(短編)平成試供品浪漫譚

乙訓書蔵 Otokuni Kakuzoh

平成試供品浪漫譚


 よぉ、ぼうず。お前さんもお目をとめなすったな。


 なんだよ、泣き顔がニヤニヤに変わりやがって。泣いたカラスがもう笑ってらぁ。……ま、俺を見る客はみんな驚いた顔かニヤニヤ笑うかどっちかだからな。


 当ててやろうか? 母ちゃんに叱られてしょげてんだろ?


 おいおい。図星だからって乱暴だな。手荒に扱っちゃならねぇよ。俺はどちゃくそデリケートな千五百六十円の高級玩具様だぜ? 首がもげ易いんだよ。


 分かった分かった。揶揄って悪かった。そうだよな。好きなヤツと喧嘩すると辛いもんな。


 おい。だから離せって。


 あ? 見てるだけなんて殺生だ? こんなに目立つモンお触り無しなんざ我慢ならないって?


 そりゃここに来れば誰だって俺に注目するしかあるめいよ。ワケ分からん店構えよりも俺の方が強烈だからな。今じゃ名物サンプルだ。サンプルって試供品とか見本品とかって意味だろ? 俺も昔はしょっちゅう世話になってたぜ。馬油クリームだとかフェイスピーリングだとかおなごが顔に塗るモンはよく分からん。しかし饅頭や煎餅や食い物のサンプルは大歓迎だぜ。


 おっと話がそれちまったな。


 こうも斬新になったのには訳がある。あれは数ヶ月前の事だ。





 春めいて花粉と共に生暖かい南風が入り口から吹いて来る春の日だった。南風は屏風のような立て札を揺さぶる。地方幹線道路の脇におわす馬鹿デカい土産物屋の入り口よぉ。『歓迎 何々観光バス様』『歓迎 何々トラベランド様』『光臨歓迎 何々公司』と埃を被った黒い立て札がゲートに詰め込まれた競走馬宜しくダダダダダーっと並んでやがる。そんな立て札の真下のゆるキャラガシャポン、ジュースの販売機、恋みくじ……一見商売に抜け目なさそうな店の出入り口を生暖かく撫でて行く。入り口の錆の花が咲き乱れるパイプ椅子にはいつもどおりおやじが座していた。ガムテープで補修された座面には必ずナショナルラヂオと競馬新聞が放ってあんだ。それがこの鄙びた土産物屋のおやじの特等席よ。日中はぷかぷか煙草をふかしつつおやじは馬の当たりを付けてやがる。耳の悪いじじいだ。ラジオはいつも大音量でうるさいったらありゃしない。……品数とは対照的に商売する気がちぃっとも感じられねぇな。耳にボールペンを挟んだおやじは新聞に眼を通しつつ馬鹿デカい駐車場に車が入らないか見張ってる。車が入ればおやじの仕事の始まりだ。


 ンなヤニ臭い雑多な入り口を通り過ぎるとそら眼にとまるのは蛍光グリーンの馬のおもちゃ……それが俺だ。


 馬にしても玩具にしてもあり得ない色……それが注目の理由の一つだ。俺はパドック(とおやじは呼んでいる)の中央にそそり立つポールに首を紐で繋がれている。駐車場に車が停まるのを合図におやじが俺の尾をくいと上げる。ラジカセ犬宜しくポールの周りをひんひんぱからぱからと俺は走る訳だ。


 ……それなら未だマシだ。それなら未だマシなんだ。奇抜な体色の俺を見た客の視線が哀れみや嘲笑に変わるのはもう一つの理由だ。ウィリアム・テル序曲が俺の腹から流れ、中に仕込んだ電飾がプラスチック製の薄い腹からこれでもかとびかびか光りやがんだ。


 これには流石の俺も参る。客は腹を抱えてゲラゲラと笑うか若しくは蔑んだ視線を投げて鼻を鳴らして通りすがる。……客が車(特に観光バス)から降りた直後、おやじは瞬時に客の歩速を計算し絶妙なタイミングでスイッチを入れやがる。


 不憫な俺をおやじは労ってくれる訳じゃあない。こき使えるだけこき使いやがる。ガキに涎まみれの手で掴まれ投げ飛ばされようが、学生のボンボンに鼻で笑われ指で小突かれようが、塗装が剥げて眼が無くなろうが、片耳が欠けようが尻にマジックで穴を描かれようがおやじは何も気にしない。


