転 それなら君と最後まで


『147秒以上音を聞き続けると脳が自壊する』というのはつまり、死ぬということ。


 そして僕らがこれからやろうとしているのは、147秒間の演奏。


 だからこれは、世界一美しい自殺だ。


 背筋を伸ばし、ゆっくりと息を吐く。


 両手を鍵盤に添えて彼女の方を見ると、ふたたび目が合った。


「――――」


「――――」


 どちらともなく互いにうなずき、僕らは最初で最後の共奏デュオを開始した。


※ ※ ※


 彼女と出会ってどれほどの月日が流れたかわからないけれど――


 なんて、そんなことが言えるほど長い付き合いでもないけれど、初めて彼女と会った時、僕は彼女に訊ねたことがある。


「君はどうしてここにいるんだ?」


を止めるため。それだけよ」


 彼女が視線をやった先、そこにあるのは巍々ぎぎと構える『千歳』だった。


 彼女は冗談めかすでも、大いなる決意を口にする風でもなく、ただそう言った。


 それがかえってすでに決定している未来のように思えて、僕はひどく驚かされた。


「どうしてまたそんな大それたことを」


「答えられないわ」


 ごめんなさいと謝る彼女に、気づけば笑みをこぼしていた。


「面白いな、それ。良ければもっと聞かせてよ」


 僕がそう言うと彼女はぱちくりと瞬きをして、微笑んだ。


「あなた、変わってるのね」


「そうかな。面と向かって言われたのは初めてかも」


※ ※ ※


 愛情を持って、柔らかくコンテネレッツァ・ドルチェ


 これまで何度も練習してきた通りに決められた筋道ルーティーンを辿るだけ。


 とはいえ、段々と全身に震えを感じ始めている。


「だいぶ汗をかいているようだけど平気?」


「これくらいへっちゃらさ」


 うそだ。


 練習の時よりもだいぶキツい。


 でも、弱音は吐いていられない。


「――――」


「――――」


 ※ ※ ※


 彼女と会うようになって何度目かの時。


 黒い筐体について聞けば、こんなことを教えてくれた。


「このピアノ式の筐体では〈EEPF〉の調整、いわば『調律』を行なうことができるの。そして『調律』をすれば、終わりが近づいていく」


 ピアノ式、というのが具体的にどんなものを指すのかはわからなかったけれど、要するにこの黒い筐体で演奏をすればするほど『千歳』の臨界点は近づいていくのだという。

 

「実際に近づいているのはこの筐体の稼働限界なんだけどね。ただ、『調律』ができないとこの街にある〈EEPF〉の調子も悪くなってしまうの」


「だから『千歳』の臨界点が近づいていると誤解されている、ってことか」


「ええ。でも『調律』ができなくなれば『千歳』が本当に動けなくなる日も近いから、当たらずとも遠からずと言ったところね」


「で、なんで君がそんな役目を負っているのかについては」


「もちろん応えられないわ」


「なんでちょっと嬉しそうなんだ」


「ふふ、いつか言える日が来るといいなって」


「なら、その日まで生きないとだな」


 ※ ※ ※


 演奏を始めてすでに一分が経過している。


 震えはすでに全身を包み込んでいる。

 

 今、73秒を超えた。


 演奏は半分を過ぎ、佳境に入っていく。


 極めて強く、火のようにクローチェフオーコ・コンコード


「それにしても、本当にすごいわ」


「なに、が?」


 汗ひとつかかず、いまだ微笑みを保ったまま弾き続ける彼女が僕に声をかけてくる。

 

 僕はといえば、先ほどから集中しっぱなしで正直、彼女の言葉に耳を傾けることすらキツい。


 でも、僕が努力せずとも彼女の言葉はすんなりと耳に入ってきた。


「正直、途中でやめてしまうと思っていたから。本当に死ぬのが怖くないんだなって」


「こわいよ、こわいに決まってる」


 今だって一瞬でも気を抜けば、指先が震えで暴れ出しそうなのを必死で押さえつけている。


 死について、だなんて考えないようにしているだけだ。


「じゃあ、どうして」


「何回も言ったろ」


 ――転調。


 ゆっくりと、消え入るようにアダージオ・ペルデンドシ


 音を置くように、指を動かしながら言う。


「君がいるからだ」


 そして、147秒の演奏が終わった。


 ※ ※ ※


 これはつい最近の話。


 最終確認を兼ねて、僕は彼女に質問をしていた。


「147秒演奏を続ければ本当に『千歳』が止まるんだな?」


「正確にはこの筐体だけどね。私は〈EEPF〉を制御するための鍵のような役割を担っているこの筐体に稼働限界を迎えさせたいの」


「なるほど、わかった。で、僕も一緒に弾けばなお良いんだろ?」


「ええ。一人だと寂しいから、とても心強いわ」


「確かに、一人で死ぬのは寂しいもんな」


「誰だって死ぬときは一人よ」


「そんな寂しいこと言わないでくれよ」


「ふふ」


「はは」


 軽口をたたき合い、僕らは少しの間だけ笑った。


 ふと、彼女が僕に問いを返してきた。


「あなたはどうして私に協力するの?」


「どうして、というと?」


「私はあなたたちを追い出すような真似をしているし、あなたには死んで欲しいと言っているようなものなのに」


 僕はその時すでに人が消えつつあった街並みを見下ろしながら、答えた。


「君がいない世界で生きるくらいなら、死んだほうがマシだって思っただけだよ」


「ふふ、その意気込みには申し訳ないのだけれど、あなた多分死なないわよ」


「……どういうことだ?」


※ ※ ※


 震えが最高潮に高まる。


 大地の底から伝わるようなそれは――事実、だ。

 

 演奏が終わりに近づけば近づくほど増していた大地の震えはすでに留まるところを知らず、街全体を揺らした。


 椅子に座っていられなくて思わず地面に倒れ伏し、彼女と互いの腕を掴んで揺れに耐える。


 数十秒してようやく揺れが収まり、一気に静寂が訪れる。


 仰向けになり、ふと隣の彼女を見てみると目が合った。


 彼女が僕を見て笑う。


「死んでないわね、お互い」


「全部、君の言った通りになった」


 そう言って僕は立ち上がり、彼女に手を差し伸べる。


「敵わないよ、ほんと」


 彼女は僕の手をとって立ち上がると、意外なことを言った。


「言った通りになった理由、今なら教えてあげられるけど知りたい?」


「どうして今になってなのかわからないけど、知れるならぜひとも知りたいな」


「まず、あなたが死なないと言った理由からね」


 くるりと一回転し、髪をなびかせながら彼女が言う。


「あなた、んでしょう?」



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