クロノスとクロニスト
「大丈夫ですか?ご気分、悪くありませんか」
突然襲った奇妙な感覚に、鈴広は思わず目を閉じていた。自分を気遣う声に、顔を上げながら瞬きをする。
「なんだ、ここ」
目の前の光景に愕然とする。
眼前には海が広がっていた。陸地らしきものはなく、自分たちは海面にわずかに頭を出した岩礁の上に立っている。
見渡す海は限りなく、どこまでも続いている。陸地はない。
だけど、見えるのは海だけじゃなかった。
海面からは、ところどころ巨大で奇妙な物体が突き出していた。
「ここはかつて、海洋国として名を馳せた地でした。この時代では、ご覧のように海に沈んでいます」
前方、まるで巨大な岩山のように海から顔を出しているのは、石造りの塔だった。それももはや真っすぐ建っていなくて、大きく斜めに傾いている。
斜めの塔の傍で波に打たれているのは、大きな屋根のような、崩れかけの三角錐。隣のただの岩の塊にしか見えない何かも、かつては人工物だったのかもしれない。自分たちが立っている足場も。
「私は、空間移転だけでなく、時空跳躍システムも組み込んで設計されたヒューマノイドです。つまり、私自身が人型タイムマシンのようなものだと言えば、概ね伝わりますでしょうか」
強い風に煽られたロングスカートを捌きながら、cB-95が言った。
聞こえるのは風の音と波の音くらいで、生き物の声だとか、生活音のようなものは聞こえてこない。空は広く青く、太陽も自分の知っているものと変わらないように見えた。
「あなたの部屋に侵入した方法を、言葉だけでは信じていただけないと思いましたので。少々強引ですが実践をいたしました。空間移転よりも、時空跳躍の方がより説得力があると思って、あなたを」
cB-95は、そこでいったん言葉を切った。
「人類文明の崩壊した後の時代へ、お連れいたしました」
「……意味わからん」
ようやくそれだけ言って、その場にしゃがみ込んだ。狭い足場に、波が打ち付ける。
ここはアパートではない。非現実なことが起こっている。目の前に広がる光景を受け入れるには、情報が足りなかった。
「結局、あんたは何者なんだ」
「ヒューマノイドであることを、まだ信用していただけませんか」
「どっからどう見ても、人間にしか見えないけど」
ヒューマノイドロボットを自称する女性。
風に流れる、額にかかった黒髪も。光の加減で、暗くも明るくも見える茶の瞳も。触れればちゃんと柔らかそうな肌も。どうみても、人そのもの。
「
cB-95が、自身の首筋の文字周辺に触れた瞬間。
肌、口、目など体を形作る全てから。色も、陰影も消え去って、人型の透明膜が浮かんだ。服は透けないままだが、透明膜の下は複雑に組まれた機械装置だった。人の形をしたそれは、間違いなくcB-95を形作る、彼女の中身。
「……すごい」
それがどんなテクノロジーを積んでいるのかはわからないけれど、素直に感嘆してしまった。
「信じていただけましたか?」
そう言って、cB-95は元の人間らしい外見に戻った。
「信じてなかったわけじゃないけど……。だって、普通の人間には瞬間移動なんかできないし」
目の前で次々と不可思議な現象を起こされたからには、普通の人間ではないとは信じ始めていたけど。
「でも、それが魔法なんだか超能力なんだかはわからなかったし。ずいぶんと多機能なロボットだな」
「先ほども申し上げました通り、私はアーカイブ『クロノス』に所属いたします、クロニストです。クロニストはその使命から、時空跳躍システムを搭載しているのです」
揃えた指先を胸元に当てて、cB-95は言う。
「その、クロノスとかクロニストってなんなんだ」
「クロノスは、この世界の全ての時間、一分、一秒……一瞬までの全てを収集、記録することを目的とした
「時間のアーカイブ?」
「クロノスは、あなたから見て遠い未来に作られたアーカイブ施設であり、システムの名です。書物など物理的な記録媒体を保管するには場所に限りがあるし、データも無限ではありません。ですので、クロノスは時間そのものをアーカイブとして利用する術を生み出したのです」
今までほとんど表情を変えなかったcB-95は、少しだけ誇らしげな表情で続けた。
「クロノスは、この世界の過去未来、あらゆる時間に接触することができるのです。記録を収集したい時間にアクセスして、読み取る技術を編み出しました」
鈴広は、小説を書くような気分で想像を巡らせる。
「うーん。例えば、江戸時代のとある一日のことを知りたい、と思ったら、その時間を覗き見ることができるというような技術?」
どんな技術を使っているかは、聞いたところでまず理解できないだろう。きっと鈴広が生きる時代の技術とは大きくかけ離れていてるに違いない。いや、現代で技術と呼ばれている物の延長線上にあるかもわからない。
「概ね、その解釈で良いでしょう。『現在』ではない時間に起きた出来事を調査したい、見てみたい、という場合に、クロノスにアクセスすれば、過去も未来も視覚化することが可能なのです」
「視覚化、ねえ。歴史映画でも見るように実際の出来事が見えるってことかな」
「あなたの時代の技術で例えるなら、それが一番近いと思われますね」
cB-95はそう言ったが、もしかしたら、スクリーンやモニターのような道具すらいらない可能性もある。頭の中に直接映像が浮かぶとか、そういう時代。
もしそうなら、『神待ち』の時のような感じかもしれない。アイディアが降りてきた時、鈴広の頭の中には、それは鮮やかに終末世界の映像が広がるから。
「そして、別口のアプローチとして生み出されたのが。私達、時空跳躍を可能とするヒューマノイドです。私たちはクロノスに奉仕する存在として、クロニストと名付けられています」
「実地要員ってところか」
鈴広もこうやって、文明の滅びた後の世界に連れてこられてしまったのだから。もしかしたら、未来はクロニストのようなヒューマノイドを伴って、タイムトラベルをするような時代なのかもしれない。
「ところで」
まだ少し混乱する頭で、鈴広はcB-95に尋ねた。
「なんで俺のところに来たの?」
歴史上の転換期でもない、重要人物になりそうもない自分のところに。
なぜ、未来の世界からヒューマノイドがやって来たのだろう。
「あなたは、クロノスにアクセスした痕跡があります。文山鈴広さん」
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