 そりゃそうだ。俺は型落ちの見本品だからな。


 パドックの後ろに積まれているのはピンク(これまたあり得ねぇ色だが)や葦毛の新品達。親子連れやふざけ合う学生に手に取られるのはあいつらだ。俺はしがない道化者よ。


 そんな俺にも相棒は居る。隣のコーナーに並ぶ『ご当地ゆるキャラ』とやらの経年劣化で薄汚れたエテ公よ。飛び出た眼玉がご愛嬌なんだが、安いレジン製なのか老猿さながら白眼が黄ばみ、血管のように亀裂が走ってやがる。裏社会を牛耳る紋々背負った会長さながら老獪でヤバい雰囲気を醸し出している。そんな様に反してヤツの本名は『まねっこぬいぐるみ エテちゃん』。このエテ公、芸がない。わっふわっふと体を上下させるが瞬時に短い音を録音し反復するだけ。つまりエテ公の癖にオウム返ししか出来ねぇんだ。


 エテ公の隣で俺が走り回ってるモンだからエテ公は『ウィリアム・テル序曲』を歌う訳だ。しかしオウム返ししか出来ねぇカラッポ脳味噌故に短いフレーズしか歌えねぇんだよな。そんでも偶に『ヒヒン』と嘶き返したりだの、二曲目の『走れコータロー』を拙く歌ったりだの意地らしいってんだ。まったく涙がちょちょ切れるぜ。


 夕方五時を廻れば閉店だ。


 山の夜は早い。客は四キロ先の温泉街へ泊まりに急ぐので客足はぱったり途絶える。俺達の電源を落としてからレジを締め温泉饅頭の什器を引っ込め、ソフトクリームディスペンサーを清掃し従業員は裏口から帰宅する。最後の一人が出るのを見届けてからおやじは競馬新聞片手に店の照明を落とす。


 待ちに待った俺らの時間だ。


 四つ脚で佇んでいた俺は腰を下ろすと胡座を掻き、エテは菓子コーナーから撤去し忘れた試食のコンテナを盗って来る。……ま、時折二人して明かり窓から侵入したバックヤードから温泉饅頭やらウドンの切れ端をちょろまかして来たりするんだけどな。


 おやじが隠していた地酒のミニカップ片手に一日の労を労うってのが乙なモンよ。


「あーあ。早い所年末年始になんねぇかな。三箇日は仕舞いが早いしよ、元日にゃのんべんだらり出来るしよ。働きたくねぇ」


 俺のぼやきが静まり返った店内に響く。魂が宿った玩具なんてこき使われて年季の入った俺達しか居ない。なんだかんだで商売しているから年季が入ったモンはサンプルしか居ねぇ。おやじが帰った後の店内はサンプルの俺達の極楽だ。


「なぁエテよ」


 ウドンの切れ端を咥えつつエテを見遣る。カラッポ脳味噌故に返事すら出来ないエテはわっふわっふと体を上下させる。別に昼間の仕事をしてる訳じゃない。これがヤツの肯定だ。


 ハッと鳴らした鼻息がだだっ広い店内に響く。


「こうやって呑んでてもよ、独り言じゃあなぁ……。無言でもよ、パピー姐が居た時はお前ももうちっと感情表現が豊かだったのになぁ」


 エテは動かない。首を斜向かいの棚に遣る。……パピー姐が居た棚だ。


「パピー姐が居なくなってから今日で七日か……」


 パピー姐はエテの想い人……いや想い玩具だった。首都にあるデカいテーマパークから来たコピーライトで保護されまくった子犬のぬいぐるみだ。二十年前、おやじの孫娘が土産に買って来たのをおやじがわざわざ店頭に飾ったらしい。孫馬鹿ってヤツだ。それからずーっと姐さんは飾られていたので中の綿も湿気り、生地も大分薄汚れ白犬がグレーになっちまったらしい。しかし気が遠くなる年月を飾られて過ごし、魂が宿った。


