第二章 初対面
第二章 初対面
小鳥が戯れている。ぼうっとその様子を眺めていると、自分も同じように遊びたいと思ってしまう。
窓の外に飛び出して、二匹と同じように翼をはためかせ、大空を舞いたい。
しかし、少女はすぐに首を振った。病室へと視線を戻す。
人は空を飛ぶ事はできない。少なくとも自力では。
味気ないその空間は、少女に対してそんな現実を思い出させてくれる。
「……はあ、退屈」
少女は溜息を吐いて、ばふっとベッドに寝転んだ。
柔らかなまくらに頭を沈めて、もう一度溜息。
退屈……何度もその言葉が口を吐く。
当然だ。ここには少女以外には誰もいないのだから。
看護しも、お医者さんも、友達も。
そして父親でさえ、今は何だか訳のわからない事で忙しいらしい。
遊び相手どころか、話し相手すらいない。退屈は訳だ。
「何か楽しい事ないかなぁ……」
ぼんやりとそんな事を考えて、ないなと即否定する。
無論、外出の許可が出れば外に出る事はできるだろう。外には退屈を忘れるほどの楽しい事がたくさんある。
けれど、今の少女には望むべくもない事だった。
外出の許可など、下りるはずがないとわかっているからだ。
「……いつになったら治るんだろ?」
少女は独り言ちる。一本の管に繋がれた、自分の腕を見下ろした。
この管が少女に取り付けられたのは、およそ一年前だ。
突如として倒れた少女。その日はちょうど、母親の葬儀から一ヶ月ほどが経った頃だった。
お母さん……と誰知らず声を漏らす。けれど、当然母親はこの世にはいない。
この世にいない、亡くなった人とは二度と会えない。一年の歳月を経て、少女はそれを嫌と言うほど学んでいた。
おそらくはそのストレスが原因だろうと医師は言う。それ以外に原因が考えられないと。
突如として舞い降りた、悪夢の原因が。
「……別に全然元気なんだけどなぁ」
少女は再び窓の外を見やり、呟いた。
もう小鳥の姿はなかった。どこか遠くへ飛んで行ってしまったのだろうか?
ずっと仲よしだといいなぁ。少女はそんな事を考え、微笑んだ。
そうしていると、がらりと病室の扉が開いた音がする。バッと慌てて振り返った。
そこにいたのは、今の父親だった。
「こういちろう!」
「おはよう、サラ。具合はどうだい?」
少女――サラと呼ばれた――はふふんと胸を張り、得意げな吐息を漏らす。
「別にわたし、どこも悪くないよ。もう退院したって平気だよ!」
「ははは、そうは言っても、お医者さんから止められてるしなぁ」
浩一郎は困ったように笑った。彼を困らせるのは本意ではないので、サラは二度同じ事は言わなかった。
かわりに、質問をする。
「結構久しぶりだね。今まで何をしていたの?」
「ああ、すまなかったね。寂しかったかい?」
「……ちょびっとだけね」
嘘だった。本当はかなり寂しかった。
それというのも、母親――カーラが亡くなってしまってからはずっと、浩一郎が家族だったのだから。
だけれど、それも彼を困らせるだけだとサラは既に学んでいた。
だから、なんて事のない嘘を吐く。それは浩一郎の事を考えた、少女なりの優しさだった。
そしてその事に気付けないほど、浩一郎も愚かではない。娘にそんな気遣いを差せてしまっている事を反省しなくてはならないと思っている。
「久しぶり……今日はちょっとしたプレゼントを持って来たんだ」
「プレゼント? なぁに?」
サラは小首を傾げ、浩一郎に問う。
何だろう、と思った。何でもいい、と思った。
浩一郎がこうして病室を訪ねてきてくれる。ただそれだけの事が、サラには比べようもないくらい嬉しい事だから。
でも、せっかくプレゼントだと言うのだし、ここは素直に受け取っておこう。
サラはそんな内心を気付かれないように、にこにこと笑っていた。
「じゃーん!」
浩一郎は自前の効果音とともに、右へとずれる。と、彼の背後から何かが姿を現した。
何か? とサラは自分が感じた違和感に疑問を持った。
それは確かに人影のようだったからだ。けれども人だとは思えず、眉間に皺を寄せる。
「ええと……なぁに?」
同じ事をもう一度訊ねた。浩一郎は得意満面になって胸を張る。
「これは僕が作ったアンドロイドだ」
