第一章 始めまして。
第一章 初めまして。
彼女と出会ったのは、今から三年ほど前の事だった。
その当時、浩一郎はまだ日本にいた。大学の研究室で、毎日機械油にまみれる生活を送っていたのだった。
女性とはまるで縁がなかった。大学内に女性は確かにいたが、浩一郎の興味はやはりロボットの開発にあったのだ。
時間、労力、情熱。その全てをロボットに費やしていた。
周囲からは天才発明家。変わり者。童貞などと畏敬の念や揶揄を込めた言葉を浴びせられていたが、それすらも浩一郎は何ら意に介さなかった。
そして、その日も彼はいつも通り、自らのアイデアを形にするべく奮闘していた。
「ああ、浩一郎君。やはりここにいたね」
「……先生? 何かご用ですか?」
浩一郎が一人でいるところへ、学生時代の恩師が現れた。
中年太りで髪の毛は薄く、どこか人の好さそうな笑みを浮かべた恩師をさすがの浩一郎も無視はできなかった。
「ああ、君にちょっとした話があるんだ」
「ええと、それはすぐじゃないとだめですか?」
「まあなるべく早い方がいいだろうね」
「僕、今ちょっと忙しくて」
「君がいつも忙しいのは承知している。だが、これは君にとっても素晴らしい話だと思うよ?」「はあ……」
そんな事を言われたところで、興味の湧くはずもなかった。
しかし浩一郎は恩師の言葉だという事で、一旦その時の作業を中断し、彼の話を聞くために彼の仕事部屋へと向かった。
実験室を出て、エレベーターに向かってすぐの場所にある恩師の部屋。
扉を開けて中に入ると、相変わらずすごい量の書物に圧倒される。
ロボット工学に関する本はもちろん、あらゆる分野の書籍が所狭しと並べられていた。
「……相変わらず惚れ惚れしますね」
浩一郎は心から感嘆の吐息を漏らした。恩師はほっほっと笑う。
「まあね。しかしこれらもすぐに古くなる。技術は日進月歩だからね」
「ええ。その通りですね」
「いつかは君の本も、ここに加えたいものだがね」
「僕はそういった事には興味がなくて……」
「わかっているよ。それより、本題に入ろうか」
先生は椅子に腰かけ、浩一郎を見据えた。
「……本題」
浩一郎は息を飲んだ。果たして、何を言われるのだろう。想像もつかない。
確かに彼は大学内で変わり者として有名だった。変人や変態と罵る者もいる。
しかしそれはあくまで研究開発に関する分野だけだ。
犯罪行為や不貞行為などとは縁遠い生活を送ってきた浩一郎には、問題とするべきものがあるようには到底思えなかったのだ。
そんな自分が誰かのひんしゅくを買ったという覚えはもちろんない。
何か怒られるような事をしてしまったのだろうか、と内心でびくびくしてしまう。
「実はあちらの国家から君を誘いたいという旨の文書が届いてね」
「あちらの国?」
「ああ。それが半年ほど前の事だ」
「半年前? しかし僕はそんな話は一言も聞いてませんが……?」
「だろうと思ったよ」
恩師は困ったようにまゆを寄せ、笑う。これはこの人が本当に困った生徒に向けてよくする表情だ。
つまり、浩一郎は今だに恩師にとって困った生徒だという事だ。嬉しくもあり、だけど少し申し訳ないように思う。
「まあそれはいい。君としては日本には未練はないだろうからね」
「え、ええ……僕は今の活動を続けられるのならどこへでも行きます」
「そう言ってくれると思っていたよ」
恩師はニッと笑って、背もたれに体を預ける。
ぎしりと音が鳴った。
「……入って来たまえ」
彼が誰かを呼ぶ。浩一郎でない事は明らかだ。
なら、一体誰を?
浩一郎は恩師の言葉と同時に振り返った。
誰が入って来たのかを知るために。
「彼女は米国の国家研究機関に所属する研究員だ」
そこに立っていたのは、女性だった。かっと一気に浩一郎の体温が上昇する。
ロボットやメカのボディ以外で初めて奇麗だと思った。ましてや人間の女性など、論外もいいところだった。
けれど、それは偽らざる本音だ。本心だ。
浩一郎はサッと顔を逸らした。恩師を見やる。
「ええと……彼女は?」
「私はカーラ。あなたを迎えの来たの」
とても流暢な日本語を話す人だ。
浩一郎は素直にそう思い、再び彼女を見た。そしてその力強く、自信に満ちた眼差しに視線を逸らす。
「ははは! いやすまないね、カーラ君。彼はとってもシャイなんだ」
「ええ、大丈夫ですわ、先生。それに彼の事はあなたや他の人からもよく聞いていましたから」
「あの……先生、彼女は?」
「今自己紹介があっただろう? 彼女はカーラ君だ」
「いえ、そういう事ではなく……」
浩一郎が聞きたかったのは、そうった事ではなかった。
金髪碧眼。力強く、自信に満ちた瞳。すらりとした体躯。
これまでの人生で全く女性と接する事のなかった浩一郎には、眩し過ぎるくらいの人物だ。
「ふふ、だめよ、コウイチロウ。もっと堂々としていなくては」
「……なぜ?」
「なぜならあなたは来月から、私の下で働くのだから」
「……は?」
意味がわからなかった。いや、意味はわかる。
「……なぜ僕があなたの下に着くと思うのですか?」
「思うわ。簡単な事よ」
カーラはニッと笑う。その笑顔はそれまでの大人びいた、年相応の笑い方ではなく、自慢話をする時の子供のような、無邪気さに溢れていた。
「あなたが技術者であり、研究者だからよ」
「…………」
カーラが言わんとしている事は、人間関係に疎い浩一郎にもわかった。