 姉御肌で随分と気のいいぬいぐるみだった。俺や不細工なエテにまで世話を焼いてくれた。酒好きでカップ酒のくすね方とかパクってもバレないツマミの種類とか惜しまず教えてくれたもんだ。ンな気っ風がよく面倒見が良い姐さんにご面相の酷いエテは惚れて居たんだ。シャイなエテは言葉こそ紡げなかったが姐さんには特別優しくしていた。姐さんが座る所にハンカチを敷いてやったり、バックヤードで打ち捨てられていた車用のドギツイ芳香剤を香水代わりに貢いだり……。ま、俺は止めろって言ったんだがな。芳香剤には姐さんドン引きしてたぜ。そんなエテを憎からず想っていたのだろう。姐さんもエテと肩を並べられる夜をとても楽しみにしていた。俺も結構気を遣ったんだぜ? 時折二人きりになれるように無駄に駐車場に散歩に出掛けたっけなぁ。犬猿の仲と言う言葉があるけれどもあいつらは美女と野獣だぜ、まったく。


 俺がツンと痛んだ鼻を啜るとエテは黄ばんだ瞳でパピー姐さんが佇んでいた棚を見詰める。


 ……あのおやじの事だ。薄汚れているくらいならパピー姐さんを棚に置き続けていただろう。商品が無くなればサンプルは捨てるが溺愛している孫娘から貰った物は取っておく性分だもんな。しかしパピー姐さんは不慮の事故で処分されちまった。赤ん坊が吐き出したミルクを全身に浴びた姐さんはゴミ箱行きになった。背中を叩いてゲップをさせ忘れたんだろう。疲労し切った表情を浮かべる母親にもましてや乳飲み子にも責任はない。誰も悪くない。……不幸な事故だったんだ。


 電源も入っていないのに、俺が吐いた言の葉でもないのにエテは呟く。


「……良い夢を見られた分、良い人生だった」


 スン、と洟を啜る音が窓から月光が降り注ぐ店内に響く。俺は踵を返すとバックヤードに向かった。





 翌日、開店と同時におやじは作業を始めた。抱えていた大きな段ボール箱を下ろすと中身を取り出し、パピー姐さんが居た棚に並べていく。


 ああ。本当に姐さんは逝っちまったんだな……。


 今更ながらズキンと胸が痛む。


 切なくなる胸を静めつつもおやじの手許を俺とエテは眺める。おやじはドギツいピンクの箱を並べていた。


 新入りか。まじまじと眺めるとおやじは段ボール箱から緩衝材に包まれた筒型の物体を取り出した。白い緩衝材を乱暴に剥がすと女の人形が顔を覗かせる。この店を訪れる客とは違う青い瞳、夏空を偲ばす長い髪、ウドンのように白い肌、ツンと澄まし天を見上げる豊かな胸……。ムチムチプリンのボンキュッボンだぜ? 視線を奪われない訳が無い。俺が荒い鼻息を吐いていると女の人形が気付いた。横目で見遣り悪戯っぽく微笑む。えくぼが咲いた口許の愛らしいこと。掃き溜めに鶴が舞い降りたようだ。


 つまり俺は当て付けられちまった訳だ。


 サンプルとして棚に置かれた女人形をぼぉっと眺める。


 梱包材をバックヤードに運ぶおやじの背を見送ったエテが俺の顔を覗く。我に返った俺は視線を逸らし、素数を数える。しかし五を数えた所で頭が働かなくなった。


 そうさ。ああ、そうさ。完全にイかれちまった。メタメタにポーってヤツだ。





 閉店した後、バックヤードを漁った後にやついたエテに背を小突かれて俺は女の人形に会いに棚を昇った。店内で製造している温泉饅頭の皮を土産に携えて。女の人形の唇から声を聴きたい。俺にだけ微笑みを向けて欲しい。ンな小っ恥ずかしい想いが平気で胸に渦巻く。……エテもこんな切ねぇ気持ちだったんだな。


 棚に上がると女の人形は脚を組んで座し、悲しげに窓の月を眺めていた。高足蟹みてぇに長い脚や白い顔に月明かりが降り注ぐ。いつか併設食堂のテレビで見たギリシアとやらの大理石彫像に似ていた。アルテミスだっけか? 狩りと月の女神ってやつだ。とにもかくにも少しでも触れたら天罰が当たりそうに綺麗だった。しかし少しでもいいから触れてみたい。触れたら死んでもいい。……柄にもなくンな事を想った。


