなたは〈EEPF〉がどうやってエネルギーを生み出しているか知ってる?」


「いや、わからない」


 彼女の問いに首を振ると、「あれを見て」と、彼女が指をさした。


 その方向を見て、僕は絶句した。


 遠くに見えるはずの『千歳』。


 そこにあったはずの建築群は見るも無残に、積み重なるのは瓦礫の山。


 そして、その中央には天を衝くような白亜の巨塔が聳えている。


 騎士たちの都キャメロットは崩れ去り、神々の塔バビロンが出現していた。


「あれはいったい?」

 

「あれが〈EEPF〉の本体よ。あそこで音を集めて、音を発しているの」


「音……というと?」


「周辺の何百キロという範囲で起こる音を集めて内部で特殊な音をぶつけて増幅させるの。その時に漏れ出た音は、拾った範囲の数倍もの距離に広がる」


 言いながら、彼女は遠くどこかを見つめていた。


「聞こえない音だから人体には無害なはずだった。けれど、どんなに聞こえなくても、感じられなくても音はそこにある。〈EEPF〉の音の特性だけは世界中に届く」


「……ああ」


 彼女がなにを言いたいか、理解した。


「何百とある〈EEPF〉によって、音は地球上を覆ってる。どんな音が響こうと、その下には必ず〈EEPF〉の音がある。そしてそれを人が聞くと、脳内で反復してダメージを負ってしまう」


「じゃあ、人類が音を聞くことができなくなったのは、」


「人類の進歩によるエネルギー革命の弊害、ということになるわね」


「はは。なんとも、くだらない理由だな」


「ええ。私もそう思うわ」


 それは進化か、神罰か――果たしてそれは、純粋なる代償だった。


「そして私は役目から解放されたおかげで、やっと自分のことを言えるようになったわ」


 大きく伸びをして、深呼吸をすると、彼女は顔をあげる。


 その表情はいつにも増して清々しい。


「私はこの街の〈EEPF〉の管理を任されたAI、自律人形エクスマキナよ」


「自律人形……」


 普通の人では無いだろうと思っていたけれど、まさか人ですらなかったとは。


「人間じゃなくて失望した?」


「いいや、全く。むしろ魅力的に思える」


「あなた、やっぱり変わってるわ」


「知ってるとも。それで、名前はなんて言うんだ? 僕は君をなんて呼べばいい?」


 なんなら彼女の正体よりも、ずっと気になっていたことだった。


 彼女は少し微妙な表情をした後、小さい声で答える。


「……千歳」


「ちとせ? 千歳って、あの千歳?」


 僕が塔を指さしながら言うと、彼女は頷く。


「ええ。私の名前は『千歳』。この街の〈EEPF〉に名づけられている『千歳』というのは、元は私の名前なの」


「へえ……いい名前だな」


「……! でしょう? 私もそう思うわ」


 僕がそういうと、彼女は一転して誇らしげに胸を張った。


 なんともわかりやすくて可愛らしい。


 本来の、なんの役目も課されていない彼女は、こういう人柄なのかもしれないと思った。


「それで……あと一つだけ、お願いがあるのだけど」


「うん? もう君の役目は終わったんじゃないのか?」


「ええ、私の役目は終わったわ。でも、むしろこれからが本番」


「というと?」


「あなたに『千歳』を止めて欲しい」


「……そうか。まだ『千歳』自体は止まってないのか」


「これは〈EEPF〉の影響を受けないあなたにしかできないことなの」


「君自身が行うことはできないのか?」


「ええ。だってもう――時間がないもの」


 彼女が笑ってそう言った瞬間、彼女の身体が青白く発光しだした。


「千歳!!」

 

 僕が彼女の名を呼ぶと、彼女は驚いたような表情をして、それから笑った。


「最上階に私はいるわ。だから――」


 彼女の身体が、無数の0と1となって消えていく。


 まるで、巻き戻る逆瀧のように。


 水面に湧き立つ泡沫のように。


 湖面の白鳥が一斉に飛び立つように。


 そうして最後、言葉が残された。


 ――――私を迎えに来てね。王子さま。


 思わず笑ってしまう。


 なるほど確かに、状況的には囚われの姫を助けにいく王子さまかもしれない。


「…………」


 もう一度、『千歳』の方を見る。


 白い瓦礫が時化しけの波のように荒れ狂い、まず塔にたどり着くことすら一苦労だろう。


 たどり着いたとして、中にどんなものが待ち受けているのか検討もつかない。


 最上階までの労力を考えるだけで気が遠くなる。


 だっていうのに、笑みは収まりそうにない。

  

 気持ちは刻一刻と増すばかり。


「そりゃそうだろ。望む世界がそこにあるんだ」


 もう一度、君に会ったらしたい話がたくさんある。


 やりたいことが山ほどある。


 だから僕は覚悟を決めて、その名を口にする。


「待ってろ、千歳」

 

 そして一歩を踏み出した。







 fin.

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『千歳』 にのまえ あきら @allforone012

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