待ち人と来訪者

 ほぼ砂糖水のコーヒーを飲み干して、鈴広はベッドに横たわった。カフェインを摂取したから、眠ってしまう心配はない、と思う。

 小説のアイディアに詰まると、鈴広はよく『神待ち』をする。

 構想を練るとき、パソコンやノートにとりあえず書きつけたり、好きな本や映画を見たり、人それぞれ色々な方法があると思う。鈴広もそういう手段を取らなくはないけれど、一番うまくいくのが『神待ち』だった。

 創作の神様が自分に降りてくるのを待つのだ。つまるところ、インスピレーションやアイディアが湧いてくるのをただ待つだけの状態なのだけれど、そのやり方でうまくいっているアーティストも世の中に多数いるようだから、馬鹿にしたものではないと思っている。

 実際、このやり方で鈴広はいくつかの作品を書き上げていた。

 

 それは滅びゆく世界のお話。

 人類が滅亡した後の、壊れゆく文明。消えゆく人間の営みの痕跡。降りてきた創作の神は、そういう世界の終わりの光景ばかりを鈴広に見せるから、完成させた作品の多くは終末モノだ。

 良いものが書けている、とは、思う。

 ネットで公開すればプレビュー数も多く評価ポイントも高いし、小説の公募に何作品か投稿してみたら、一次選考を通った作品だってあった。

 ネット公開でのコメントでも、公募の選評でも、技術面の不足を指摘されることは多々ある。けれど終末世界の描写は『光景が目に浮かぶよう』だとか、『想像すると恐ろしい』『儚くて美しい』だとか評されるから、自分が選ぶジャンルとしてはきっと間違えていないのだろう。


 目を閉じて、眼鏡は外してしまう。なるべくリラックスして、無理にお話を練ろうとせず、なるべく頭を空にして創作の神が降りてくるのを待つ。うまくいく時もあれば、全然降りてこないこともあるけれど、執筆が思うようにはかどらない時は、『神待ち』を突破口にするのが一番効いた。

 無に近づいたのか、それとも眠気が襲ってきてしまったのか判然としない、呆けた状態で横たわることしばし。

  

――ピンポン。


 唐突にチャイム音が響いた。キッチンの入り口付近を見やる。壁に取り付けたインターホンの親機が点滅していた。

(誰だよ)

 宅配は頼んでいないし、来客の予定はない。そもそもアパートは狭いので、ほとんど人を招かない。入居して三年以上が経ったからか、勧誘は減った。

 室内にいることを悟られないように、静かに親機に近づいてモニターを確認する。


 映っていたのは、一人の女性だった。

 自然な色の黒髪を綺麗にまとめて、黒いジャケットを着ている。年の頃は自分と同じくらいに見えるので、就活生か新社会人と言った風情にも見えた。

(誰でもリクルートスーツを着て見えるのは、重症かもしれないな)

 キャンパスは就活に精を出す生徒があちらこちらにいるから。そしてその大半が、すでに下の学年の子たちに変わり始めている。完全に新卒採用の時期を逃した鈴広は、後ろめたく思う一方で、もはや諦めに近い感情を抱いていた。

(なんか、スーツとはちょっと違う気もするし……)

 改めてモニターの女性を見る。スタンドネックのブラウスを着ていて、就活生だとしたらちょっと攻めすぎだろう。

 だとしたら、やはり何かの勧誘か、もしやご近所さんか……。

『私は、アーカイブ『クロノス』に所属いたします、クロニストのcB-95と申します』

 スピーカーを通した言葉は、一瞬では飲み込めない奇妙な内容だった。

『ここを開けてくださいませんか、文山鈴広さん』

 事務的な口調で名を呼ばれる。相手は自分を知っている。勧誘にやって来る者は、大体こちらの個人情報を少しは掴んでいるから、驚くべきことではない。

 けれど、女性が告げた所属と身分があまりにも聞きなれなくて、鈴広は身構える。

 居留守を決め込もう。

 そう決めて、相手の出方を待っていると。

『応答していただけない場合、大変失礼ですが強制入室いたします。よろしいですか?』

 あくまでも冷静に物騒なことを言われて、鈴広は勢いよく玄関ドアの方を見た。サムターン錠とチェーンロックをしっかりかけたスチールドアは、音一つ立てないまま。

 息をひそめたまま、モニターを再び確認すれば。

(いない)

 外の風景が広がるだけで、そこには誰もいなかった。

 一瞬安堵したものの、まさかと思いながら慌ててベランダを確認する。そこもやはり、物干し竿と裏の家が見えるだけで静かなものだ。

 詰めていた息をようやく吐きだす。


「突然失礼します。文山鈴広さんですね」

 背後からの声に、鈴広は文字通り飛び上がった。

 振り向くと、モニターに映っていた女性がそこにいた。

 パソコンデスクの隣、壁を背にして直立している。音もなく、忍び入るような侵入口は、どこにもない。

「な」

 なんで、と言葉にならなかった。思考はそこまで追いつかない。目の前にいるのは自分よりずっと非力そうな、小柄な女性なのに、得体のしれない恐怖に動くことさえできなかった。

「勝手に部屋にあがったこと、まずはお詫びいたします。大変失礼いたしました」

 女性は頭を深々と下げた。襟元からのぞく首筋に、何か数字のようなものが見える。入れ墨だろうか。

「誰だ、あんた。どうやって入った。警察呼ぶぞ」

 ようやくそれだけ言って、スマートフォンを探す。さっきまで転がっていたベッドを確認して、デスクの上に置きっぱなしだったことを思い出して激しく後悔した。

「私は、アーカイブ『クロノス』に所属いたします、クロニストのcB-95と申します」

 表情一つ変えず、女性は先ほどと全く同じに名乗った。

 首筋の文字が目に入った。

 cB-95。

 女性が名乗った単語と一緒。そう、名前かもわからない、ただの単語だ。 

「どうやって入ったかという問いに対してですが。私は空間移転システム搭載のヒューマノイドロボットだからです」

「……は?」

 いよいよ現実離れした返答に、鈴広の頭はいっそ冷静になった。

「なんだそれ、ふざけてんのか。人んちに不法侵入した挙句、どういう冗談だ、それ」

「冗談ではありません」

 冗談のつもりがないならば、それはそれで厄介だ。

 ヒューマノイドロボットは、SF作品によく登場する人型のロボットのこと。

 自分を人間ではない何かだと思い込んだ、空想と現実の区別ができなくなった可哀想な人だろうか。対処に非常に困る感じの。

「やはり、信じていただけないですか。この時代では、ヒューマノイドは一般的ではありませんから」

 小説なんて書いていると、空想と現実の世界を頭の中で行き来することなんてしょっちゅうだ。だけど、日常生活に支障をきたしたり、人様に迷惑をかけたことなど、さすがにない。

「強引なやり方になりますが、少し私に任せていただけますか」

 そう言って、cB-95とやらは鈴広の方に近づいてきた。他にも、クロニストとか名乗っていたような。

 クロニストって、なんだ?

「失礼いたします」

 丁寧な仕草で、彼女は鈴広の両手を取った。一瞬身構えるが、小柄な体に相応の小さな手を、振り払うことも出来ない。

「少々お付き合いください」

 周囲で小さく風が起こる。

 何事かと確認する間もなく、体が浮遊感に包まれた。

 見慣れたアパートの風景が、霞んでいく。

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