 女の人形は棚をよじ登って来た俺達に気付いた。


「誰? 鬱陶しい」険のある眼付きで俺達を睨む。


「随分なご挨拶だな。昼間、目が合ったじゃねぇか」俺は肩をすくめる。背後に隠れたエテが狼狽えるのを気配で感じた。


「目が合っただけよ」女の人形は筋が通った鼻を鳴らした。月明かりに照らされた青い髪が揺れる。するとクチナシの花の香りが漂った。


「……笑いかけてくれたじゃねぇか」


「嘲笑と諦観よ。百貨店の棚でおちびや綺麗なママ達に憧れの眼で見られていたあたしが……こんな昭和臭い場末の土産物屋に来るなんて……」女の人形は眉を顰めた。


「百貨店か。一流の店にいたんだな。でもここも住めば都だぜ?」


「嫌よ! こんなイモい所! あたしはブランドバッグを提げたママ達やドレスを着せられたおちびにちやほやされたいの! それにボーイフレンドのジョンだって本当はいるの! ……離ればなれになっちゃったけど。あんた達なんかお呼びじゃないわ!」


 肩をすくめた俺とエテは互いを見遣った。長年住んだ城を馬鹿にされて面白くはない。しかし女の人形の言い分も分かる。自分の城を追い出され愛しい者と引き裂かれ見ず知らずのこんな店に並べられたら誰だって戸惑うだろう。


 今夜はそっとしておくべきだ。


「……気が向いたら喰ってくれよ。挨拶代わりだ」饅頭の皮を置いた俺はエテを促して踵を返す。


 棚を降りようとすると背後で鼻を鳴らす音がした。





「あんだべ? こいはぁ」


 翌朝、素っ頓狂な声に驚かされた。俺は眼の端でおやじの背を見る。おやじは女の人形が置いてある棚の前に屈み、何かを摘まんでいた。


「こーだらもん、誰が捨てよっとぉ」


 よろめき立ち上がったおやじが摘まんでいたのは饅頭の皮だった。胸が締め付けられる。……きっとあれから女の人形が捨てたのだろう。好意を拒まれた。


「はぁあ。ばっぐやーどにコソ泥かや? 勘弁してけろい」


 おやじはヤニ臭い溜め息を吐くと腰を擦りつつバックヤードへと姿を消した。


 翌日からバックヤードには入れなくなった。鍵が掛かった扉の代わりに使っていた……いつも開いていた明かり窓は閉められていた。俺達は釘一本とベニヤ板で塞がれた壁の穴を見つけた。ベニヤ板をずらすと容易に穴を通り、バックヤードへ侵入する。床に転がっていた赤褐色の団子を見つけたエテが喜々として口に放り込もうとしていたのでヤツの後頭部を前脚でどついた。


「毒だ。猫いらずってヤツだ。……ま、俺達玩具が喰った所で何ともねぇが喜んで喰うのも阿呆らしいじゃねぇか」


 掌の中の猫いらずを見詰めたエテは鼻を鳴らすと放った。俺は長い溜め息を吐く。


「……そりゃ普通はネズ公の仕業だと想うわな。ずっとそう信じてくれると有り難ぇが人間も阿呆じゃねぇからな。目立つ事をし過ぎると自分達の首を絞める事になる。今晩は大人しくしてようぜ」


 壁の穴を潜り、棚へ引き返そうとすると昨晩見た女の人形の顔を想い出した。随分と険のある眼付きだった。


 ……気が利かないモンだったとは言えプレゼントも捨てられたし嫌われたようだ。もう貢がねぇ方がいいかもな。要らんモン押し付けられても迷惑だろうよ。それにアイツはエテの好意を汲んでいたパピー姐さんとは違うんだ。金持ちが闊歩し、高級品が犇めく百貨店の棚に想いを馳せるヤツなんだ。二千円札で充分お釣りが出る俺なんかに好かれたって気持ちの良いもんじゃねえだろ。


 月明かりが差す通路をとぼとぼと歩いているとドギツいピンクの箱の山が視界に入った。……諦めたとは言え未練垂らしく想ってたんだな。そうじゃなければあんな高い棚が視界に入るなんてねえもんな。俺は小さな溜め息を吐く。すると冷たい物が俺の肩に当たる。肩を見遣るとそれは粘度の高い無色透明の液体だった。……唾だ。エテが狼狽え俺が表情を顰めていると棚から嘲笑が聴こえた。





