一、讃岐の白峯陵

 衣装部屋。薄暗い室内。化粧台の鏡の縁、なぞる様に飾られた沢山の電球のうちのひとつがチカチカと点滅している。

 その切れかけた電球に、陽太は手を伸ばした。嵌め込まれたまあるい硝子ガラスをくるりと回せば、明滅していた光が消える。その硝子玉はカンタンに外れ、中には何やら釦のようなものがあった。


「ヨウちゃん、なんそれ」


「部屋の鍵」


「かぎ?」


 イッタイ何の部屋の、どのような鍵だというのか。見てくれは完全に洋服の釦だ。そんな八汐の疑問などお構いなしに、陽太は其れを毟りとった。


「…外れるンか」


 そうして、傍らにある大きな衣装箪笥の右から三番目の扉を開ける。無数に押し込んである、きらびやかな衣装をかき分けると、奥に何やら穴があるようだった。仄暗い室内だ。八汐は衣装箪笥に顔を突っ込むと、懸命に目を凝らしてその穴を見詰めた。

 陽太は、化粧台の電球から毟りとった釦をその穴に嵌め込む。カチリと、微かな音がする。ぐっと壁を押せば、すうっと横に動いた。


「おー、客か」


 しっかりついた電灯が眩い。衣装部屋の仄暗さとは対象的な明るい部屋に、ひとりの無精な男がいた。濃い色硝子が嵌め込まれた眼鏡のせいで、表情は読めない。黒いワイシャツに黒いスラックス。軍人のような、外国の紳士のような洋装に身を包んでいる。

 彼を囲む調度品は洋風であるのに、室内は畳に障子に襖。古い遊郭に外国の家具を適当に詰め込んだような有様だ。


「いらっしゃい、八汐くん」


 男の口元がにんまり弧を描いた。部屋の様子も相俟あいまって妖しい雰囲気が匂い立つ。





 その男の名は「輝元」という。カフェー・パリスの店主にして、電脳に長けていると評判らしい。

 そして、怪奇というものに敏感であった。であるから実は、裏の顔が怪異事件専門のなんでも屋である。


「義手を作ってほしくて参った」


 八汐は居住まいを正した。このヘンテコな奥の部屋に通された時はおったまげたものの、当初の目的を思い出し、マアこういう部屋があってもおかしくはないよな、と思い直して、それからは特に疑問も抱かず馴染んでいる。

 「当初の目的」というのは、カンタンに言っちまえば「義手を作ってほしい」というところなのだが、この、腕を失った経緯が少しばかり特殊で、もっと具体的に言うなれば「怪異事故で失った左腕を作ってほしい」というのが正解なのだ。


「千円」


「せ、せん!?」

 

「怪異事故っつー面倒くせえモンで失った腕の義手だぜ?しかも、おれの持てる電脳技術を遺憾なく発揮して作るんだから、安くはねえよなア」


 輝元はあくどい笑みを浮かべている。現在、大正期。千円というのは、庶民がポンと出せる額ではないワケ。超カンタンに説明するならば、総理大臣・大隈重信の月給が丁度千円くらいであった。

 八汐には到底出せる額ではないが、輝元の言い分も分からなくはない。彼の腕にかかれば、神経をどうこうしたり電気をどうにかして、義手をホンモノの腕のように動かすことさえ可能にさせる。この世界中の何処を探しても、こんなトンデモナイことをやってのけることができるのは、この男くらいであろう。


