第58話

 その日、俺たちは冬の間にすっかり親しんだ村を出発し、ニルレイに向かう街道を歩いていた。


 季節は春といっても、日が陰ると少し肌寒い。足元には雪が残っていて、踏む土もまだ水っぽいが、それでも刺すような寒風や腿まで埋まる積雪よりはずいぶんましだ。

 毎回のこととはいえ、こうやって街道を行くのは、故郷を離れる少しの寂しさと、慌ただしくも充実した街での日々への期待が入り混じって、なんとも表現しがたい気分になる。

「みんな良い人だったよなー」

「村か?」

 尋ねると、隣を歩くトールが頷いた。

 急がなくても、日が暮れる頃までには、宿がわりに納屋を貸りられる集落をいくつか通過する。そのうちのどこかで夜を過ごせばいいので、歩調はのんびりと気楽だ。

「うん。なんか……宿屋も、あんな風に大勢で暮らしたことって、オレなかったからさ。楽しかった」

 言われて、シバラたちに修復されている間に見た奇妙な夢……おそらく俺自身と、誰かの記憶を思い出した。

 誰かというか、あれはトールの記憶だったのだろう。あの見たこともない異質な風景は、他の世界から来たと自称するトールの言葉と一致する。

 確かに、一連の記憶がトールのものであるとすれば、この若者が孤独な半生を歩んできたのは間違いない。

「あのまま、村に残りたかったか?」

 この冬、何度となく聞こうか迷って、ついに口に出さなかった問いが、するりと飛び出した。

「……あんたとオレが食っていけるなら、アリかなとは思ったけど。でも教会にもシバラにも頼らないとしたら、キツいのはわかってたし」

 もし村に、入植者として住み始めるとしたら。当たり前だが問題になるのは金だ。

 家にしろ土地にしろ、借金なりして手に入れて、村の外縁を開拓すること自体は可能だと思う。

 しかし開墾した土地で食えるだけの収穫を得られるまでに何年かかり、その間の生活をどうするか。この部分は農民以外の職、例えば職人だの商人だのにも全く同じことが言える。

 つまり何をするにせよ、ある程度の蓄えを持って始めなければ食い詰めるのは目に見えているわけだ。

「まあ……軌道に乗せるのは、相当大変だろうよ。宿屋にも負担をかけちまうはずだ」

 フィンルーイやテルミエルには彼女らの生活がある。ルルネが成人するまでだって、まだ何年もかかるのだ。だが俺とトールが困窮しているのを放置する二人ではないだろう。なおさら頼ることはできない。

「だったらまあ、冒険者やりながら、たまに帰るくらいがちょうどいいってなっちゃうよなあ」

 トールも俺が何年も前に出したのと同じ結論にたどり着いたようだ。

「そのなんだ、おまえって何だかんだ、ちゃんとしてるよな」

「なにそれ。急に褒めてどうしたの」

「そこで女たちにぶら下がってやろうって思わないあたりがさ」

 ちゃんとの基準そこ?とトールは笑うが、こいつだって、村でフィンに言い寄ってる野郎にタチの悪いのが幾人かいるのを、この冬の滞在で目にしているはずだ。

「まずは独り立ち……や、あんたと組んで一緒にいるけど、とりあえず二人で食えてからの話だろ。それこそ頑張って金貯めて、何かやるならそれからじゃね?」

「月賦はもうこりごり、だな」

 隣からは、ほんとそれな!と全力の同意が返ってきた。


「あ、あのさ。あんたが意識のなかった間のことなんだけど。オレ聞いてみたんだよね、ジャスは『凶運』って呼ばれてるけど、なんかあるのかな?て」

 小休止を挟みながらも歩き続け、そろそろ太陽が高い位置にくる頃合い、トールが何気なく言った。

「は?」

「や、勝手なことして悪かったって。でも気になるじゃん。シバラはなんて言ったと思う?」

 よくまあシバラにそんなことを尋ねたものだ。

 俺の知らない二か月間の、こいつの村や関係者への馴染みぶりといったらなかった。元々人懐こいというか屈託なく他人と距離を詰められる方なのはわかっていたが……。

「聞かせろよ」

「くだらぬ、そんなものは偶然じゃ。だとさ」

 トールは超然とした表情をつくり、シバラの口真似をした。

「他にも、確率がどーのとか統計学がどーのとか言ってたけど、難しいことはわかんねえ。とにかく思い込みの範囲だってことみたい」

 思い込みなあ……。

「おまえには言ってなかったけど、俺には『贔屓ひいきした店が潰れる』ってのもある」

「ええ?」

「飯屋だの屋台だの、ここは美味いなと思って贔屓にすることあるだろ?ちょいちょい通ってみたりさ」

「うん……?」

「俺がそれやったところは、例外なく潰れてるからな」

「なにそれこわい」

「気づいちまってからは、意識的に一つの店に通い詰めないようにしてる。とにかく、なんでか知らねえが、仕事で数日留守にした間に飯屋は店畳むし、屋台は別の奴に場所とって変わられてるしで」

 これは嘘でも誇張でもない。かつてイアストレに皆こういうものか尋ねたら、そんなわけあるか、と呆れられた。そりゃそうだよな。

「や、や、でもさ。依頼の貼られる酒場とかは?しょっちゅう行くだろ?」

「ああいうとこは繁盛店で、ちょっと高いんだよ。依頼書見に行くのと、仲介頼んでビンドに一杯おごるだけ。飲むのはもっと安い酒場だ」

 以前ニルレイでトールを連れて行った時に禿熊亭を選んだのは、女性もいたし、少なくともあそこなら質が担保されていると判断したからだ。飛び込みで入る酒場は妙な事態に巻き込まれたり、そもそも料理や酒がやばいこともあるから、俺なりに気を遣った結果なんだがな。