 以来、女の人形とは言葉を交わす事はなかった。


 女の人形の売れ行きはずば抜けていた。『ビーバーちゃん』と言う海外のブランド人形らしい。うちの店には二年程前の型落ちが流れて来た訳だがそれでも人気はある。俺らがひんひんぱからと働いている間に彼女は破竹の勢いで売れた。彼女を見つけた女児は紅葉のように小さな指を指し、その場を梃子でも動こうとはしない。駐車していた観光バスが発車しそうになり、またトイレを我慢出来なくなった親が彼女の箱を引っ掴みレジへと急ぐ。そんな事が起きる度に彼女は俺達を見下し、鼻を鳴らして笑っていた。


 このクソアマとかこん畜生とか想わなかった。……本音を言やぁ最初は不快だったさ。好意を踏みにじられ唾を吐かれたんだからよ。だが無関心だったって訳でもない。ンな些細な嫌がらせでクサクサした彼女の気が晴れるならそれでいいじゃないか。そう思っていた。


 そんな日々が半年は続いた。


 半年もすると『ビーバーちゃん』の型落ちの在庫はほぼ捌けてしまった。おやじはなるべく同じ品を仕入れようとするがメーカーにも既に在庫がない。否が応でも新しい商品を仕入れなければならない。


「はぁ。サンプル勿体ね。けんどもう在庫ねぇしな。はーあ。新の型落ち仕入れっか。やいやい。面倒くぜぇの」


 取引先から送られて来たファックスに赤丸を付けていたおやじは腰を上げると女の人形が陳列された棚へよろよろ歩く。


「新のサンプル来るがらなぁ。おめさんご苦労さんよぉ」


 いがらっぽい声を掛けると戦闘機を掴むキングコング宜しく、女の人形のウエストを握る。女の人形はぎょっとする。俺とエテも眼が点になった。


「ご苦労さん。ご苦労さん」


 おやじはそう呟きつつ、女の人形を振り回しつつバックヤードへ向かう。


「……そぉいやあのウマ公も、はぁ、在庫が無がったなぁ。店頭に出でる分捌けたらご苦労さんだなぁ」





 サンプルの天命だとも想うだろう。一流百貨店の在庫から流れて来たとは言え、こんな場末の土産物屋で売れ行き商品として華を飾ったのだ。在庫が無くなればそれまでだ。……人間には引退がある。しかし玩具のサンプルには引退はない。あるのは廃棄だ。細々とだが売れて在庫がない俺もそろそろお役御免だ。


 その晩、胡座を掻きまんじりとして動かない俺をエテは覗いた。


 飛び出た眼玉と突出た唇が視界一杯に広がり、ぼぉっと物思いに耽っていた俺は肩を瞬時に跳ね上げる。


「……なんだ、エテ公か」


 不細工のエテの所為で後方へ仰け反った俺は居住まいを直す。


「驚かせやがって」


 ブルルルと鼻を鳴らした俺にエテはバックヤードを指差す。助けに行けと言っているのだろう。


「阿呆か。天命だよ天命。俺達サンプルは在庫が無くなればお役御免なんだよ。俺やビーバー嬢は地方ゆるキャラのお前と違って花の盛りは短えんだよ。パッと咲いてパッと散る……桜みてぇで粋じゃねぇか」


 エテはぶんぶんと首を横に振る。


「ヤだねったらヤだね。憐憫感じて助けたところで手、いや蹄を噛まれるのがオチだぜ。饅頭の皮だってあいつが放った所為で、バックヤードで飯漁りも出来なくなっちまった。それに唾も吐きやがったからな」


 首を横に振るエテは俺の長い顔を引っ張る。


「ンな事したって無駄だっつーの。俺だって明日は我が身だ。こうやって粛々と運命とやらを受け入れるしかねぇーんだよ」


 鼻息を吐くと頬に痛みが走った。衝撃で顔を背けた俺は視界の端を見遣る。そこには肩を激しく上下に揺らしたエテが居た。


 俯き、洟を啜ったエテは久し振りに言葉を紡ぐ。


「馬鹿野郎! ほ……惚れた女(スケ)助けないで何が雄だ! 金玉握り潰してやろうか!」


「エテ……」


 拳を握り締めたエテは顔を上げる。


「俺は……お前に後悔して欲しくないんだ。……パピー姐さんを救えなかった俺みたいに後悔を引きずって生きて欲しくないんだ。それが……例え短い余生であってもだ!」エテは洟を啜ると背を向けて男泣きした。


