とある明智の迷宮入り事件

八重垣ケイシ

とある明智の迷宮入り事件


「なんだ、これは?」


 現場を見た明智は目にしたものを信じられないと、思わず声を出す。

 古びた歴史を感じさせる寺、そこは何者かに荒らされたように無惨な姿を見せている。

 その寺の中、奥の部屋で一人の男が死んでいる。


「……誰がどう見ても、自殺じゃ無いよな」


 その男は全身を刃物で切り刻まれ、畳は赤黒く血に染まる。何者かと争った、または襲われたとしか見えない死体の有り様。

 虚ろに開かれた死体の目、その形相は恨みと怒りか、恐ろしい顔で固まっている。

 両手両足を開き、血溜まりの畳の上に大の字に倒れた男の死体がひとつ。


「なんであんたが、こんなところで死んでいるんだ?」


 明智はこの男のことを知っている。この寺に来たのもこの男に呼ばれたからだ。

 しかし、急ぎ寺に来てみれば、呼びつけた男は既に死んでいる。何者かに殺された無惨な屍となって。


「明智さん」


 明智が呼ばれて振り向くと、共にこの寺に来た男が渋面で立っている。明智は男に訪ねる。


「斎藤さん。何か解ったことは?」


「事件が起きたのは、昨夜のことではないか? という程度です。また、この寺は近くの町から遠く、目撃者もいるのかどうか」


「陸の孤島、というわけか」


 連絡手段も無く、目撃者もいない。事件の全貌を暴くには、現場を調べて犯人を探す他無い。しかし、問題となるのはこの人物だ。


「彼が殺された、と聞いたら仇を討とうという者が大勢いそうだ」


「そうなるでしょうね。これはすぐにでも真犯人を見つけねば」


「しかし、これは困ったことになったぞ……」


「明智さん、何が困ると?」


「犯人が見つからない殺人事件というのは、第一発見者が疑われるものだ」


「第一発見者、となると明智さんと自分ですか?」


「そうだ。これで仇討ちだ、と頭に血が登る人達に、私達が真犯人では無いと説明して、それが聞き入れてもらえるかどうか……」


「いえ、ですが明智さんにも自分にも動機が無いじゃないですか」


「動機が無い、というのは私達が知ってることで、他人から見ると動機がありそう、というだけで問題なんだよ」


「それでは、どうします? 死体を隠して事件を隠蔽しますか?」


「どうしようか? 証拠になりそうなものを探して、さっさとここを離れてしらを切る、というのも」


「難しいですね。自分と明智さんが今日、ここに来たのを知る人が何人かいますから」


「もしかして、嵌められたのか? 真犯人が私に罪を擦りつけるために、ここに呼び出して私を第一発見者にしたのか?」


「それは明智さんに冤罪をかける、ということですか?」


「私に罪を被せて得をする。もしくは罪を擦りつけるのに都合がいい、ということなのか? くそ、誰の仕業だ?」


「それは、疑わしいのが多すぎますね」


「この人を恨んでる人も多いから、動機で絞り込むのも難しいぞ。私達が犯人では無い、という証拠を見つけないと私達が犯人にされる」


「それはまずいですね。急いで証拠になるものを探さないと」


「だが、犯人では無い証明というのは難しい……」


 話しながら明智は部屋の中を見回す。古びた寺は畳は血で染まり、障子は破れ、まるで山賊にでも襲われたような有り様だ。これを見れば被害者が何者かに襲われたのはすぐに解る。しかし、個人を特定するものは見つからない。

 血のついた足跡などもあるが、数が多すぎて犯人が複数だとは解る。しかし、どこの誰かを特定するには調べる分量が多すぎる。

 死体の刃物傷から調べるにも、何人がかりでやったのか、ざくざくに斬られた死体はどこからどう斬られたのかも、検死するのが大変そうだ。


「証拠が多すぎて、都合の良い証拠を探すのに時間がかかりそうだ。ダイイングメッセージでもあれば……」


「明智さん、そんな都合がいいものがあるのは刑事ドラマの中だけですよ」


「体はこども、頭脳は大人の名探偵でもいてくれるといいのに」


「明智さんも名探偵と同じ名字ですから、何かこう、名探偵っぽくパパっと解決できないですか?」


「斎藤さん、無茶を言わないでくれ。私に探偵役とか」


「これまで明智さんが幾つも事件を解決してきたじゃないですか」


「たまたまその事件現場に立ち会うことになっただけで、私は探偵じゃ無くて、ん……?」


 パチパチと何かが燃えるような音がする。黒い煙が室内に漂ってくる。


「火をつけられた? 斎藤さん!」


「犯人はまだ近くに? 探して来ます!」


「気をつけて!」


 二人は寺から慌てて飛び出す。寺に火をつけたであろう人物を探すが見つからない。

 あらかじめ油でも撒いてあったのか、火の回りは異常に速く、みるみるうちに寺は紅蓮の炎に包まれていく。


「明智さん! 誰も見つかりません!」


「時限発火装置か? これでは……」


 これではまるで、明智と斎藤が証拠隠滅の為に火を着けた、とでも言われるような状況に。明智はその言葉を飲み込む。


「これも真犯人の策略か? 私を犯人に仕立て上げようと全て仕組まれていたのか?」


「ど、どうしましょう? 明智さん?」


「すぐに帰ろう。そして何か対策を考えないと。このまま犯人にされては身の破滅だ」


 明智と斎藤は急ぎ寺から離れていく。赤く燃える寺がガラガラと音を立てて崩れていく。

 寺から離れる明智は、一度だけ寺に振り返る。寺で死んでいた彼の、生前の笑顔を思い出す。明智の口が、今は亡き男の名前を口にする。


「信長様……。必ずこの光秀が、あんたを殺した犯人を見つけてみせます……」


 振り切るように燃える寺から目を離し、明智光秀は走り出す。


 殺された男の名は、織田信長。

 殺人事件の起きた寺の名は本能寺。


 この本能寺織田信長殺人事件の真相は、現代に至る今も、未だに解明されてはいない。


 その為に『日本史の謎』『戦国最大のミステリー』とも呼ばれ、歴史研究家以外にも多くの人々が多種多様な説を発表している。


 そしてまた、名武将と呼ばれた明智光秀が、唯一解決できなかった迷宮入り事件でもある。

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