Witching Hour Horror Stories

紙屋仁

ドア

 大学に通うため一人暮らしを始めたばかり、慣れない土地を帰宅途中、ふと通りかかった古ぼけた集合住宅。所謂、団地だ。

 

 老朽化が進んでおり、壁はところどころひび割れ全体的に黒ずんだ色味をしている。それに加え異様なほど巨大であった。


 全部で3,4棟ぐらい並んでいるのだが、1棟につき優に100世帯以上は居住出来るのではないだろうかと想像に難くない。


 空には今にも降り出しそうに、水分を湛えた灰色の分厚い雲が停滞している。その天候も相まって、佇まいは、いかにも化け物団地といった様相を呈している。


 その中の一棟に、不可解な部分があることに気が付いた。最上階あたり側面に明らかに不必要なドアが付いているのだ。


 バルコニーに出るためのドアでも無い、壁面に足場など無い、ドアノブの付いていて、ちゃんと開閉しそうなドアが同壁面にポツンと一つだけ付いているのだ。


 僕は心当たりがあった。こういうの何て言うんだっけ…、そうだ! "トマソン" 昔、テレビか何かで見た記憶がある。


 前衛芸術家、赤瀬川原平が発見した芸術的概念、語源は、大した活躍はしなかったが四番打者に据え続けられたプロ野球選手のゲーリー・トマソンに由来するらしい。そのシュールな光景に魅力を感じる愛好家も多いそうだ。


 まあ、早い話が「建築的無用の長物」と言ったところだろう。


 不気味な団地の不気味なドア。僕は居心地の悪さを感じて、早くこの場から立ち去りたいと歩調を速めた。

 

 しかし、目はそのドアに釘付けになっていた。今にもドアが開いて誰かがそこから飛び降りるんじゃないかという妄想が頭を支配する。

 

 それを期待する気持ち半分と、このまま何も起こらないでくれという気持ち半分が綯交ぜになり、息は上がり、動悸は早くなり、ジトっと嫌な汗を掻き始めた。

 

 その内、ドアは視界から外れていき、その日はそのまま帰路についた。




 それから数か月が経った頃か。その団地の横を通るたびにドアに目をやるのが通例になっていた僕は、いつものように視線をそこへやる。


 唖然とした。


 いつものようにそこにあるドア。ただ一つ、いつもとは違うことがある。


 ドアが僅かに開いているのである。ドアの向こう側、開いた先には真っ暗な空間を垣間見る事が出来た。


 体は硬直し、そこから動くことが出来ない。ドアはさらに大きく開き何かが姿を現すのか、それとも、また閉まりきっていつも通りに戻るのか。


 その間、ドアを凝視し続けていたが、次第に心に堆積していく恐怖心に耐え切れなくなり、堰を切ったようにその場を離れるために走り出した。




 自宅に戻ってから、今見てきたものを反芻する。


 確かに開いていた。そして、その奥にはちゃんと空間が存在する。ドアとして機能しているのだ。


 普通に住人が住んでいるのだろうか?管理会社はあんな危険な状態で放置するだろうか?


 暫く考え抜いた末、僕が出した結論は、普段は立ち入り禁止にされているあの部屋に何らかの方法で侵入した輩がイタズラでドアを開閉していたのではないか、というものだった。


 その結論に辿り着いて、心に滞っていた不安感はスッと消えていった。


 なんてことはない。確かにあんな奇妙な建築、好奇心に駆られて近づいてみたくなるのもわかる。一部マニアが引き寄せられるのも無理はない。


 必要以上に恐れていた自分が馬鹿馬鹿しくなったのと安堵で、フッっと笑いが漏れた。


 すごく腑に落ちる推察であったが、翌日、それは脆くも打ち砕かれた。




 通学途中、例の団地の横を通る。そして、ドアに目をやる。

 

 僕は凍り付いた。


 ドアは開き、女が立っている。

 

 距離があるので、はっきりとは分からないが、やたら薄着の若い女のようだ。


 開き切ったドア、真っ暗な空間を背に女が直立不動で居るのだ。一歩前に進めばそのまま転落してしまう位置に。

 

 女はこちらを見た。僕が固まったまま、そちらを見上げている事に気が付いたようだ。次の瞬間


「助けてえええええええええええ」


 女の絶叫が団地一帯に反響する。

 

 …助けて?