 俺は打たれた頬に蹄を当てた。ほんのりと熱かった。……エテの大きな手は姐さんの手を繋ぐ為の物だったのにな。こんな事させる為の手じゃない。誹られたからって何だ。嫌われたからって何だ。大事なのは心底惚れた女が生きているって事だろ? だのに……俺は……。


「……悪かった、エテ。俺がどうかしてた」


 涙を拭ったエテは振り返った。月光が潤んだ大きな瞳を照らす。俺は重い腰を上げ、ヤツに蹄を差し伸べる。


「行こう。俺達には幸福になる権利がある。人間の勝手なんかに負けない……これはサンプル品の革命だ」





 店の裏手にある薄汚れたポリバケツの中で女の人形は啜り泣いていた。生ゴミや資源類が一緒くたにされたポリバケツの中、ゴミから首だけを覗かせていた。……その様は古代中国の首から下を地に埋める処刑を彷彿させた。


 俺達はポリバケツの縁に身を乗り出す。


「よぉ」


 声をかけられ驚いた女の人形は顔を上げる。すると月光に照らされぬるりと光るエテの眼玉にビビったのか『ひぃ』と短い悲鳴を上げた。俺は失笑する。エテはすまなそうに頭を掻いた。


「……な、によ? 今更。こんな所まで来て私を哀れむ訳? それとも『ボーイフレンドのジョンは助けにも来なかったな。ざまーみろ』って揶揄いに来たの?」女の人形……もといビーバー嬢は涙を振り払うと鼻を鳴らす。


「ベラベラと意外と元気だな。ってか生臭ぇな」


 ビーバー嬢は柳眉を顰めた。


「悪い悪い。助けに来たんだよ。白馬を従えた王子様じゃねぇけどよ、エテ公を従えた蛍光グリーンのお馬様が迎えに来てやったのよ」俺は前脚を差し出した。


 しかしビーバー嬢は蹄を手に取らない。地球儀のように青い瞳を潤ませ蹄を睨む。


「……どうして助けに来たの?」


「どうしてもこうしてもねぇよ。……惚れた女が嫌がろうと泣き喚こうと助けるってのが紳士だろ?」


 ブルルと得意げに鼻息を漏らすと『よく言うぜこの阿呆』とばかりにエテが俺を小突いた。


「……好意を踏みにじったのに? 酷い事も沢山言ったのに? 唾も吐いたのに?」ビーバー嬢は洟を啜る。


「……俺はお前が居ないと寂しいんだよ」


 眼を見開いたビーバー嬢は潤んだ瞳を更に波打たせる。白い頬を伝った涙はきらりと月光を弾いた。


「……馬鹿」





 俺は前脚にビーバー嬢の頭を掛け、ゴミから彼女を引き抜こうとするが梃子でも動かなかった。『おおきなかぶ』宜しく、ビーバー嬢の頭を抱える俺をエテが引っ張るが梃子でも動かない。ビーバー嬢は痛がり悲鳴を上げ、俺よりも図体がデカいエテは肩を上下に揺らし荒い呼吸をする。


 馬と猿が大きな鼻の穴から水を垂らそうが、悲鳴を上げつつも人形が痛みを堪えようが抜けないものは抜けない。蹄に滴り落ちた汗の所為でビーバー嬢の頭部から俺の蹄が滑る。反動で俺とエテはポリバケツからアスファルトへと転げ落ちた。


 ガシャン、と嫌な音が当たりに響く。それと同時に俺の体内に痛みが駆け抜け、ゴロゴロとアスファルトを転がる感触が伝わった。


「何? どうしたの!?」悲鳴にも似たビーバー嬢の声が俺の耳をつんざく。


 痛みに表情を歪めるが息災である旨を伝えようと瞼と口を開く。すると起き上がろうとしているエテと視線があった。


 互いの眼を見た瞬間だった。エテの表情は強張った。


 俺は大丈夫だ。


 そう言葉を紡ごうとした。


 しかし声が出ない。


 状況を把握出来ない。


「どうしたのよ!? 心配になるでしょ! 何か言いなさいよ!」


 ビーバー嬢の声がヒステリックに響くが答えられない。


 声を振り絞ろうと腹に力を入れる。しかし腹が動かない。俺は臼歯を噛み締め顔を動かす。頬がアスファルトを擦るのを微かに感じた。すると手前のパンと張ったケツが見えた。


 え? なんでケツなんか見えんの?