仮に彼がどんな偏屈な人減であったとしても、自身の内から湧き出るものから逃れる事はできないと、そう言いたいのだろう。
浩一郎はカーラから目を逸らし、恩師へと視線を送る。
「彼女は何を……?」
「まあ話は最後まで聞きたまえよ」
恩師は困ったとでも言いたげに笑顔を浮かべる。
浩一郎は何だか納得がいかなかったが、それでも恩師の言葉を受け、カーラの次の発言に注意を向けた。
「さて、話を戻しましょう」
先ほどまでの活発な少女のような笑顔を押し込め、カーラは口を開いた。
「私たちは現在、ある事をしているの」
何だかわかる? とカーラは浩一郎に目配せする。
しかしそんなものはこの場で初めて話を聞く浩一郎にわかるはずもない。
数秒と経たない内に浩一郎は降参とばかりに首を振った。
「……先生からはあなたもそれを目指しているのだと聞いていたのだけれど?」
「はあ……」
そんな事を言われたところで、心あ当たりなんてなかった。
浩一郎は眉間に皺を寄せ、恩師を振り返る。恩師は肩を竦め、小さくため息を吐いた。
「……人型アンドロイド。それが彼女達が作りたいものだ」
「人型……アンドロイド?」
更に混乱させられる。
浩一郎は一瞬……いやもっと長い間、言葉を失った。
人型アンドロイド。人間が機械という力を得てからこれまで、ずっと追い求めていたものの一つ。
アイザック・アシモフなどが空想した想像上の産物。
「そんなものが本当に実現可能だと? それを僕が作っているのだと?」
「違うの?」
カーラの問いに、浩一郎は首を振る。
「違う。僕はそんなものを作っているわけでは……」
否定しようとして、浩一郎は言葉を飲んだ。
果たして、今の自分の発言は妥当なものだろうか?
本当に人型アンドロイドを作ろうとしていないと言えるのだろうか?
自分の中に浮かんだ疑問が、彼の心をざわつかせる。
「……わからない。僕は何を作ろうとしていたんだ?」
「わからないって……あなたそれでも科学者なの?」
カーラからの叱責の言葉に、けれど浩一郎は反論できなかった。
否定するのは簡単だ。けれど、それではこれまでの浩一郎は一体何をして来たと言うのだろうか? 明確な答えが示せないままでは、力強くは言えなかった。
助け船を出してくれたのは、恩師だった。
「まあまあ。それくらいにしておてくれたまえ。彼は時折こういう事があるんだ」
「それはどいういう……?」
カーラが眉間に皺を寄せ、不思議そうに首を傾げる。
そんな彼女に対して、恩師は温和な笑みを浮かべたまま続ける。
「そういう男なのだと思ってくれれば簡単なのだが。……とはいえ、それでは納得できんだろうね」
恩師は窓の外に視線をやった。つられて、カーラもそちらへと目を向ける。
「これはなかなかに厄介な男でね。情熱と才能はあり余るほどあるが、いかんせんのめり込み過ぎて周囲が見えなくなる事がある」
「はあ……それは技術者として大変頼もしい限りですわ」
「それだけならいざ知らず、自分が最初に立てた目標すら失念してしまうんだ」
「何ですって?」
カーラの眉間の皺が更に深くなる。
猜疑心に満ちた表情だった。本当にそんな事が有り得るのかと疑っている顔だ。
彼女は視線を浩一郎に移す。浩一郎はカーラからの視線に耐えられず、顔を背けた。
自分が何を作ろうとしているのかわからないなんて、科学者として、そして技術者として致命的な欠陥だ。
「ですが、それが何だというのです? そんなもの、周囲のサポートがあれば何とでも……」
「まあ、普通はそう考えるだろうね」
恩師は困ったというようにぽりぽりと頬を掻いた。
本当に困ったのは彼ではなく、浩一郎だけれど。
「まあ何と言ったらいいか……彼は人付き合いが極端に苦手でね」
その一言で全てを察する事ができないほど、カーラは子供ではなかった。
いや、むしろ彼女は大人だと断言してしまってもいいかも知れない。
「なるほど……それで合点がいきましたわ」
浩一郎に視線を注いだまま、カーラは頷いた。
浩一郎は相変わらず、顔を背けたままだった。
「でも、だからといってあなたを諦めるなんて惜しい事はしないわ」
「惜しい……? 僕がいなくても、あなたの研究室には優秀な人間がたくさんいるでしょう?」
「ええ、もちろん。私の部下は優秀よ。何なら、私以上にね」
カーラは得意げに胸を張る。浩一郎は一瞬、カーラのふくよかな胸部に視線を吸い寄せられてしまったが、すぐに恩師へと移した。
「だったら、僕は必要ないはずだ。僕はあなた達とは違う。優秀な人間なんかじゃ……」
「いいえ、あなたは私のチームにとって必要な存在よ。他の誰よりも」
「……なぜそれほど僕を?」
浩一郎は視線を上げた。
その先には、カーラのオレンジにも似た明るい瞳があった。
真っ直ぐに、力強く浩一郎を見詰めている。
「あなたは私にとって、かけがえのない相棒になるわ」
ニッと子供のようなカーラの笑顔に、浩一郎はあとずさりをした。
思えば、この時からだろう。既に浩一郎はカーラの魅力にからめとられていた。
小悪魔のようだと言えばその通りかもしれない。幼い子供のようだと言われればその通りかもしれない。
どちらとも言えないような魅力を、彼女は持っていた。
ただ、一つだけ確かな事があった。それは。
それは――カーラという女性が、紛れもなく科学者であり、探究者であったという事だ。
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