世界の終わりと始まり

「は……?」

 全く予想の範疇になかった言葉だった。いや、彼女が訪ねてきてからこちら、予想外の事しか起こらないけれど。

「いやいやいや。だって、クロノスはずっと未来の技術なんだろ。どうして過去の俺がアクセスできるっていうんだよ」

「お話しました通り、クロノスはあらゆる時間にアクセスできます。現在、過去未来、あなたの生きる全ての時間に繋がることも可能なのです。あなたが無意識でクロノスと繋がった可能性もありますし、何らかの事態が起きて、クロノスの方から、あなたにアクセスしたということもあり得るのです」

「そんな無茶なシステムあるかよ……」

 未来のテクノロジーなんて、もはや何でもありなのかもしれない。だけど、鈴広には何の心当たりも。

「心当たりは、ありませんか?」

 冷静なcB-95の声とともに、冷たい風が吹き抜けた。

 建物が崩壊し、海に沈んだ辺り一帯は、遮蔽物が少ない。興奮と混乱で感じていなかった風の冷たさに身震いした。


「あなた、小説を書いていますよね」

 どこで知ったのか、cB-95は淡々と問うてくる。

 書いている。

 世界の終りの物語を。

 物語を生み出す衝動をぶつけるアイディアを探して。物語をつづるための世界を探して。世界を構築するかけらを求めて、滅ぶ世界の景色を見せてくれる、創作の神様を幾度となく自分の頭の中に呼んだ。

「嘘だろ」

 今まで書いてきた、終末世界の景色が、本当は創作の神様が降りてきてくれたんじゃなくて。自分の頭が生み出したんじゃなくて。


 それはただ、クロノスが見せる実際の未来の光景だったなんて。


 鈴広が生きているうちに追いついてしまうとも思えない、遠い未来の話だとしても。小説を読んでくれたネットユーザーや、公募の審査員が人生の最後まで見ることのない景色を書きだしていたのだとしても。

 それでも、自分の豊かな想像力が作り出したと思っていた未来の光景が、ディスクの録画再生を見て、そのまま書き写していたのと同じことだったなんて。


「じゃあ俺、これから何を書けばいいの」

 文章力が追いついていなくても、思い描いた景色を表現する力が未熟でも、書きたいと思った。

 小説を書くことで手に入れられる希望の未来が、全くもって見えてこなくても。学生という身分の終わりと、アパートの更新料を心配するような日々でも。

 湧き出る想像の泉さえ枯れなければ、誰にも奪うことのできない想像力だけでもあれば、書きたいという情熱が消えることはないと、そう思っていたのに。 

 自分が創造したと思った終末世界は、自分が作り出したものじゃなかった。

 その事実は、鈴広にとって世界が滅びるよりも重大だった。

 

 「お前、なんで俺の前に現れたんだよ」

 なんで、そんな残酷な事実を突きつけにきたんだ。知りたくなかった、そんなこと。

 もう『神待ち』をするなと――無意識にでも、クロノスにアクセスするな――と警告に来たのか。

 そんなことは、もうする気も起きない。

 自分が才能だと思っていたものが。天啓だと思っていたものが。全ては自分のものではなかった。


「わたしは」

 cB-95が、鈴広に向き直る。

「あなたの書く小説が、好きなので」

 聞き間違いかと思った。あまりにも風が鳴くので。

「……読んだこと、あるのか」

「クロノスを利用すれば、あらゆる書物を読めますので」

「ああ、一個人の趣味で書いたようなやつもなのか。日記とかまで見られるのか。やだな」

「そういうプライベートなものも、読めますけれど」

 cB-95は、淡く笑んだ。

「書店や図書館に収蔵されているものも、読みましたよ」

 鈴広は大きく目を見開いた。

「あなたの作品、面白かったです」

 だって、そんな。

 そんな未来。

 たった今、心の折れた、自分が。そんな。

「……ありがとう」

 かすれた声で、鈴広は呟いた。


「小説を読んで、あなたに会ってみたいと思いました。私的な理由ですから、クロニストとしては問題かもしれませんが、あなたがクロノスにアクセスした形跡があったのも、事実だったので」

 クロノス適正利用調査の、一環です。そうcB-95は言った。

「あなたがクロノスにアクセス出来た原因は、私が原因である可能性もあります。私とあなたに、因果ができてしまったので。だとしたら、申し訳ありません」

 頭を下げたcB-95の首筋に、例の記号。

「その首の数字って、何?名乗ってたけど」

「私のシリアルナンバーです。cBは個体識別で、95年型、という意味ですね」

 95年型。

 それが2095年なのか2195年なのか、3095年なのか、はたまたもっと違う意味なのかは解らなかったし、鈴広には聞く勇気はなかったけれど。いつかはやって来る、ヒューマノイドのいる世界に思いを馳せた。


「こんなところまで、お連れして申し訳ありませんでした。帰還いたしましょう」

 足元を覗き込むと、目視できる深さに大量の瓦礫のようなものが海に沈んでいるのが見えた。文字の刻まれたようにも見える石、形をなくしつつあるが、十字架のようなものも見える。

 恐らく、もともと墓地だったのだろう。魂たちは、遠い昔からこの地に眠っているのか、それとも、はるか未来の魂も共に海に眠っているのだろうか。とっくに、人類の絶えたこの星から離れて行ってしまったかもしれない。

 

 いい物語が書けそうだな、と思った。

 見たものを、そのまま書くだけかもしれないけれど。

 それでもまた書きたいと、誰が見ても同じ世界なのだとしても、自分だけの世界を書きたいなと、そう思ってcB-95の手をとった。

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