「ええ〜……いやでもオレはシバラの言ったことを信じる。なんたってエルフだしな」

「その辺はおまえの勝手だが……ま、俺もそこまで気にしちゃいねえよ。不便だなと思うだけだ」

 そんな話をしている間に、街道の行手で木立がまばらになり、畑や納屋に囲まれた小さな集落が見えてきた。ここは時間もまだ早いし通りすぎるだけだ。

「まあ、まずは普通の暮らしに戻らねえとな。一介の冒険者にゃ、ここんところの出来事はちと刺激がありすぎたよ」

「冒険者でもそんなこと思うの?」

「あのなあ、前から気になってたけど、おまえの冒険者観はちょっと偏見入ってるからな。ギンニール姉妹みたいに勇名が轟くようなのは、かなりの少数派なんだ」

 そうなの?とトールは首を傾げている。

「そうだよ。依頼の多くは、ごくありふれた怪物を退治するようなものだ。俺の実力に相応しいのも、結局はそのあたりだったしな。人を雇うと妙な羽目になるし……」

「でも今は、オレがいる」

 だろ?と笑う顔はなんの屈託もない。

 ほんとこいつ……。

 トールから視線を外して前を向き、鼻からため息ひとつ。

「あんまりはじめっから、大物狙いではいかねえからな?よくある感じの依頼で経験積んで、それからなら……」

 言い募ろうとしたところで、集落の中心と思しき井戸端で、幾人かが集まって何やら深刻な顔で話し合っているのが目につく。

「なんか困りごとかな?」

 トールは俺に言ったつもりだったようだが、それで村人がこちらに気づいた。

「おい、あれもしかして」

「あっ、あのう、もしやその格好、あんたら旅の冒険者さんか?」

 中でも年嵩の男が声をかけてきた。

「そうだ。といっても通りがかっただけだが……何かあったのか?」

 話を聞くと、近くの洞穴に怪物が住み着いたらしい。そこまではよくある話。

「被害は?」

「飼ってた鶏と、豚が夜の間にさらわれちまった。血のあとや残骸が残ってないから、連れて行って食ったんじゃねえかと」

「それに、近ごろ森に罠を仕掛けても、兎なんかが全然獲れねえ」

「夜になると、柵の周囲を何かがうろつくような物音もするし……」

「洞穴の周りに妙な足跡があったんだ。いやあ、中なんか、おっかなくてとても見に行けやしねえよ」

 ひとつ尋ねただけで、農民たちが口々に言い始めた。

「作物はどうだ?食われたり取られたりは」

「ああ、そういやあ、冬の間雪に埋めておいた甘藍はどうしたっけ?」

「無事だよ、納屋の食料も。鍵なんて上等なもんがあるわけじゃねえが、そこら辺は手をつけられてない」

 ……だんだん嫌な予感がしてくる。

「なあ、やっぱりアレじゃねえか、親父の時代に一度出たことあっただろう、確か、えーと腐頭狼とかいったか」

 この流れ、もう絶対あれじゃないか。

「一応聞くが、そこらの草っ原や干し草が腐るようなことは?」

 一同は揃って首を傾げ、それはないと言った。

「え、なにジャスもう何かわかったの」

 俺が頭を抱えたのを見て、トールがこちらを覗き込む。

「ああ、わかりすぎるくらいにな。おまえもよく知ってるヤツだよ」

 もちろんピンとこないトールではない。

「あー!」

「さて、お察し通りのヤツだとして……どうする?この依頼には、治癒の使い手が必要だ」

 問えば、ニヤリと笑い返された。

「もっちろん、やるに決まってるだろ!ジャスがかじられても、今度はオレがいるからな」

「決まりだ、その怪物退治、俺たちが引き受けるぞ」

 まずは偵察!と、トールは沸き立つ村人たちの指す方へと走り出した。その足取りは軽く、揺るぎない。

「やれやれ、行っちまった。若いってのはいいね」

「何言ってるのさ。君だって僕らから見れば、幼子みたいなものだよ」

 トールについて村人が俺から離れたためか、アスリが小声で言う。

 エルフだったときに数千年、剣としても数千年。そりゃ、アスリに比べたら人族なんか皆そうだ。

「個人の寿命の話だけじゃないよ。人族の歴史を見たって、まだまだ若い。発展も衰退も、全て君たち自身で選ぶことができる」

「発展ねえ」

「可能性の話さ……エルフは停滞している。だから、死人を生き返らせようなんて話になる」

 ムニン。

 結局、奴の事情も、エルフの中にいるはずの死者蘇生の方法を求める一派についても、何もかもわからずじまいだ。俺が生きて旅を続ければ、いつかまた関わりになることもあり得るのだろうか。

「さしあたり、君個人には未来と自由がある。まずはそれを謳歌することだ。それこそが、君の魂の回復につながるからね」

 ま、それも今から向かう血袋鼠退治でくたばらなければの話だな。

「ジャス、ジャース!何してんの、早く行こうぜ!」

 集落の囲いのところで、トールが俺を呼んだ。

「今行くよ!」


 俺たちが歩き続ける限り、道は続く。

 いざ、冒険の旅へ。

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Bad luck + Jump off 居孫 鳥 @tori_1812

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