「トクベツ割引効かせて千円なんだぜ」


 輝元は色硝子の眼鏡をグイっと持ち上げた。


「トクベツ?」


「お前、おれのこと何処で知った?」


「…親父殿じゃ」


「そうだろ?その紹介割引ってやつな」


 お前の親父さんとは顔見知りなんだヨ、と輝元。そうして、仕方ねえなと言わんばかりに大きくため息を吐くと、頭をガシガシかき乱して告げた。


「払えねえってんなら身体で払え」


「か、からだア!?」


 八汐が素っ頓狂な声を上げる。部屋の隅で茶を啜りながら様子を伺っていた陽太は、盛大に噎せた。


「テル、シュミわる」


 かわゆい顔を歪めた陽太の口元からは、茶が滴っている。


「いいと思うけどなア?八汐は別嬪だしよ。色男だ。そういう趣味のオッサンだっている」


 輝元は、八汐の背を流れる黒い纏め髪をさらさらと撫でながら言った。八汐は顔を青褪めさせている。できればそういう趣味のオッサンの相手はしたくない。


「似合うと思うぜ、女の服も。マア陽太にゃ敵わねえかもだけど」


 敵ってたまるか、という話である。陽太は、満更でも無さげに、マ、おれより可愛い女いねえしな、という顔をした。この少年、斜めの方向に、自己肯定感がこの上なく強いらしい。


「いやじゃ…」


 八汐が未知なる恐怖に震えだし、目尻に涙をためてイヤイヤ言い始めたところで、輝元はにぱっと笑った。


「と、言うのは冗談だ」


「じょうだん」


「身体っつっても労働だ労働。おれがお前の義手作ってる間に、おれの仕事をやってくれや」


「しごと」


「そうそう、お仕事」


 陽太は嫌な予感がした。輝元の仕事、それはつまり、カフェー・パリスの店主。しかしながら、店の事務的な世話など、この八汐が肩代わりできる筈もない。となると、残るは怪異事件なんでも屋、だ。





「お前らには、四国・讃岐へ行ってもらう」


 陽太は眉をしかめた。表情には、おれもかよ、と分かりやすく書かれている。

 逆に八汐は疲れ切った顔をした。この男、実家が讃岐。つまり、わざわざ東京だか浅草だか取り敢えず都会までエンヤコラ赴いたというのに、トンボ帰りしなくちゃいけなくなったというワケ。


「八汐だけじゃ不安なんでね」


 輝元は陽太に告げた。手を貸してやれ、と。


「讃岐に行って何するん?」


 八汐は状況がイマイチ分かっていないようで、ソワソワと彼らの言葉を待った。


「円位、という坊さんと会え。今回の依頼主だ」


 輝元は真面目なカオで八汐を見た。そして、彼の腰にある大脇差を指で指す。


「そいつで崇徳院の霊を斬ってこい」


 得意だろ、そういうのは。八汐はゴクリと唾を飲み下した。無意識に、大脇差の鞘を撫でる。にっかり青江。それがこの刀の名だ。

 先にも述べたが、八汐は吉備津の出身。吉備津神社の巫女の子として生まれ、京極家に養子に出された。その京極家で出会ったのが、この青江貞次によって作られた大脇差である。

 にっかりという名は、ある武士が夜道を歩いていた時、女の幽霊を切り捨てた。翌朝確認をしたところ、石塔が真っ二つになっていた。斬り捨てた女の幽霊はにっかり笑っていた、という伝説によるもの。つまり、幽霊斬りの刀なのだ。

 この刀が呼び寄せるのか、神社の生まれがそうさせるのか、八汐は怪異事件に関わることが多かった。主たる例が、失くなった左腕であることは言うまでもない。

 

「讃岐の白峯陵、流された怨霊・崇徳院の墓」


 陽太がポツリとこぼす。


「さぞ怨念渦巻いてんだろうぜ」


 大丈夫なのか、陽太は言外にそう言っているのだ。この八汐という男の剣の腕など知らないが、怪異事故に合っているというコトは多少思うトコロもあるだろう。


「…ヨウちゃん」


 八汐は陽太に近付く。物憂げで、それでいて妖艶な色を含む眼差しだった。右手を、長い金糸の髪に差し入れ掬う。そのまま陽太の頬に触れた。体温の低い手だ。


「宿の部屋、同じにしよ」


「だから、おれ男だって言ってんだろ…」


 気を遣って損したぜ、呆れかえる陽太は八汐の腹に拳を沈める。


「決まりだな」


 輝元は笑い転げて言った。


「あん?」


「宿」


 旅費が安くて結構なこった!輝元は面白がるようにニマニマしながら、早速八汐の義手作成に取りかかった。

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湖陽記 坂口いさ子 @risaisako

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