「あんど……ろいど?」
などと言われたところで、サラは浩一郎と違いその手の知識には疎い。
疑問は深まっただけだった。
「まあ、簡単に言えばロボットだね」
「ロボット。小説で読んだよ」
ピンときたらしく、サラの目が輝いた。
「すごい! これ、本当に一人で作ったの?」
「もちろんだとも。誰にも言わなかったし、これからも言う必要もないと思っているよ」
「本当に……でも」
更なる賛辞を口にしようとして、サラの表情が曇った。
何かを思い出したのだろうか。浩一郎は僅かに表情を硬くする。
「これ……ママに似てるね」
「ああ、まあ……ね」
やはりそこに気が付いたか。浩一郎は苦笑いを浮かべるのが精一杯だった。
そう、これはサラの母親に似ている。途中まで気が付かなかった。
もはや修正不能な段階に至るまで、浩一郎はその造形の意味するところに気付けなかったのだ。いや……気付こうとしなかっただけなのかもしれない。
一年前に亡くなった恋人。婚約までして、その誓いを果たす事なくこの世を去った恋人の姿形に似ていた事に。
「ママ……どうして」
みるみる内に、サラの表情が曇っていく。
残酷な事をしてしまった。その事を自覚はしている。でも……。
「わからない。どうして僕はこんなものを作ってしまったのか。でもね」
浩一郎は努めて、無理矢理に笑顔を作った。
娘を悲しませないために、精一杯の虚勢を張る。
「僕は後悔なんてしていないよ。だってまるで、ママがここにいるかのようじゃないか」
浩一郎が自ら生み出した機械を指し示し、胸を張る。
きっと、その心中をこの幼い少女は察していたのだろう。サラも事さらに明るい声を出す。
「この人はママじゃないよ。だって全然違うもん」
「ん……そうだね。これはママじゃなかった」
浩一郎とサラは笑い合った。それでその話は終わり。
次へと切り替わる。
「それでこの人の名前は?」
「名前? あーと……ぷろとたい……」
「あーあー、そういうのいいから」
サラはシッシ、と手を振る。まるで何か変なものを扱うかのようだ。
「そうだなぁ」
「ええと……サラ?」
名前に対して何やら意見があるらしい。浩一郎は苦笑いを浮かべる。
とはいえ、この個体の正式名称は一つだし、何より他の名前なんて思い付かない。
浩一郎は自分のネーミングセンスの無さを自覚していた。だからこそ、ここはあえてサラに決めさせてもいいだろうと思った次第だ。
最初から、娘のために作った個体なのだから。
「えーとねぇ……だったら〝ひまわり〟ってどう?」
「ひまわり? ええとそれは花の名前だよね?」
「うん。こういちろうの故郷のお花の名前」
サラはにこにこと笑顔のまま、そう言う。
そういえば、前にそんな話をしたような、しなかったような。
しかしあれは何の脈絡もない、ただの雑談だったはずだ。写真や植物図鑑を見せながら利かせたわけでもない。
あんなさらっと流されるような会話を覚えているとは、さすがと言うべきか。
浩一郎はこんな部分で恋人の血筋を感じて、嬉しいような悲しいような、複雑な気分になる。
「サラはわかってる。ママはずっと遠いところに行っちゃったんだって」
「サラ……」
「だから、サラはもう大丈夫だから」
「……そっか」
浩一郎はくまのできた目許を擦り、流れ落ちそうになった涙を拭う。
――カーラ。君の娘は強い子だ。僕なんかより、ずっと。
「だったら、これはもう破棄しようか。その方が……」
「それはだめだよ!」
浩一郎が〝ひまわり〟に手を伸ばそうとすると、サラはバッとベッドから起き上がり、浩一郎の前に立ちはだかった。
「サラ……?」
浩一郎は唖然として、サラを見詰めた。
何だかんだと言っても、まだ年端のいかない子供だ。感情と理性が噛み合わない事があるだろう。
いや、それは子供に限った話ではないか、と自嘲する。
「どうしたんだ、サラ? どうして?」
「だめだよ、せっかく作ったのに。もったいないよ!」
「……んん?」
浩一郎は思わず固まってしまった。
彼としては、口では大丈夫と言いつつも感情の面では子供らしい反応を見せたのだろうと思っていた。
しかし、勿体ないとは?
