天啓のクロノス
いいの すけこ
糖分とカフェイン
『私は、アーカイブ『クロノス』に所属いたします、クロニストのcB-95と申します。ここを開けてくださいませんか、
モニター越しに投げかけられる静かな要求。居留守を決め込むかと口を閉ざし、身動きすら止めた鈴広の耳には、エアコンの稼働音だけが響いた。
「ああー……」
回らない頭と、キーボードの上で動きを止めた指に限界を感じて、鈴広は唸った。パソコンチェアの大きな背もたれが軋む。スマートフォンを確認して、特に変わったこともないのですぐに画面を暗転した。このままネットに接続でもしようものなら、時間とやる気は一気に奪われていくだろう。大人しくスマートフォンをデスクに置く。時間は有限だ。
(喉、乾いた)
デスクの上のマグカップはとうに空っぽで、乾いたコーヒーで染まっていた。のそのそ歩いてキッチンに移動する。小さな1Kアパートでは大した距離もないのだけど。
大学進学に伴って入居した安アパートは、二年更新。二回目の更新が近づいているけれど、この先どうするかは決まっていない。ここから通える距離に、もし就職でも決まったら住み続けても良いけれど、卒業後のことは今もってわからない。親の資金援助があるのは学生のうちまで。アパートの更新料は、高い。
「やべ」
考え事をしながらインスタントコーヒーをすくっていたら、シンクの中に盛大にこぼした。床にこぼさなくてよかったと、そのまま水で流す。電気ケトルで沸かした湯をマグカップに注ぐと、インスタントでも十分に豊かな香りが鼻をくすぐった。開け口を輪ゴムで雑にくくった、大袋に入ったままの砂糖をスプーンですくって、1杯、2杯、3杯……4杯。
「あっま」
自分で作ったそれに口をつけて、鈴広は顔をしかめた。
脳を強制的に覚醒させるためのカフェインと糖分だから、無茶苦茶な飲み物で良いのだ。エナジードリンクは体に合わなかった。糖分過多のコーヒーも十分体に悪いだろうけれど。
デスクに戻って、なるべくノートパソコンやスマートフォンから離してマグカップを置いた。文章ファイルのバックアップはとってあるから作品の安全は確保されているのだが、作品を生み出すのに必要なツールそのものが使えなくなっては困る。
鈴広は生み出す。物語を。
幼いころから頭の中にひらめいては消え、またひらめく光景。それは風景だったり、人物だったり、日常生活の中にあるものと変わらなかたっり、漫画みたいに面白おかしい光景だったりした。
好きだった本や、アニメや漫画をお手本に、浮かび来る光景の中で想像遊びをしていたのだけれど、空想はいつしか鈴広の中で意味のあるものになった。というより、意味を持たせるようになった。
彼が戦うのは使命があるからだし、彼女が恋に落ちるのは運命だから。
それはやはり、世の中に溢れている数多の作品の影響を受けているのだろうけれど、頭の中で物語を紡いでいくのが鈴広の楽しみであり、夢となった。
小説を書いて生きていけたらいい。
いつしか強く思うようになった願望は、文字通り生活の傍らで楽しく書き続けられればそれでいいという思いである、とは、思うのだけど。
より多くの人に読まれれば。より多くの人の目に留まれば。より、多くの人が『価値』をつけてくれれば。
書いて食べていければ。
書くことが仕事になればいい、と、思う気持ちも、やっぱりごまかしようもなく。
そうして頭を抱えながら、鈴広は今日もノートパソコンに向かう。
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