 状況を理解出来ない俺をエテが見下ろす。エテに『動けねぇ俺の代わりにビーバーを救ってくれ』と叫ぼうとするがやはり声は出ない。


「……サンプル品の革命を起こすんじゃないのか?」眉を下げたエテは問う。


 馬鹿野郎。今はそれどころじゃねぇよ。動けないんだよ。クソ猿が。俺は声が出ない口を動かし悪態を吐く。


 瞳を潤ませたエテは瞳を潤ませるとこっくりと頷く。


「……分かった。革命は俺が起こす。俺がお前の希望を叶える。だからお前は俺が叶えられなかった希望を叶えてくれ」エテはそう呟くと背を向ける。そしてポリバケツに手足を掛けると器用に登った。


 ヤツの赤いケツが上がって行くにつれ、俺は猛烈な眠気に襲われる。瞼が想い。


 ああ。俺、死ぬのか。惚れた女、救えずに道半ばで死ぬのか。……これも運命なのかもな。どっちにしろ在庫が捌ければ俺はお役御免で廃棄だ。『人間の勝手なんかに負けない……これはサンプル品の革命だ』なんて言っても結局死ぬんじゃあな。……下らない人生だった。惚れた女の口吸いすら出来ず、ましてや月の女神にも似た白い手に触れる事さえ叶わなかった。でも……良い夢を見られた分、良い人生だった。


 ポリバケツの縁に手を掛けたエテを見たのが俺の記憶の最後だった。





 おいおいおいおい。


 ぼうず、俺を見詰めて悲惨な顔しないでくれよ。さっきまでのニヤけ顔は何処行った。……そうさ。ンな悲しい恋物語が俺にはあったのさ。首チョンパじゃ惚れた女を孕ませるどころか口吸いすら出来ねぇ。情けねぇ話だってんだ。


 だーから涙も鼻水も一緒くたに出すんじゃねぇって。汚ぇなぁ。俺の自慢のイケ面に付くだろうが。俺は非売品なんだよ。非売品の中の非売品。サンプルん中のサンプル様よ。……いや、そんじょそこらに並んでる商品とは比べ物にならん程に珍しい品なんだよ。お蔭で『これは面白いなぁ。はーあ。名物になるかもなぁ』とおやじが甚く気に入っちまって廃棄を逃れられたけどな。こうなっちまった今ではある意味鼻が高いぜ。ま、実際に鼻が高くなった訳だけどな。


 ま、こうしてぼうずと話せるんだからよ。革命も『惚れた女の寄り添って生きる』って希望も叶った訳だ。どうだ? 良い話だろ?


 おうおう。涙止まったか。


 男はどんな時でも涙を見せちゃなんねぇ。男泣きって言葉があるだろ? 泣いてばっかり居ると涙の価値が下がるんだよ。そうそう。俺を見て笑え。俺の隣で阿呆面晒してるエテを見習え。


 お。母ちゃんが呼んでるぞ。もう車を出すとよ。もう一回小便して来るか? そうか。じゃあサービスエリアまでちゃんと我慢するんだぞ? 下半身から男泣きすんじゃねぇぞ? あとちゃんと母ちゃんに謝っておけよ。


 おう。またな。





 土産物の棚の前に佇んでいた少年は涙を拭うと母の許へと駆け去る。小さな彼は母に抱きつくと『ごめんなさい』と謝り手を繋ぐ。母を見上げて笑い声を上げると徐々に棚から遠ざかる。


 ──母ちゃん大切にしろよ。好きなヤツと一緒に居るのが一番だ。


 彼の小さな背を見送るように佇んでいたのは蛍光グリーンの馬体に女の人形の頭を指した税込み千五百六十円の変わり果てた玩具だった。


                                   了

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