「ええと……しかしこれがあると……」
「使い道はいくらでもあるよ。とりあえず動かしてみて」
「……わかったけど」
サラに促されるまま、浩一郎はひまわりの頭へと手を触れる。
起動の条件は事前に登録した人間が彼女に触れる事。そして現在、登録しているのは浩一郎とサラの二人だけだ。
だから、ここでサラが触れれば普通の起動するのだけれど。
――まあそれはいいか。
浩一郎は一歩後ずさった。数秒の後、サラの背後で静かにひまわりが起動する。
その様子を、振り返ったサラは興味深そうに見詰めていた。
「すごーい! 本当に動いた」
「当たり前だろ。何せ僕が作ったんだから」
胸を張るでもなく、浩一郎が当然野ようにそう言った。
それに心の底から、サラは同意する。
「うん。こういちろうはすごいお医者さんだからね!」
「いや……僕は医者ではないんだけれど」
普段は白衣を着ている事が多いせいか、サラの中で浩一郎=医師の図式ができあがっているらしい。
そして世間的には医師は白衣を着るものだ。なら、サラの勘違いもあながち的外れではないのだろう。
何より、まだほんの子供だ。口やかましく訂正せずとも、その内にわかってくるだろう。
浩一郎はそれ以上、白衣に付いては触れなかった。かわりに、ひまわりを指し示す。
「何かお願いをしてごらん」
「ええと……あなたは何ができるの?」
ひまわりの閉じられていた瞳がゆっくりと開かれる。
「……私は」
機会とは思えない、なめらかな声だった。もっと無機質な声質を想像していただけに、サラは驚きに目を剥いてしまう。
「私は、あなたの身の回りのお世話をします」
「サラの? でも、サラは一人で何でもできるよ?」
お洗濯だって、おトイレだって、お着換えだって。
だってもうお姉さんだもん。とサラは胸を張る。けれども、それらには一切動じる事なく、ひまわりは反論する。
「しかし、あなたはまだ子供です。できない事も当然あるでしょう」
「こど……!」
ガンッとショックを受けるサラだった。
「ちょっとこういちろう! ひまわりっていじわるだよ!」
「まあまあ、落ち着いて。まだ起動したばかりだから」
「ひまわり? ……とは私の事ですか?」
ひまわりは表情を変えず、小首を傾げる。
「あ、ああ……この子が名付けたんだ」
「そう。こういちろうのふるさとに咲く花の名前だって」
サラは見た事ないけど、とサラが自嘲気味に付け加える。
ひまわりはしばらく黙ったまま、ジッとしていた。
まるで、何かを噛み締めているかのようだった。
「ひまわり……なるほど、承知しました」
ひまわりはこくんと頷くと、例の変化のない表情のまま深々と頭を下げる。
「それでは、サラ。本日から宜しくお願いします」
「……そんなにかしこまらなくてもいいのに。でも……うん、よろしくね!」
サラはひまわりの頭に手を置いた。そしてそのまま、二度三度と撫で付ける。
付き従う従者とその主……というよりは、飼い主と犬のようだな、と浩一郎は思った。
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