 

 混乱してピクリとも動けない僕を尻目に、女はそのままドアの外に飛び出した。もちろん、ドアの外には足場など無いのでそのまま落下していく、叫び声を上げながら。


 最後に、鈍い嫌な音があたりに響いた。

 

 未だに状況を飲み込めず放心状態のまま僕は、ドアを見つめていた。

 

 すると、ドアの奥の闇から何者かの腕が伸びた。そのままドアノブを掴み、勢いよくバンッとドアを閉めた。


 恐怖で頭がおかしくなりそうな中、必死で正気を保とうとする。

 

 これは、殺人だ。

 

 ガクガクと震える手を必死に抑え、ポケットからスマートフォンを取り出す。そして、警察に通報した。




 僕は重要参考人として事情聴取を受けることになった。刑事には、確かにこの目で見た事をそのまま伝えたのだが、怪訝な顔をされ、何度も同じ質問を浴びせてくる。


「いい加減にして下さい。何回、同じ話をすればいいんですか?」


「いやあね、さっきからあなたがおっしゃってるドアなんですが…、開くはずないんですよ」


「は?…どういう事ですか?僕は確かに開いているのを見たんだ」


「確かにドアは付いているんですが。管理会社の方が言うには設計ミスで付いたまま放置されたもので、ドアノブは回らないし、ドアの向こうはただの壁、あなたが言うような部屋なんて無いんですよ」


「そんなはずは、確かに、確かに見たんです!」


 女は確かに例のドアの真下で死んでいた。しかし、警察は争った形跡などが無いことから屋上から飛び降りて自殺したと断定、そして、それを目撃した僕が錯乱状態に陥り頭の中で作り出した妄想を語ったということで処理された。


 僕は自分が精神異常者のように言われるのを到底、納得できなかった…。




 それからというのも、僕は証拠を押さえようと、女があのドアから突き落とされた時間帯を狙って、ドアを見張った。そして、見張りを開始してから数日、ついにその時が訪れる。


「…ハ、ハハッ…やっぱり!僕は正しかったんだ!」


 ゆっくりと、ドアが開いていく…。


「証拠を残してやる」


 スマートフォンのカメラをドアに向けようと手を上げかけた瞬間、背後から男の声がした。


「おい、何してんだ」


 振り向く間もなく鈍器で殴られたような衝撃が頭に走り、崩れるように倒れ意識を失った。


 気が付けば、真っ暗な部屋にいた。するとガチャっと音がして、隙間から外の光が目に飛び込む、眩しさを感じながら意識がはっきりしていく。


 錆びた金属が軋むキイィィという音と共に一本の光の線が長方形に変化していく。あのドアだ。

 

 男に腕を掴まれ、無理矢理ドアの外側へ上半身を押し出される。さっきの一撃で全身の力が入らない、もうされるがままだ。


 この男は誰なのか?この部屋は何なのか?そんな疑問よりも、これから殺されるという恐怖が頭を支配して、もう何も考えられない。

 

 そのドアから見えるのは、コンクリートの硬い地面、絶望の光景だ…。




 刑事は男の死体の前で手を合わせる。


「鑑識によれば、屋上の手すりに被害者の履いていた靴と一致する痕跡が残っていたようです」


「連鎖的な自殺、自殺を目撃したことによる、ショック反応と言ったところか…。若いのにかわいそうに、無理にでも精神病院に入院させるべきだったな」


「あと一つ、気になる事が…、被害者が話していた例の開かないはずのドアなんですが…開いていたそうです。もちろん開いた先は、ただの壁で部屋なんて存在しないんですが」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Witching Hour Horror Stories 紙屋仁 @papershop

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